タッシリ・ナジェールの旅 5日目

この日は先ず昨日見られなかったIn Itinenの他のサイトに。キャンプ地のすぐ近くには遊牧民の墓がある。三つ並んでいるのは同じグループの人なのか、もしくは家族なのか。

In itinen

さらに、アンドラスも英さんも訪れたことのない、Ouan Derbauen、Ouan Agoubaという二つのサイトへ向かう。アンリ・ロート隊が1962年に訪れて記録したサイトだ。

先ず、Ouan Derbauenへ。牛と動きのある男性らの絵があるが、彼らの間に細長い、細かい枝のような房のようなものがついたものが描かれている。細長い棒のようなものの下に丸い部分があるので、楽器かと思ったが、どうもそうでもなさそうだ。ジャン・ロイクに尋ねると蛇であると。たしかに牛の方まで回り込んでいるようにも見えるが、百足の足のようなものがたくさんついているのは何だろうか。なんにしても、上の部分が消えているため、ひと繋がりになっているかどうかがわかりにくい。

Ouan Derbauen

Ouan Derbauenの目玉はイヘーレン様式で描かれた、牛の群れと移動する人たちの絵だ。アンリ・ロート隊の模写を見ると、なかなか見事な絵なのだが、やはりわかりにくい。頭の位置を揃えて並ぶ牛という、イヘーレン様式の絵によく見られる構図もあり、これは肉眼でも視認しやすかった。壁画専用に開発された補正ソフトDStretchを使うと牛に乗って移動する女性たちの顔もよく見える。

Ouan Derbauen

Ouan Derbauen

Ouan Derbauen

Ouan Derbauen

 昼食は食材を分担して運ぶのだが、この日はパンを持ってくるのを忘れたため、大きなパプリカにサラミやキュウリを挟んで食べる。サラミはすごく便利な保存食だ。鹿肉のサラミも持ってきていた。

あちこちにジェリコのバラと呼ばれる草が生えている、というか枯れたものが点在している。これは復活草と呼ばれるものの一種で雨が降ると開く。私は草そのものが復活するのだと思っていたが(実際そういうタイプのものもメキシコなどにあるようだ)、帰国後に調べたところ、一年草で、枯れたものが湿度の変化で開いて周囲に種をまき散らすようになっているとのこと。

 

 さらに北西に進み、もうひとつのサイトOuan Agoubaへ。ここはウーパールーパーが立ち上がったような奇妙な人物像で知られる。ロート隊の模写では三体あるように描かれているが、どうしても三体目がわからなかった。それにしてもこれは何だろうか。他には見られないもののようだ。写真は補正したもので、実際はほとんど見えない。奇妙な人物像の傍らにはRound Headの時代に特有な、両手を掲げて崇めるようなポーズの人の姿もあるので、神像のようなものなのだろうか。

Ouan Agouba

Ouan Agouba

 

Ouan Agoubaには大きな動物の絵もある。イノシシではないかと言われている。

Ouan Agouba

 ウサギのような耳のついた人物像がある。この形はあちこちに見られるのだが、想像上のものなのか、こういう装束なのかわからない。この絵は縁取りがされているが、現代に入ってだれかが鉛筆でつけたものらしい。

Ouan Agouba

 この日はよろけて転び、買ったばかりのiphoneを石に打ちつけ、画面がバリバリになるという悲しい事件が。幸い厚めのシールドガラスを貼っていたので、本体のガラスの割れは致命的なものにはならなかったのだが。iphoneは壁画の撮影にとても向いている。デフォルトでも被写体を明瞭にする加工が施されているため、肉眼で見るよりもくっきり鮮明になる場合が少なくない。まだ解像度的に大きく延ばして印刷するような用途には向いていないが、おそらく数年も経ったらA3くらいまでは問題なく引き伸ばせるような品質になるのではないか。

