谷保

娘を国立に連れて行く用があったので、国分寺の母親を呼んで谷保に散歩に出かけた。谷保天神周辺は子どものころ、よく遊びに行った場所だが、20年ぶり(もっとかな?)くらいに訪れて、あまり印象が変わっていなかったので驚いた。もちろん、畑などは少なくなっているが、水田も残っているし、なにより水田用や生活用の水路がたくさん残っていた。この用水路に入って、橋の下に潜り込んだりしてザリガニを取ったのだった。水は当時よりも奇麗かもしれない。ゴミもほとんどなく、水草が揺れている。ザリガニも上から見ただけでもたくさんいた。谷保天神から隣の矢川駅まで、途中保存されている古民家と郷土資料館を経由して歩いた。懐かしく楽しい散歩だった。最近、週末は嫁が義母の介護で留守にしていて、娘とあちこち歩くことが多いが、どうも懐古的になりがちなのだ。
途中、これまた懐かしいゴミ箱を見た(写真左から二番目の)昭和40年代半ばには、こんな小さなゴミ箱で数軒分のゴミの収納に足りていたんだなと、改めて気づく。ここのところ義母がほぼ臥せっているので、昼食、夕食と総菜や弁当などを買うことが多いが、ゴミの多さにうんざりするのだ。

         

古賀さんのコメントを読んで、自分は「呪術的である」と言われがちなバンドが結構好きだったな、と、改めて思ったのだった。
そういえば、ブルースやロックの歌詞の構造で、冒頭で同じ詩句を二回繰り返すスタイルがあるが、このスタイルは元はイギリスのトラッドから来た形式で、言葉を繰り返すことに呪的意味合いがあったという話を読んだように思う。
I went down to the crossroad fell down on my knees
I went down to the crossroad fell down on my knees
Asked the lord above "Have mercy now save poor Bob if you please"
というような形式のことだが。

My Life in the Bush of Ghostsの著者、エイモス・ツェツォーラはナイジェリアのヨルバ族出身らしい。この、ヨルバ族という人たちの作るものが私はとても好きだ。とても美術的な表現に長けた人たちだと思う。80年代に話題になったトゥインズ・セブン・セブンもヨルバ族らしいが、木彫やビーズ細工の民芸がとても面白い。あまりに面白いので、ビーズで覆った鳥のたくさんついたヘンテコな冠を数年前に買ってしまった。