仕事部屋を片付ける。

数年ぶりに仕事部屋や倉庫を本格的に整理・掃除した。机の下、本棚の上などに積み上げてあった古い雑誌やパソコンソフトの箱などを片付けたら、とんでもない容積のゴミになってしまった。とっておけば役に立つこともあるかなと思っていた諸々の資料や小間物も、思い切って処分した。10年以上も同じ場所で仕事をするのは初めてだった。そうした物どもがオリのように堆積して、ここ数年なんとも重苦しい感じだったが、随分とすっきりした。いろいろあった今年、自宅以上に生活の場である仕事場の環境に、ひと区切り付けたかった。

それにしても、パソコン関連の機器、道具類というのは、時間が経つと全く価値がなくなってしまって虚しい。道具としての愛着もわかない。これまでにデスクトップ・パソコンを7台、ノート型を2台買った。最初に買ったQuadra700というマッキントッシュは確かメモリが68MB、ハードディスクは250MBもなかったように思う。大きな画像にフォトショップでフィルターなどを使うと、時計マークが出たきりずっと動かない。3Dソフトのレンダリングなども異常なほど時間がかかり、仕方ないので仮眠しつつ待つと、明け方になって「メモリが足りなくてダメでした」みたいな表示が出る。「ダメならダメと、先に言えよ!」と脱力したものだ。知り合いの編集者が企画した1000頁以上にもなるDTPをこなすため、当時最大容量だった1ギガバイトのハードディスクを購入したときは、その編集者が「ギガなんて単位は怪獣図鑑くらいでしか見たことないな」なんて言っていたのだが、今は「テラバイト」の外付けディスクが出ている。古いソフトのディスクやマニュアル、ケーブルやキーボードなど、何の躊躇もなく捨てられたが、版下作業をやっていた時代のテンプレートや雲形定規などは、とてももったいなくて捨てられなかった。おそらく今後使うことはないと思うのだが。

3日ごしの片付けが済んで、くたびれて、夕日の当たる隣の家の壁をぼんやり見ていたら、浅川マキの「引越し」という曲が頭の中で流れたのだった。

「今日、私の部屋に西日があたりました。近いうちにこの部屋を出て行く」

部屋は東向きだし、それほど近いうちには出て行くこともないのだが――。片付けながら、いろんなことを思い出した3日間だった。