ニューグレンジの冬至

lithos2006-12-21

今年の冬至の夕日は、残念ながらメーズ・ホウのあるオークニーでは雲に隠れてしまい、「イベント」は見られなかったようだ(数日前の日記を参照してください)。一方、アイルランドのニューグレンジの遺跡周辺では、冬至の朝は良く晴れたようで、正面の入り口が朝日に照らされている写真を、地元のアマチュア研究家マイケル・フォクスがサイトにアップしている。
http://www.knowth.eu/winter-solstice-2006.htm
ニューグレンジでは、冬至の朝日が細い通路の地面を這うように進み、奥の石室を照らす構造になっている。さらに、入り口の上に作られた小さな明かり窓から入った光が、通路の壁を照らしながら奥へ進むように作られている。今回のマイケル・フォクスのレポートには、通路を進む光線の様子は写っていない。冬至の朝のイベントを内部で見たいという希望者はここ数年大変な数になっているのだ。今年の見学希望者は27000人いたらしい。この中から50人を選ぶ抽選会が9月末に行われたという。実に540倍だ。毎年番号を選ぶのは地元の小学生なのだそうだ。
この540倍の抽選で選ばれる幸運を手にしたとしても、当日朝日が差すとは限らない。マイケル・フォクスのサイトにはここ数年の画像がアップされているが、2005年の冬至の朝は日が隠れてしまったようだ。見学者もさぞ落胆しただろう。抽選で選ばれた現代の巨石好きにとって、冬至の朝の好天は祈るような気持ちだろうが、当然ながら、この施設を作った5000年前の人たちにとっては、もっと大きな問題だったに違いない。
この施設は墳墓であるというのが、大方の考古学者の見解だが、出土したのは人骨の断片が数人分と少なく、何らかの宗教的な儀式を行う場所だったという見方をする人も多い。石室の奥には石で作った丸く浅い鉢のようなものがある。ここに水をため、細い通路を進んだ光が水を照らしたとき、太陽を丸い鉢の中に写した、つまり迎え入れたと考えたのではないかと推察した人もいる。冬至の朝日が入ってくるかどうかは、一年を占う重要な神事にかかわるものだったかもしれない。
ニューグレンジは円形のマウンド状の施設だ。直径約90メートル、高さが約10メートルと大きく、12世紀ころに大きな城塞が作られるまで、アイルランド最大の建造物だった。ほぼ中央の石室まで細い通路が続くが、面白いことに、入り口の丁度対角線上、つまり通路を通って石室の壁を突き抜けた向こう側に、面白い模様を彫りつけた飾り石が置いてある。周囲に光りが広がる、太陽のような形が複数彫られている。「太陽を中に迎え入れた」として、石室内が再び暗くなったとき、太陽はどこにいったことになったのだろう。石室の奥を突き抜けて、反対側から外に出たのかな、と、勝手に想像してみる。
アイルランドの古い神話では、ニューグレンジなどのマウンドは、トゥアタ・デー・ダナン=ダーナ神族とよばれる者たちの棲む世界だと考えられていた。特にニューグレンジは「善き神」ダグダのもので、中には不老不死の世界が広がっていて、食べ物が無尽蔵に出てくる大釜があったといわれていた。ケルト人がやってくる前、アイルランドはこのダーナ神族の世界だったが、ケルト人との闘いに敗れて、マウンドの中の地下世界に住むシード、妖精のようなものになったとされている。ダーナ神族は「光の人々」とも呼ばれていたというので、彼らはケルト人がアイルランドに入ってくる前の先住民が神格化されたものではないかと考える人たちもいる。以前、ブリテン島、アイルランドに残るケルト的文化は、大陸から移住したケルト人によるものではないかとされてきたが、最近の遺伝学的調査で、大規模な移民などはなかったと、ほぼ結論が出たようだ。大陸文化の影響を様々にうけつつ、独自の鉄器時代の文化が開花したというのが現在最も有力な見解のようだ。「ケルト」というタームは、学者は使わなくなっている。ケルト人の渡来はなかったとしても、こうした「ケルト時代」の古い神話の中に古代の習俗の記憶、残響のようなものが織り込まれている可能性はあるかもしれない。
ニューグレンジの近くにあるKnowthの遺跡には様々な模様が彫られた石が大量にあり、同時代のヨーロッパの岩絵の四分の一が集中しているとも言われている。この模様に関する面白い解釈を1983年にマーティン・ブレナンが試みて、大きな話題をよんだ。
(拙著『巨石』説明図入りで紹介しましたが、近々、サイトでも少し詳しく紹介しようと思っています)

左がニューグレンジの正面入り口、右は入り口の反対側に置かれた、独特な模様のある石