In Itinenのキャンプに連泊。

タッシリ・ナジェールの旅 4日目

 Tamritで朝6時に起きて6時半に朝食。

 疲れてはいるが、なかなか熟睡できないのが辛い。標高が高いので、明け方はかなり冷えるのだが、テント無しで寝ている人が数人。

 キャンプから近い場所に平らな岩盤に彫られた象の刻画がある。刻画はかなり低い角度から光があたらないとなかなかわかりにくいが、早朝だったので、比較的わかりやすかった。

Tamrit, Elephant engraving

 Tamritのキャンプを出発して、東に2キロほど歩き、Timenzouzineというサイトに入る。ここにも大きな象の刻画があるが、こちらは線刻も比較的浅く、なかなかわかりにくい。横たわって頭をいじってもらっている様子を描いた壁画がある。ケジラミかなにかとってもらってるんだろうか。横になっている人には乳房があるように見えるが、他は男性かもしれない。後ろには子どもがいて、面白いのは指さしてなにか言っている風な人物が描かれていることだ。どういう場面なのだろう。わざわざ絵にするくらいだから、何か頓智のきいたものなのか。それにしても上手い。シンプルなフォルムには大正時代のデザインだと言われても通るような、「モダン」さが感じられる。

Timenzouzine

Timenzouzine

Timenzouzine

 さらに北東に進み、Titeras N'Eliasという奇岩地帯に入る。水と砂に削られて風化した石柱が立ち並ぶ独特な地形だ。これまでブラジルのカピバラ渓谷やオーストラリア北部など、堆積岩層が深く侵食されてできた場所をいくつか見てきたが、このように細長い柱が並ぶような形は初めてだ。風が運ぶ砂に削られてできた形なのだろう。

Titeras N'Elias

Titeras N'Elias

Titeras N'Elias

Titeras N'Eliasにはいろんな時代の壁画がある。印象的だったのは、楕円の凹面に描かれた集団の絵で、左側に描かれた大きなグループが右側の数人の方に対面していて、左のグループの前面にいる二人くらいは手を延ばしてなにか差し出しているようにも見ええる。どういう出来事を描いたものだろうか。

 いわゆるRound Headと呼ばれる初期の狩猟採集民の時代の絵もある。完全なものはないが、両手を前に差し出すこの時代に独特なポーズも見える。

 

Titeras N'Elias

Titeras N'Elias

Titeras N'Elias

Titeras N'Elias

Titeras N'Elias

さらに北東に進み、アンリ・ロート隊が多くの壁画の複写を行ったIn Itinenへ。この地名は現在もっとTamritに近い場所に使われていて、混乱があるようだ。キャンプ地に午後3時過ぎに到着した。ロバ隊は既に着いている。

アンドラスも英さんも今回初めて訪れるというのは意外だったが、当時の記録から複写を行った場所の特定が出来たという。

In Itinen

In Itinenは枯れ川をはさんで二つのエリアにわかれているが、キャンプ地から川を越えていく。リップルマークの入った岩が転がっている。かつて海の底だったわけだが、これだけ深く侵食されていて、リップルマークのきれいに残った大きな岩があるというのもちょっと不思議な感じがする。

最も有名な大きな絵を見る。イヘーレン様式の牛や羊の群れとともに移動する人たちの絵だ。線が細くよく見ないと絵柄がわかりにくいが、シャープな角の形や牛の体の模様など、はっきりと残っている。

大きな牛(オーロックスか)に弓矢を向ける女性の絵も印象的だった。タッシリには弓矢で戦う女性像も多く、「アマゾネス」と呼ばれている。どういう社会だったのか興味深い。

 

In Itinen

In Itinen

In Itinen

In Itinen

In Itinen

In Itinen

アンドラスのツアーは夕方にジュースをそれぞれが持参したスピリッツで割って飲むのが楽しい。が、夕食はイギリス製のお湯を入れてふやかすタイプのインスタント食。名前はパスタ、チキン・ティッカなどいろいろついてはいるが、基本全部ドロドロ。

この日の歩行距離22キロ。

In Itinen

In Itinen

In Itinen

 

