「先史時代の岩絵の世界」その1

しんぶん赤旗』に4月27日から5月22日まで、全5回で「先史時代の岩絵の世界」という連載を執筆しました。ここ数年続けてきた岩絵の取材をもとに書いたものです。許可を得てここに再録します。

 

「先史時代の岩絵の世界」第1回 

「オーストラリアの先住民居住区 数万年の時の流れ語る」

 私がオーストラリアに残る先住民の壁画の写真を撮り始めたのは、約7年前のことだ。カカドゥ国立公園の岩壁に残る、1万年以上前の手形を見て以来、壁画の世界に引き込まれてしまった。

 オーストラリアには、おびただしい数の岩壁に描かれた絵がある。古いものは3万年以上前までさかのぼるが、壁画の歴史はつい最近まで連綿と続いてきた。1万年前の絵のすぐ隣に100年前の絵があることは珍しくない。

 同じ壁面に絵が何層にも厚く重ね描きされていることも多く、最も下の層にいつごろの絵が隠されているかは誰にもわからない。4万年前の絵があるかもしれないのだ。人間の歴史の中で、同じ場所でこれほど長い時間続けられてきた文化的営為は他にないだろう。

 約3年にわたって各地を巡り写真を撮ったが、最後に訪れたのは、アーネムランドのボラデール山麓だった。

 アーネムランドはオーストラリア北東部に広がる先住民の居住区で、面積は北海道の約1・2倍と広大だが、人口は1万6千人ほどだ。

 植民地化以前の文化的伝統と自然環境が濃く残る場所だが、かつてのように移動しながら暮らす集団はおらず、私の目的地一帯は数十年間無人状態になっていた。地権継承者の数人のうち、この地に生まれたのは、チャーリー・マンガルダという老人ただ一人だ。彼も前世紀半ば、少年時代にこの地を離れている。

 浅い洞窟の壁面いっぱいに手形が押されている場所があった。手形は壁画の重要なモチーフ、そこに生きた人たちの生の証しだ。

 さらに、人間、カンガルーや亀などの動物がすき間なく描かれている。人とも動物ともつかない不思議な姿も見える。彼らの世界観にとって重要な精霊たちかもしれない。さまざまなモチーフが重ね描きされ、混然一体となっている。

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アーネムランド、ボラデール山麓の壁画。無数の手形が押されている。

 先住民のガイドに「重ね描きして、古い絵が消えてしまうことは気にならなかったのかな」と聞いたことがある。彼の答えは「消えてはいない。新しい絵の下に残っている」というものだった。

 壁画は完成された「作品」ではない。描き続けるという営為こそが重要であり、絵はそこでの暮らしが続くかぎり変化しつづける、生きたものだったのだ。

 壁画にはこの地にやって来た白人、彼らの船やライフル銃の絵も見られる。壁画は数万年の時の流れを語る絵巻ともいえるが、絵の意味を全て知る者はもういない。

 ある壁画の前に、ひとつの手形がつけられた、ひと抱えほどの岩が置いてあった。あのチャーリー・マンガルダのものだという。テレビ番組の取材陣から、手形をつける場面を撮影したいと強く求められ、しぶしぶ応じたのだという。その佇まいは、長い歴史に終止符が打たれたことを示すひとつの石碑のようだった。

(『しんぶん赤旗』4月27日掲載)

 

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洞窟の天井いっぱいに描かれた精霊ニジヘビの絵。ニジヘビは世界をつくった造物主的精霊。

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征服者たちが乗ってきた船の絵

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魚の絵。骨格や内蔵などの体内も描く、「X線技法」という独特な手法で描かれている。

 

『花束の石 プルーム・アゲート』(「不思議で綺麗な石の本」シリーズ 創元社)刊行しました。

コロナで引き篭もりの真っ最中に、新刊『花束の石 プルーム・アゲート』を刊行しました。昨秋に刊行した『風景の石 パエジナ』に続く、「不思議で綺麗な石の本」シリーズの一冊です。私の持っているものに加えて、アメリカ、イギリス、ドイツ、日本のコレクターから一級品の写真をお借りし、とてもグレードの高い写真集になりました。

 

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『花束の石 プルーム・アゲート』創元社

 

南ア岩絵撮影行 その後

南アから戻ってから2週間以上経った。膝の怪我は近所の接骨医に診てもらったところ、骨が折れている、と。目白の整形外科でレントゲンを撮る。幸い、ヒビが入ってはいるが、浅く、ギプスまでする必要はないと。サポーターをつけて一ヶ月半くらいで治るだろうと言われた。

怪我もそれなりに大事ではあったが、帰国して最も大変だったのはクレジットカードが不正利用されていたことだ。ざっと数十万円分にのぼる。ケープタウンに移動した日からホテル代、ウーバー代など、ネット決済らしきものを次々に使われていた。ほぼ全て南アの国内の利用だ。帰国して3日ほど経過して気づき、カード会社に連絡し、幸いこちらが自分の利用したものではないと申告したものは全て不正使用と認定してもらい請求から外してもらえた。現時点で残っているのはレンタカー会社のデポジットが返金されていない問題だけだ。