タッシリ・ナジェールの旅 3日目

 予定通り6時半くらいに朝食、7時過ぎに出発。朝食は前回と同じでバゲットにチーズや蜂蜜やピーナッツバターなど、好きなものを塗って食べる。

 タッシリ・ナジェールは堆積岩の台地だが、下の方は花崗岩が多い。ピンク花崗岩など、タイプも複数あるように見える。水晶の脈が入っているものも少なくない。ジャーネットの町は標高約1000mほど、台地の上は1700mある。登りは思ったほど急勾配ではなかったが、それでもよじ登るような岩場もある。今回トレッキングポールを持参したが、これはかなり役にたった。ここ数年足がぐらつくことが多くなっていて、南アでもそれで岩から落ちた。支えがあるのと無いのとでは大違いだ。

 登り始めて1時間ほどくらいでスコットランド人のローマンの足が完全に止まってしまい、これ以上は無理だろうという判断になった。アンドラスが下まで送っていく。ツアーの募集の説明ではどの程度の脚力が必要なのかなかなかわかりにくかった。ある程度の山登りが出来る人という限定をつけるべきだと思う。

 

 ちょうど中間くらいで平坦な場所に出て、ある程度歩いた後、さらに急な登りになる。日程表では台地の上まで3時間とあったが、昼食も含めて7時間かかった。人数が多いとどうしても余計に時間がかかるが、3時間と予定するのは無理がある。荷物を運ぶロバたちは途中から全く違うルートを通る。岩をよじ登るような所は通れないので、凹凸の少ない、急な斜面を登っていくのが見えた。

 

 

 台地の上に上がると見渡すかぎり平坦な地面が広がっている。時間が押してしまい、結果、Tan Zumaitakには行かないということになった。これは辛かった。タッシリ・ナジェールの壁画の中でも最も見事なものがある場所の一つだからだ。このツアーは未開拓の場所に行くのを優先するので、有名なサイトが後回しになりがちだ。ただ、メンバーの半数は台地は初めてなので、良い条件で有名な壁画の写真を獲りたい者にとっては嬉しくない。そんなに頻繁に来れるような場所ではないのだから、保存状態の良い、見ごたえのある絵の場所でそれなりにきちんと時間をとってほしい。

 

北上してTamritへ向かい、有名なアンテロープの絵を見る。1950-70年代に調査したアンリ・ロート隊の複製画にはアンテロープは10頭描かれているが、肉眼では5頭も見えない。帰国後に写真を壁画の画像補正ソフトDStretchにもかけてみたが、10頭までは確認できなかった。ロート隊は壁面を水に濡らしてトレースしたのだが、水に濡らすとそこまで浮かび上がってくるものなんだろうか。

Tamrit, Tassili n'Ajjer

 タムリットの枯れ川Wadi Tamritで大きなイトスギを見る。タッシリ・ナジェールの固有種で樹齢2000年以上のものが多いということだ。雨のほとんど降らない場所でこれだけの巨木が生き続けていることは驚きだ。

Wadi Tamrit, Cypress

キャンプ地に着いた後、荷物を下ろしてTamritの別のサイトを訪れる。

イヘーレン様式の戦闘の場面なのだが、やはりなかなかわかりにくい。赤いドットが連なっているが、これはロート隊の複製画を見ると羊の群れの頭部のみを描いたものらしい。人間は体に模様が入っていて、これは刺青を示しているのかもしれない。

 

Tamrit

 

この日は山登りもあったのでかなり消耗。だが、登りを無事クリアしたので、一安心。

歩行距離は17.5キロ

 

タッシリ・ナジェールの旅 2日目

 ジャーネットの宿に泊まって翌日は市内の壁画を見ることに。午前中はジャーネットの西を流れる川(干上がっているが)の対岸の岩場まで歩いていき、壁画や刻画を見る。アンドラスは市内の店に食糧などの買い出しに出て、別行動。

 町のすぐ近くにあるので、落書きがひどい。人が集まっている様子を描いた絵があり、D-Stretchで補正してみると、とても面白い。環になって集まっている人たちの中で踊っている人がいる。はっきりそれとわかる姿は女性のように見える。その隣に描かれた角張った人物は男性だろうか。それにしてもこの落書きはひどい。

Djanet, Algeria

Rock Art, Djanet, Algeria

 

 刻画も興味深いものがあった。半人半獣の面白い像だなと思っていたが、帰国後ツアーの一員だったジャン=ロイクの本にはジン(妖怪、悪魔..)であると書いてあった。大きな男根が彫られていたものを、後代に削って消したようだ。このウサギ耳のようなものがある人物像はよく見られるモチーフだ。全てが同じ意味で描かれているものなのかはわからないが。

 ジャン=ロイクはソルボンヌ大の人類学教授で、サハラ壁画愛好家協会の会長でもある。絵のモチーフな何なのか、どの年代区分のものなのかなど、質問に答えてくれて大変ありがたかった。

rock art of Djanet, Algeria

ほとんど雨の降らないサハラだが、大雨で川が氾濫して町のかなりの面積が水没することがあったという。川の端に金網に石を詰めたものが並べてあったが、大雨の際に役に立つのかどうか。

Djanet, Algeria

 宿に戻って昼食をとった後、話合いがあり、この日中にタッシリの台地へ上がり口まで移動し、翌朝日が出たらすぐに出発することになった。人数も多いし、上に上がるまでどれだけ時間がかかるか心配なのだろう。

 午後は南の空港に続く道を行き、有名な「泣く牛」の刻画に向かう。途中、岩場に彫られたキリンの大きな刻画を見る。ニジェール北部にある実物大のキリンの刻画にも通じるようななかなか見事なものだったのだが、残念ながら光線のかげんではっきりと見えなかった。写真に収めるのはさらに難しい。

rock art of Giraffe, Djanet, Algeria

 

 「泣く牛」は前回も訪れたが、今回はちょうど光線の具合もよく、牛のレリーフがくっきりと浮かび上がっていて見事だった。奇岩の壁面に彫られたものだが、おそらく自然の岩の凹凸を活かして構成されている。これはサハラでももっとも洗練された刻画といっていいだろう。目から涙が出ているように見えることからこの名が付いているのだが、これも自然の窪みをアイデアとして使ったのかもしれない。

Crying Cow, Djanet, Algeria

Crying Cow, Djanet, Algeria

前回訪れたときは曇っていたが、今回は雲一つ無かった。

 ジャーネットに戻る途中で、「鍵穴様式」と呼ばれる古墳に寄る。これはGoogle Earthなどで位置を確認している人が多くいる独特な様式の墳墓で、遺物から約5000年ほど前のものという測定値が出ている。タッシリ周辺にかなりの数あるが、この配置とイヘーレン様式と呼ばれる白人系の遊牧民の姿を精細に描いた絵の分布とが重なることから、両者に強い関連があるとも言われているらしい。これが見られたのは嬉しかった。日が沈んでほぼ暗くなってから出発したが、なんとタイヤがパンク。真っ暗な中交換するというハプニングもあったが。角の鋭い石塊が多く転がっているので、あたる角度が悪かったのだろう。それにしても、パタゴニアに続き、パンク頻度が高い。

 

 

 宿で夕飯をとる。これは宿が出してくれた。炊き込みご飯とクスクスにトマト味の羊肉のシチューをかけたものだ。「最後のちゃんとした夕飯かな」と英さんが。食事を終えて荷造りをして、タッシリの台地に上がるためのキャンプ地Akba Tafilaletへ。

 「明日は朝日が地面を照らしたら朝食、その後すぐに出発」とアンドラスが。時間がないので、できればテントをはらずにマットの上に寝袋だけで寝てほしい、と。神経痛もちの私は冷えるのがいやだったが、仕方ない。