この移動日にカード情報が盗まれたとすると、レンタカー会社経由か、空港のカフェしかない。ただ、これらは店舗のカードリーダーに差して暗証番号を入れているので、ちょっと考えにくい。一番可能性高そうなのはオンラインで購入したmango航空関連だろう。現金よりもカードが安全と言われてきたが、そうでもない。不正使用されるとカードで月々決済しているものを全て変更手続きしなくてはならないし、面倒この上ない。

南アフリカ岩絵撮影行 12日目(最終日)

この日はケープタウンまで約3時間かけて戻り、博物館に寄ってから帰国の予定だ。

朝、宿の主人に挨拶しようかと思ったが、家のドアが格子でしっかり閉じられている。今朝出ることは知っているはずなので、少し車のエンジンをかけて待ってみたが、反応無し。部屋に鍵を置いて出ることにした。着いたときは満面の笑顔で出てきたが、おそらくあの笑顔はそれなりに大変なのだろう。

岩肌に朝日があたっていい色だ。

 

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先ず、やはり気になる冷却液の量をスタンドで調べることにする。確かに、「このライン以上入れること」とされている水位より微妙に少ない感じではある。

「冷却液があったら足してもらえます?」と頼むと。「うんわかった」と。

彼は大きな水差しをもってきて水をドバドバっと入れた。

「水なの?」

「そう」

水なのか...。確かに冷却液が無いときは水でいいのかもしれないが...。蒸発するのも早いのでは...。車を返すときに文句言ってやろうかと思っていたが、なんだかレンタカー屋に報告しにくくなってきた。

とりあえず警告ランプが出なくなったので良しとすることに。

 

高速道路はあいかわらずみんな飛ばしている。だいたい流れに乗っていたつもりだが、一度、速度超過のカメラがチカッと光った。これはもしかしたら帰国後に請求されるかもしれない。

 

ケープタウンの博物館はおそらく植民地時代の古い建物なのだろう、クラシックな立派な建物だった。入口入ってすぐ、「Power of Rock Art」のコーナーがある。

おそらく、かつては「原始時代」というくくりだったに違いない。今は、南アだけでなく、アフリカ全土の岩絵の年代紹介と岩絵の意味など、とても充実した展示になっている。Blombos洞窟で発見された人類最古の芸術的意匠として知られる石片が展示されていたのは嬉しかった。Blombos洞窟はケープタウンの東300キロほどの海辺にある洞窟だ。この石に刻まれた模様は約80000年前につけられたものと考えられている。

 

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「岩絵のパワー」コーナーの最大の目玉は3つの大きな岩絵のパネルで、絵も保存状態もすばらしい。

 

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右の二つは東ケープ州のMaclear地方の町Lintonの洞窟にあったものだ。1916年に、道路工事で洞窟ごと壊される寸前だったところ、工事責任者が南ア博物館館長に手紙を書き、是非保存すべきだと訴えたのだそうだ。岩を壊すことなく剝がすのに石工や鍛冶が呼ばれ、剝がした後も山から下ろすのにかなりの困難をきわめたという。この部分を剝がし取るために周辺部分は壊されている。現在も洞窟はあり、残っている岩絵もあるというが、ということは結局道路工事で破壊されることはなかったのだろうか。

シャーマンがトリップしている姿も描かれている。

 

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横たわるシャーマンはトランス状態の果てに「死」に向かっている様子を示しているようだ。左下にはヘビの絵があるが、ヘビの頭はエランドになっている。シャーマンがトランス中の護身用に焼いたヘビの粉末を身につけることがあったようだが、それを示している、もしくは、エランドの頭部の毛の中に棲むヘビの神話があるが、それを示しているのかもしれないという。

シャーマンの口や頭部からはドットのついた赤いラインが延びていて、これが動物などに接続されている。何かの道筋を示すものか、「魔法のフォース」を示す光の糸のようなものでは?と、解説されていた。

 

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真ん中と左側の大きなパネルは発情期のエランドの群れのようだ。左側のエランドは追われて走りに走って鼻から血を出している。

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鳥の姿はシャーマンの霊的な飛翔を意味しているという。

ヒヒがシャーマンにするようにエランドに触っている絵もある。ヒヒは人間のシャーマンに通じる力をもっていると考えられていたようだ。

 

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とても見ごたえのある展示だった。

では、ミュージアムショップで本を買って帰ろうと思ったが、何故か館内案内図でミュージアムショップであるはずの所は隣のカフェが拡張されていて、何もなかった。ポップミュージックが大音響で流れている。係員に尋ねると、ショップはもう無いと。この博物館は岩絵がメインというわけでなく、動物や天体(プラネタリウム)など、総合的なものなのに。ここに来て、もっと知りたいと思う少年少女はどうすればいいのか。買う人が少ないのだろうが、公立の博物館なのだから、そろえるべきものはあるんじゃないかと思うが。なかなかネットなどでは買えない本があると期待していたのだが残念だ。

 

これにて全て終了。空港で車を返す。レンタカーの返却場は大混雑だ。

エミレーツのカウンターに。三脚をスーツケースから出して、三脚の袋に入れられるものを入れられるだけ詰め込んだ。これも預け荷物にしたかったのだが、ともかく持って入れと。無理して詰め込んだのが裏目に出た。すごい手荷物の量だ。

空港の両替で残ったランドをドルに替えようと並ぶ。これが何故だかわからないが延々と待たされる。申請者の個人情報を、住所まで含めて入力しているようだ。3つあるうち、私が並んだ所は特に遅く、隣の列がどんどん流れていくのに残されてしまった。ようやく私の番、というときになって、窓口にClosedの板が。

「え? 閉めたの?」

「はい」

「ずっとここで待ってたし、私で終わりなんだからやってくださいよ」

「私も家に帰らなきゃいけないので、隣で」

隣に並んでいる白人男性に、先に入れてもらっていいですか?ときくと、

「え? ここは私の列なんだが」と。

「そうでしょうけど、あなたが来るずっとずっと前からここで並んでいて、今、目の前で閉められちゃったんですよ」

「私は飛行機の時間が迫っていて、もう余裕がない。君の飛行機はどうなんだ」というので、はい、わかりました、失礼しましたと言って彼の後ろに。すると男が激しく文句を言い出した。

「だいたいこんなに時間がかかるのはおかしいだろ。セキュリティチェックで45分もかかったぞ。この国はもう第三世界になっちゃったんだよ。ひどいもんだ。あいつらは時給で働いているからわざと時間をかけているんだろ。あんたはどこから来た? 日本? 日本なら2分で終わることをやつらは10分もかけてやってるよ。なんて国なんだ!」

彼は南ア出身で今は家族を残してイスラエルで仕事しているようだ。

私もいっしょになって悪口を言ってるみたいに思われたくなかったが、彼はどんどんエスカレートして、窓口の黒人男性に聞こえるように「第三世界」を連発するのだった。

結局、彼は搭乗時間に間に合わなくなったのか、窓口の男性に「こんな国二度と来るか!」と吐き捨てるように言って去って行った。二度と来ないって言っても家族がいるんじゃないの?

なんだか後味の悪い南ア最後のひとときだったが、ドバイ経由で日本へ。

ヒザを悪くしたのは大変だったが、景観も岩絵もとても良かった。

 

南アフリカ撮影行 11日目

この日はCederberg Wildernessの中心部へ降りていく。昨日うろうろしていたのは北縁の部分で本丸はもっと南なのだ。

朝、宿は朝食は出ないのでClanwilliamに行き、スーパーマーケットの二階にある小さなカフェでイングリッシュ・ブレックファストを。スーパーはSparで、売っているものも特に南アならではという感じのものはない。ケープタウンのSparには寿司コーナーがあり、巻き寿司などがあった。

酒類は隣に専門店がついているというパターンが多い。

大きなソーセージが二本もあってとても食べきれないので、昼飯用に持って出る。

 

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Clanwilliamから真っすぐ南下すると山地の中央を通っていくような形になる。すぐに道がラフロードになった。ラフではあるが、それなりに平坦な路面だ。町から外れていくとトタンと板で作った、小さな箱のような家が密集するエリアを通過する。周囲にゴミも溢れている。市内の精緻な町並みと非常に対照的だ。宅地ではないので、ゴミの回収なども来ないのだろう。

岩山が続く絶景の道を下っていくと、ほどなくして「アルジェリア」に着く。

なぜ南アにアルジェリアが? と旅行の計画時から不思議に思っていたが、かつて植民地の監督官であったフランス人がアルジェリアの景色に似ていると言ってつけた名なのだそうだ。

オーストラリアでは白人の人名のついた町や山の名を、先住民が使っていた名に戻すうごきもあるが、こちらはそういうことはないんだろうか。住んでいたサン人やコイコイ人がいなくなっているから、主張する人がいないのかもしれないが。勝手にやってきて「アルジェリア」はないだろうと思うが。

 

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Cederbergを訪れる人は、ハイキング目的の人も多い。アーチ状の、あるいは窓穴の空いた岩、一本高くそびえる岩などの奇岩もあり、泊まりがけのハイキングコースもあるのだが、そうした情報などを提供しているのがアルジェリアキャンプサイトの事務所だ。

私がこの日行く予定だった二つの岩絵サイトは公園の南の端の方にあるのだが、そこはゲートで閉められていて、通行料を払って、ナンバーキーの番号を教えてもらって入る仕組みになっている。

受付の女性に、この先の道は普通のコンパクトカーでも問題無い?とたずねると、全然大丈夫、と。二つのサイト分の料金を払い、鍵のナンバーを教えてもらう。

隣には若いカップルが。男性が「ハイキングしようと思うんだけど、山の上は寒いのかな?」と。たしかに朝はジャンパーを着てもいいくらいの肌寒さだ。女性の方が薄着で、寒いのはイヤだと言っている感じだ。

「かもしれませんね」と受付の女性。

手続きをしながらも、「寒いとちょっと辛いよね...。寒いかな...、どうなんだろ」を連発する彼氏。

再び「ねえ、山の上はかなり寒いと思う? どの程度寒いかな?」と。

受付の体格のいい黒人女性がキレ気味に「そんなの私にわかるわけないでしょ!」と。

ですね。私も隣で聞いていて、この男どうなの? と思っていた。

ずっとラフ・ロードを走ってきたが、アルジェリア事務所からはインターロッキングで舗装された道になった。それがしばらくするとまたラフ・ロードに戻る。どうもアルジェリア周辺は国有地で、他は私有地、ということのようだ。Cederbergにはブドウ畑があり、ワイナリーがある。ワイナリーで試飲もできるようで(来る人は皆自動車なんだが)、名所のひとつになっている。ケープタウンにはオークの木も生えていて、これはワイン樽を作るためにヨーロッパから持ち込まれたものらしいが、成長が早過ぎて木の密度が低く、ワインが洩れてしまうので樽には使えなかったそうだ。