 風が出てきた。地面に横たわるとかすかに顔に砂がかかる。荷物を運ぶロバたちも少し離れた場所にすでにスタンバイしているのだが、うとうとしていると、ロバが叫ぶ声が響いて目が覚めるのだった。

タッシリ・ナジェールの旅 1日目

 今日からアルジェリアタッシリ・ナジェールの台地に約2週間の旅程で出発する。2018年の11月にもタッシリ・ナジェールの麓の壁画サイトを周遊したが、台地の上はリビア国境のすぐ近くであることから、長く観光客を受け入れていなかった。リビアは相変わらず内戦状態だが、国境付近の情勢は落ち着いていることからアルジェリア政府も受け入れることにしたようだ。2018年の暮れか2019年の年明け早々だったと思うが、一度開放したところ観光客の転落事故死があり、再び立ち入り禁止になったという話も聞いていたが、詳しいことはわからない。その後コロナの流行もあり、閉じたままになっていたようだが、2018年同様、ハンガリーアンドラス主宰のツアーで台地の上の主な壁画サイトを巡るものが予定されていると知り、参加することにした。

 今回は長くサハラの壁画を撮影してこられた英隆行さんとも一緒だ。アンドラスのツアーがあることも英さんから教えていただいた。英さんは10月初旬に壁画の写真展を東京で開催したばかりだ。高精細データを実物大にプリントしたものを展示する企画は本来2年前に開催する予定だったが、コロナ禍で延期されたいた。私は京都で開催された際に見ていたが、今回もあらためて見学。やはり実物大は迫力がある。イヘーレン様式の壁画もアンリ・ロート隊の複製画と見比べられるように展示されていて、前回よりも少し知識が増えたこともあり、見ごたえがあった。

 アルジェリアはあいかわらず個人旅行を受け入れていないので、ビザの申請が大変だ。日本人は原則、いくつかの指定された旅行代理店のツアー参加だけが認められているのだが、アンドラスのツアーはアルジェリアの旅行代理店が催行する形式になっている。この代理店が本国で手続きをして、政府の観光部門から外務省経由で大使館に連絡が来てはじめてビザ申請の手続きができる。前回は1ヶ月半以上かかった。英さんは大阪在住なので、私が二人分手続きしたのだが、今回は拍子抜けするほど早く連絡が来て、難なくビザが発給された。

 ビザも心配ではあったが、今回最大の懸念は体力的なことだった。タッシリの台地の上へは車などは入れない。徒歩で約700メートル上がって、台地の上はトレッキングのツアーだ。旅程表を見ると最大一日15キロ以上歩くようになっている。荷物はロバが運んでくれるのだが、もともと運動不足なのに加えて、今回は8月に腎臓結石の手術で入院したこともあり、すっかり足が萎えてしまっていた。

 入院そのものは5日ほどのもので、手術も大したこともなかったのだが、事前に尿路にステントという管を入れ、内視鏡手術がしやすくなるように必要があった。約2週間前にこの処置をして手術に臨むのだが、ちょうどコロナの第七波の流行のピークと重なってしまい、予定の日に入院できず、帰されてしまった。前の週に娘の職場で感染者が出て、娘も陽性反応が出ていた。約5日接触を避けていたので問題無いかと思ったのだが、もう1日非接触でないと規定にひっかかるとのこと。手術は2週間延期になってしまった。

 仕方ないので空き屋になっていた国分寺の実家に一人で泊まることにしたが、この延期分の2週間は痛みと頻尿で横になっている時間が多かった。退院後はすぐに歩き始めたが、手術前の約4週間全く歩いていなかったため、4、5キロも歩くとがっくり疲れるまで筋力が落ちている。この後、2ヶ月弱でどこまで筋力を回復できるか、毎日荷物を背負って少しずつ距離を延ばして回復につとめたが、10キロ近く背負って10キロ歩くとかなりいっぱいいっぱいで、毎日10〜15キロ以上、10日間続けて歩くとなるとまだ不安だった。アンドラスは「70代以上の人が大勢いるんだから、何の心配もない」と言うのだが。