 

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南へ向かう道は分厚い堆積層を流れ、削り取っていったであろうかつての川の底だ。だんだんと路面も粗くなっていった。

気がかりなのは昨夜から警告ランプがつくようになったことだ。ランプ点灯時に「冷却液の量をチェックしてください。冷却液は車にとってお財布のようなものです」という文字が出る。冷却液て、この車、新車なんだけど──。いや、新車だからこそのトラブルとかだったら困る。8キロしか走ってなかった車なのだ。試運転しかしてないのだ。初期不良とか? 停車してエンジンを切ると消えるが、しばらく走るとまた点灯して「冷却液は車のお財布...」と。

この「車のお財布」てのは何なのか?「冷却液の量が足りません。このままの走行は危険です」ならわかるのだが、この妙にやんわりした物言いがいまひとつピンとこない。気になるので、マニュアルを見ると、「赤いマーク点灯時はすぐに運転をやめて...」とある。こんな山の中ですぐに運転をやめと言われても、あなた。そのあとどうすればいいか言ってみたまえ。エンジンの温度計は標準値を示しているし、ここから戻るにしても2時間近くかかる。もう先に進むしかないだろう。やはりオーストラリアで全くスタンドも何もないキンバリーで警告ランプが点いた(しかも、点検してもらった後も!)経験があったので、もうなるようになるだろうと。

奇岩の多い、いい感じの景色になってきた。

エリアの最も南に近いStadsaalに、鍵をあけて入る。ここは岩絵と洞窟の多い地形で知られている。

 

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Stadsaalの岩絵は一ヶ所だ。ゾウ数頭と人間の姿で、色が鮮やかなのだ。鮮やかといっても、どうも一番右端のゾウは鮮やかすぎる。これは後年塗り直されたのではないかと思うのだが、どこにもその記載はない。

 

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像の向きがまちまちなのが面白い。

壁面に黒い大きなシミがあるのだが、解説板にこれはハイラックスの糞尿が石化したもので(Hyraceum)、万年単位で残り、地元では胃薬として使われてきたという。中に閉じこめられている花粉などから過去の気候などを分析することも行われているらしい。

ハイラックスは猫くらいの大きさの動物で、大きさは全く違うし、顔は齧歯類っぽいのだが、ゾウに近い動物なのだ。アルジェリアの岩場で見た。ということは先日Giant Castle で見たのはハイラックスだろうか。

 

岩絵のシェルターを後にして、洞窟のある場所に。おそらく川の流れで削られて作られたものなのだろうが、複雑な形の空洞が連なる場所だ。

 

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次の目的地TruitJieskraalはかなり難儀だった。先ず、道がわかりにくい。一本道だから迷いようがないだろうと思いきや、一度キャンプサイトの駐車場を抜ける形になっている。また、道のコンディションがかなり悪くなっている。普通車でも通れるが、借りているのが新車ということもあり、気になって仕方ない。

キャンプサイトの人に教えてもらった道を進むが、かなり行ってもそれらしきエリアの入り口がない。道もどんどん悪路になる。見晴らしのよいところで行く手を見ると、ずっと山の向こうまで続いている。そんなに遠いって誰も言ってなかったし、地図を見るともっと近く見える。これはどこかで分岐を見逃したか(それらしいものは全く無かったが)と、仕方なく戻ることに。するとUターンしてすぐに後ろから車が。運転手にここに来るまでTruitJieskraalへの入り口ってありました?と聞くと、あったあったと。そんなに遠くない、と。

よかった。また行ったり来たりの繰り返しになるところだった。

入り口は鍵がかかっているはずなんだが、外されていた。どうせ大勢通るんでしょ、という感じで誰かが開けっぱなしにしたのだろう。

TruitJieskraalには駐車場が3つあり、2つ目と3つ目の駐車場の近くに岩絵があると聞いてきた。どうも車が泊まっているのが2つ目か3つ目かわからない。60代半ばくらいの男性と彼の娘くらいの女性の二人連れに「ここはいくつ目の駐車場ですかね?」と聞くと、

「いや、そんなのわからない。そもそも我々はずっと道がよくわからなくて困っているんだ。あんた、Stadsaalはどこにあるか知ってるか?」と。

Stadsaalはかなり遠い。ここから出て...分岐があったら右へ...と説明する。

男性は疲れ果てたような感じで「ここは大変な場所だな...。どうもありがとう」と。

足が痛いので、とりあえず道のどん突きまで行って、そこから引き返すことにした。最後の駐車場に着き、岩絵を探す。ここは高い切り立った岩壁がそびえていて、ロッククライミング好きの人たちが集まっていた。そのうちの一人に岩絵の場所をたずねる。

「岩絵、あぁ、昔見たな。登る岩はこれなんだけど....。岩絵は確か、あっちの方、ちょっと離れた所だったよ」と。

そちらに向かって歩いて行くが、途中で足跡もなくなる。元に戻って別の人に尋ねると、あ、それはほら、すぐそこの岩陰だよ、と。

また...。さっきのやつ、知らないなら知らないと言ってくれよ。ヒザが痛いんだから。

 

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三番目の駐車場の近くの岩絵はかなり薄くなったものが多かった。四つ足の動物と人間が合体したケンタウロスみたいな絵や、お尻のせり出した人物像など。

 

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道を戻って二番目の駐車場に。ここでも60代後半くらいの男性に、岩絵を見ましたか?と尋ねる。

「いや....。私はもうずっとこのへんで迷っている。ここは恐ろしい場所だ...」と。

入り口を普通に入ってくればそういうこともないと思うんだが、さっきの人といい、この人といいどっちの方向から来たんだろう。

 

二番目の駐車場の岩絵はずいぶんとサイトが整備されていて、洞窟の地面に石が敷き詰められていた。

人物画で頭に耳のような角のようなものがついている絵がある。解説によれば、これもシャーマンの変身の表現なのだと。それにしても、Drakensbergのシャーマンの変身にかかわる絵と比べると本当に素朴な絵だ。いや、Drakensbergの絵が特別凝った描写なのだが。

 

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これで今日の岩絵、いや今回の旅で見る岩絵は終わり。ヒザの怪我で一ヶ所行けない所があったが、他は全て希望通りだった。ボルネオ島行きを断念して急遽行き先を変えたわりには、見たいと思っていたものはほぼ見ることが出来た。

奇岩を見ながら同じ道をゆっくり戻る。どうか冷却液不足で車がえんこしませんようにと。

 

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ところで、このサイトに入る道が砂地で轍が深くえぐられているために車の腹を甘こすりする場所が多く、砂はともかく、石でガガガってやらないか、気が気でなかった。オーストラリアでエクストレイルの腹のガードを壊して大変な目にあったことがあるからだ。新車なんて迷惑なだけだ。

帰りも警告マークが点きっぱなしだった。「アルジェリア」に戻り、冷えたコカコーラを飲む。日中はやはりかなり日差しが強く渇く。こういうときくらいしかコカコーラなんて飲まないのだが、こういうときはうまい。

受付の女性が、「あ、戻って来ましたね。どうでした?」と。

「良かった〜、けど、道が腹を軽くこする感じでちょっと危なかったよ」というと、「そうなのよ、雨の後とかはねぇ」と。

そうなのよって、全然問題無いとか言ってなかったっけ?

 

このエリアには赤い大きなプロテアが生えているのだが、残念なことに全て花が終わっていた。Drakensbergとケープ半島はまだそれなりに咲いていたのだが。

 

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Clanwilliamに戻るが、昨夜と同じレストランに入る気がしない。それに、今日は最後の夜だから、買ったスナックやら飲み物やらそれなりに片づけねばならない。特に問題なのはビールと間違って買ったシードルだ。400ml以上ある缶が3本だ。甘味のあるシードルをそんなに飲むのはちょっと辛い。売店でナッツを買って、それをつまみにシードルをがぶ飲みして、夕食とすることにした。

 

まだ明るいうちに宿に戻る。場所をカーナビに入れたので大丈夫なのだが、なんとなく昨夜のトラウマがあるためか、明るいうちに宿に戻りたかった。

帰りの荷造りが大変だ。でかい松ぼっくりが6つ。スーツケースに入るだろうか。

 

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南アフリカ岩絵撮影行 10日目

今日から北へ200キロ以上移動してCederberg Wilderness 公園に入る。Cederbergは何を読んでも真夏はともかく暑い、日中は歩けたものではないとある。40度以上と。宿の主人も「暑いよ」と。涼しいケープタウンからそんなに遠くないのにと思うが、気候は「全く違う」と。覚悟して行く必要があるようだ。
Cederbergに行く前に、私はElands Bayという所に行きたかった。手形が壁面にびっしり押された洞窟があるのだ。その近くの別の洞窟からは6万年前の、ダチョウの卵の殻に模様が描かれたものが出土している。ただし、その洞窟はここら辺にある、と書いてはあるがはっきりとはわからない。岬を一周する道を走ってみて、表示が無いか見てみるつもりだった。

 

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延々と海岸沿いの道を北上する。砂浜が続く。浜に出てみたが、海藻とムールー貝が打ち上げられているばかり。

高圧電線の鉄塔が多く、海沿いを見ると発電所の冷却塔が見える。後で調べたらKoebergという町の原発だった。

 