 ドバイ経由で向かったが、成田空港は夜8時過ぎるとほとんどの店が閉まっている。コロナの影響が続いているのだが、とても国際空港とは思えない雰囲気だ。空港で薬や身の回りの物を買おうと思っていた人はかなり困るに違いない。

 日本は帰国時に72時間以内のコロナの検査で陰性証明をもらわないと入国できないようになっていた。航空券を予約した際にもまだこの規制が続いていたので、仕方なくドバイで一日検査のためにとってあったが、その後10月から撤廃された。

 ドバイはもうコロナなど関係ないかのようにギラギラだった。ドバイまでの機内も途中まではマスクしている人も多かったが、もう誰もしていない。

 

ドバイ空港

 アルジェに着くと、アンドラスが待っていた。アルジェ空港は様子がかなり変わっていて、待ち合わせに指定した店も無くなっていたのだ。他のメンバーとも合流。今回は久しぶりのタッシリ開放とあってか、かなり人数が多かった。以下の通り。

ハンガリー人のアンドラスと奥さんのマグダレーナ、ベルギー人のクーン、ポルトガル人のジョアンナ、スコットランド人のローマン、ドイツ人のハンスとペトラ、カナダ人のミシェル、アメリカ人のマイケル、フランス人のジャック、ジャン=ピエール、ジャン=ロイク、そして日本から英さんと私の計14人。ツアーは前半と後半に分かれていて、前半がタッシリの台地、後半は私も前回参加した麓のタドラートなどを車で巡る日程だった。私は前半だけで帰国する。

 空港に着いたときは、アンドラスの他、まだ3人しかいなかった。今回はフランスの壁画研究の重鎮が参加すると英さんから聞いていたが、名前を憶えていなかった。3人のうちひとりに挨拶した際、小さな声で「...君は私を知っているかな?」と。見たところ70代後半から80歳くらいだろうか。痩せた眼窩の奥に鋭く光る目を見て、「これが重鎮に違いない!」と思って、「はい、お話は少し伺っています...」などと返事したが、違った。彼はドイツ人のハンス、83歳で壁画が好きで旅を繰り返していて、元は会社経営者だったようだ。

 夜になるとパリ経由で来た英さんも含めてメンバーも揃い、アルジェからタッシリの麓の町ジャーネットまで国内便で飛ぶ。宿に着いたときはもう2時をまわっていた。新しい道路が多くできるなど、町がずいぶん変わっているようだ。宿は前回同様、ツアーを催行している旅行会社の宿だ。こちらも少し新しく装飾されるなど雰囲気が変わっていた。タッシリの立ち入り禁止とコロナでかなり厳しかっただろう。代表のアブドゥーが「よかったら、国に帰って宣伝してね」と。彼は前回の旅では運転手をしてくれたのだが、英さんによれば地域のトゥアレグの名家の出身とのこと。

 

ジャーネットの宿

新刊が出ます

また、新しい石のフォトブックが出ます。創元社から「不思議で奇麗な石の本」として3冊シリーズで企画された最後の一冊、『縞と色彩の石 アゲート』です。縞メノウに特化したフォトブックで、これまで既刊書で紹介してきた自分のコレクションだけでなく、オーストリアのコレクターハンネス・ホルツマン氏など所蔵の一級品がぎっしり詰まったものです。是非書店でご覧ください。また、「不思議で奇麗な石の本」の函入り3冊セット商品も発売されます。

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新刊が出ます

企画4年・制作に3年以上かけた図鑑『世界のふしぎな木の実図鑑』(小林智洋・山東智紀 著 / 山田英春 写真、創元社)が刊行されます。今回私は写真を全て撮りおろし、もちろんデザイン・組版などプリプレスを全て行っています。写真は深度合成で作成されたもので、細かい部分まで全てにピントが合った精密なものです。

不思議な構造をしている世界各地の珍しい木の実・種が満載の、他に例のない図鑑です。

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『世界のふしぎな木の実図鑑』