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Elands Bayの南側には岬があり、洞窟はどうもそこにあるらしい。岬の南に着き、周回道に入ろうとすると、「私有地につき許可を得て入れ」とある。早くも予想外のことが。仕方なく北に移動して、岬の反対側の付け根に行ってみる。この近くにあるロッジのウェブサイトに洞窟のことが書いてあったので、どうしても場所がわからない場合にはそこのドアを叩こう。
岬を回る道の端にオフロード車が数台止まっている。家族連れに岩絵のある洞窟を知らないか、岬の先端は「ヒヒ岬」という名でその近くと聞いたんだけど、と聞くと、父親が「あー、それは無いな。今通って来たばかりだし」。
すくなくとも標識は無いということか。どうしよう。できればこの新車のコンパクトカーでラフロードに入りたくない。石を跳ね上げて小さな傷でもつこうものなら完全に私の責任になってしまう。
とりあえず、少しだけ道に入ってみた。かなりラフな道だ。進むべきか迷っていたらパトカーが来た。止まってもらい尋ねると、それならこの先だからついて来なと。これは助かった。
洞窟は道から見えるのだが標識も何も無い。膝が痛いのでやみくもに上がってみるのも辛かったところだ。しかし、よく知らないなら「それは無いな」とか断言しないでほしい。あやうくUターンするところだった。

 

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岩絵は手形が数百ある。大半は手のひらにたっぷり塗料を塗って押した後、指先でこするようにして模様を入れたもので、ブラジルのセテ・シダデスのものと似た手法だ。案内板もある。年代はわからないようだ。面白いのは手形のサイズがとても小さいことだ。10歳児かもっと小さいかもしれない。ただしサン人は小さいのでその辺がよくわからない。子どもだけだとしたらどういう意味があったのだろう。Drakensbergの岩絵には手形はひとつもなかった。

洞窟からは大西洋が見える。

 

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Elands Bay からほぼ東に向かい、Cederbergの北の端の町Clanwilliamを通り、Sevilla Rock Art Trailへ向かう。途中、この日の夜の宿の前を通過する。周囲は岩山だ。鉄分の多い堆積岩が激しく侵食して崩れて角ばった岩塊がごろごろしている。

 
Sevilla Rock Art Trailは私有地の中の岩絵を巡る往復4キロほどのコースで、アップダウンがきつくなければなんとか膝をかばいながら行けるだろう。土地のオーナーとケープタウン南アフリカ博物館が共同で始めたようだ。

農場は食堂と宿もやっている。食堂の人に「岩絵の道に入りたいので、許可をもらいに来たんだけど」と言うと、あの人に、と、外のテーブルに座っているおばさんを指差す。

「岩絵の道? ああそう、じゃ、ちょっとこっち来て」。「一人? じゃあ40ランド」。

むっつりした愛想のないしわがれ声のおばさんだ。おばあさんと言ったほうがいいかもしれない。

「ヒザを怪我しちゃって...登りがきつい所とかあります?」と聞くと、「まぁ、ちょっとね...」とこれもまた素っ気ない返事。「あの川、見えるね? あの川岸を、白いペンキのマークを目印に歩いて行って。帰りも同じ道を。はい」と薄いパンフレットを渡された。

 

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Sevilla Rock Art Trailは川沿いを歩くコースで全部で9つのサイトがある。岩の感じ、地形がオーストラリアのキンバリーに似ている。
このエリアの岩絵はサン人だけでなく、コイコイ人(かつてホッテントットと呼ばれた人たち)など、牧畜を行う部族によるものと融合した者によるものとみられるものがある。Drakensbergのものと比べて描かれるモチーフも多岐にわたっているようだ。羊や牛あるいは白人の到来を示す馬に乗る人物なども描かれる。絵のモチーフでおおよその時代を推定する方法はサハラの岩絵などと同じだ。
手形や指先て擦る描画方法は筆などを使った細い線で描かれる人物画の上につけられていることが多いようで、この指先を使った技法で描かれた牛の絵があることから、牛がこの地域に入って来た約1600年前以降ではないかと推測されている。細い筆で描かれた羊の絵があることから、サン人が細い筆で多くの絵を残したのはコイコイ人が羊などを導入した2000年前頃を最後とする数千年間と考えられている。

最初のサイトは細長い人物画と、その上に黒い、人が集まっている場面が描かれた絵がある。最初は黒いカビが絵のように見えるのかと思ったが、絵の塗料の上に地衣類が繁殖したものらしい。何か四角い卓の周りに人が座っているかのように見える。同様のモチーフが近隣にいくつか見られるようだが、面白いことに皆菌で黒くなっていると。おそらく同一人物によって描かれたもので、彼が使った塗料が地衣類が繁殖しやすいものだったのだろうと。塗料には動物の脂や血、ダチョウの卵などもまぜられた。

 

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第二のサイトは面白い。頭を上げて歩く恐竜のような怪物の絵や人が変形したような奇妙な姿がある。トリップ中のシャーマンが見たイメージだろうか。並んで手を叩いているような人物像もある。白で描かれていた顔の部分が消えていて、頭がフックのような形に見える。
四つ足のシマウマのような動物画があるが、これは絶滅したクアッガではないかと解説書にある。前の半分だけ縞模様がある小さな馬で、このエリアにはたくさんいたようだ。

 

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第三のサイトは低いシェルターに仰向けに寝転がらないと見えないものが多い。胴体と後足だけが消えずに残ったような動物画がある。

 

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後ろからフランス語を話す黒人と白人の若い女性の二人連れが来た。先の方には太った男性の姿も。全く人家の無いCederbergの北の外れにあるが、名所のひとつで、訪れる人は少なくないのだろう。それと、さらに道を東に進み、オフロードに入るとBushmans Kloof Wilderness Reserveという、ちょっと値段高目のしゃれた宿泊施設がある。

 

第4のサイトはごく小さなシェルターだ。シマウマかクァッガの絵がある。

 

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5番目のサイトは弓矢を持った人物像が印象的だ。とても繊細な線で描かれている。

 

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サイト6は下半身がどっしりと豊かな人物が並ぶ。お尻がどんと出ているのが特徴だ。この感じはコイコイ人の特徴を思わせる。

 

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サイト7は黄色ゾウの絵が複数ある。ゾウは黄色で描かれているものが多い。実物は色があまり無いのに。どういうわけだろう。

 

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サイト8は手形がたくさん押されている。やはりElands Bayと同じでとても小さい。やはり子どもなのだろうか。後ろからきていた女性二人連れが「これは学校だと思う」と。両手で押している手形もあるし、卒業記念か? 学校かどうかは別として、イニシエーションと関係する可能性はあるかもしれない。サイト1の絵のように、塗料の上に黒い地衣類が生えて黒い手形になっているものがある。

 

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サイト9は馬(シマウマかクァッガか)と人物像が特徴的だ。

 

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サイト9はシェルターの上部が大きく崩落している部分があり、一部壁画が隠れるような形になっている。

思った以上に見どころの多いコースだった。アップダウンも少なく、さほど足に負担もかけずに歩けたし、いい風が吹いていてさほど暑さを感じない。これが暑くて大変というのなら東京の夏は地獄に等しい。
 

全て見終わって、農場の建物に戻ってきたときはもう6時を回っていた。約3時間経っていた。

「何か食べるものあります?」ときくと、おばさんがむすっと「もうキッチンは閉じちゃったよ」と、これまた素っ気なく。コーヒーを頼むと、小さなクッキーのついた濃いコーヒーが出てきた。これがなかなか美味しいコーヒーだった。

無料の簡単なパンフレットはもらっていたが、売店ではこの場所の岩絵についてのもう少し充実した冊子を売っている。それを買いたいと言うとおばさん、「これを買うって? そう....買うんだこれを...」と言いつつ、奥の方へ行き、包みをベリベリと裂いて一冊出してきた。あまり買う人はいないようだ。

そうこうしているうち私のはるか先を行っていて、最後に私が追い越した太った男性がふうふう言いながら戻ってきた。

「いやー、よかったけど、迷っちゃったよ。何か食べるものない?」

「もうキッチン閉じてるよ」

「なんでもいいんだけど...、何か、肉とか...ちょっとした肉とか....」

「だから無いの。何も」

...というやりとりを見ながら、「コーヒー美味しかった。ありがとう」と言って店を出ようとすると、急におばさんの当りがやわらかくなって、

「あんた、ヒザは大丈夫だった? どこに泊まってんの?」と。

「ここは真夏は猛烈に暑いって聞いてきたけど、涼しいね」と言うと、

それまでおばさんの隣に座っていて寝てるのか起きてるのかわからないような感じだった姉妹と口をそろえて、

「こんな陽気は普通じゃないんだよ。こんな夏なんてないよ」と。

そうなのか。ケープタウンも海辺は霧がかかっていて、こんなのが夏に出るのは滅多にないと言っていた。どこも異常気象なんだな。

別れ際、「あんたね、気をつけて歩くんだよ。じゃあね」と。

なかなか味わい深いおばさんだった。彼らは何世代そこに住んできたのだろう。周りに全く人が住んでいない、ものすごく寂しい場所だ。

 

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道路を西に少し戻り、宿へ。今度は満面の笑みの愛想のいい主人が出てきた。行ってみて初めてわかったが、ここは完全に自炊の宿で、朝食も出ないのだ。夕飯に食べるものも買ってなかった。

一番近いレストランは?ときくと、例のおばちゃんの所だと。それはもう閉じちゃったと言うと、じゃあ、30キロ離れた町Clanwilliamまで戻るしかないね、と。まじか。これは注意書きとしてかいておいてほしかった。また町に戻るのか。30キロといってもこちらは一般道も80-100キロくらいで走るので、30分はかからないのだが。

Clanwilliamでレストランに入ると音楽がガンガン鳴っている、いわゆる観光地のレストラインという感じ。そういうのは苦手なのだ。特に一人で入るのは。

ピザを食べる。どうせ道路に誰もいないし、ビールも飲んでいいな。

帰り道が本当に真っ暗だった。月も出てないし、曇っていて星も見えない。もちろん街灯なんてないし、人家もほとんどないので、ヘッドライトがあたるごく狭い部分以外、全く何も見えない。すれ違う車もない。宿の場所をカーナビに入れておくべきだった。

そろそろかな?と思い始めたとき、いきなり道がじゃり道になり、ザザッーっと滑る。砂利道? そんなの無かったぞ。遠くまで来過ぎたのか?

少し注意しながら戻ると、なんと例のおばちゃんの農場の入口が。かなり進んでしまったのだ。

今度は宿の入り口を見落とすまいと注意しながら道を戻る。かなり戻ってもそれらしいものが見えない。これはまた見落として戻りすぎたのか? もう一度逆方向へ。すると、またしばらくしておばちゃんの農場の入り口が──。

どうなってるのか。なんだか恐ろしくなってきた。もう時速40キロくらいでハンドルにあごを乗せるようにして道の片側を凝視しながら走る。悪いことにしとしと降りだった雨が激しく降ってきた。行ったり来たりを繰り返しで、ようやく入口をみつけたときは町を出てから一時間半以上経っていた。結局思った以上におばちゃんの農場から離れていて、そこまで戻る前に、絶対に行き過ぎてると思って引き返してしまっていたのだ。真っ暗だと距離感も時間の感覚もおかしくなる。ビールを飲んだのもよくなかったんだが。

二度と同じことにならないよう、今度はカーナビに地点を登録。

くたびれ果てて部屋に入ると、ベッドの上には木の枝をしばった大きな十字架が(最初からあったのだが)。なんだかもう怖い。

 

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南アフリカ岩絵撮影行 9日目

今日は岩絵撮影は無しで、ケープ半島を巡る。宿の主人の勧めでまず少し北上して時計周りに回ることにした。近くに植物園があり、ちょっと興味あったがスルーする。戻ってきて余裕があったら見ることにしよう。

東海岸沿いに鉄道が走っている。列車が通るところは見なかったが、列車の窓から見る景色は格別だろう。

ボールダーズ・ビーチでケープペンギンのコロニーを見る。かつては沿岸にはたくさんいたのだろうが今はここだけで保護している。浜に直接出ることはできず、デッキから見るようになっている。臭いがなかなかすごい。砂に巣穴を掘っていて、ひなが入っているところが見られた。途中で海からアシカが上がってきて、一斉に逃げる一幕もあった。アシカはペンギンを食べるのだ。

 

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ここは入場料を払って入るのだが、混む時は1時間待ちとかもあるそうだ。幸い早めに行ったためか空いていた。途中土産物を売る露天が並んでいたが、ろくなものがない。工芸品も、アフリカっぽいでしょう? みたいなものが多かった。

海岸沿いの街並みはとても欧風だ。ケープタウンは植民地の町としてはかなり古い。最初に住んだのはオランダ系の人たちだ。宿の主人も、ドイツから越して来て大きな変化だったでしょう、と聞くと、うん、でもこのへんはかなり欧風だったから、と言っていた。今は周辺のアフリカ諸国からの移民が増えていて環境がかなり変わって来たと。移民のアフリカ人とネイティブのアフリカ人との軋轢も高まっていると聞いた。

ケープ半島の南エリアに入る。自然保護区なので入場料を払う。外国人は2000円以上する。かなりの収入だろう。。アフリカ南西端の喜望峰は人でいっぱいだ。

 

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喜望峰の先端の岩山の上には灯台があり、ケーブルカーでも上がれる。ここに来て他では見かけなかった中国人旅行者がグッと増えた。大きな声で騒いでいるのは殆ど彼らだが、あの自信というか、全く気後れしない感じは何だろう。もっとも、なにかと気後れしがちな日本人も団体になると途端に開放的になったりするのだが。

土産屋でダチョウの卵を買った。スーツケースに入れても割れないというので。禁輸にはなっていないと思うが、正しいルートで購入しました、というような書類も一枚つけてきた。野生のダチョウもいるが、近くにダチョウ牧場もあるので、そちらからのものだろう。

 

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喜望峰は大型の観光バスも乗りつけてすごい人だったが、エリア内のマイナー道に入るとほとんど車通りもない。今朝、宿の奥さんにヒヒに気をつけるように言われたが、確かに数が多く、車がそばに来ても泰然としている。そこら中に決して餌をやるな、車の窓を開けたまま離れるなと書いてある。車から荷物を取り出して中身をぶちまけられたりして大変なことになるそうだ。日光の猿と同じだ。おそらく、昔は餌をやる人が多く、人の持ち物を狙うようになったのだろう。人間を全く怖がっていない。

 

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最後に西海岸の方へ大きく回って行く道に入ってみた。枯れた木に何か実がついているので見てみると、どうも木の実の本で撮影したレウカデンドロンぽい。著者の山東氏に確認したところ間違いないと。

 

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プロテアもDrakensbergで見たものと違う黄色い花のものがたくさんあり、まだまだ花盛りだ。

 

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また、真っ白い花が群生しているエリアがある。遠目に見て、白い岩が続いているのかと思ったが、全て花だった。これが美しかった。花は春が見頃で、殆どが終わっている感じではあったが、それなりに楽しめた。

 

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シマウマが一頭、静かに草を喰んでいた。野生のシマウマを初めて見た。なんと美しい模様なのか。全体に足も短めのずんぐりした形だ。かなり近づいても逃げない。さらにその近くにアンテロープの仲間が。エランドかなと思ったが、後で検索すると色もツノの形も違う。いいところに来た。勧めてくれた宿の主人に感謝する。

 

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ケープ半島の公園を出て西海岸を北上する。ここもまた絶景の道だ。宿のあるHaut Bayの少し北まで上がってみた。Llandidnoというウェールズ語のような地名がある。戻って宿の主人に尋ねると果たしてウェールズ人のコミュニティがあったのだそうだ。

 

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昨日と同じレストランでタイ風赤カレーを頼む。全く辛くない。

 

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