小学校の歌集/「グリーン グリーン」

小学校に入ったとき、ポケットに入るくらいの、小さな歌集をもらったのを憶えている。青い表紙に黒い二頭の象のシルエットがあり、花模様がついているという、どこか当時木馬座の広告などで馴染み深かった藤城清治っぽい雰囲気だったように記憶している。収録曲は「ニワトリとタマゴ」や「一週間」、タイトルは忘れたが、例の音が出なくなったクラリネットの歌など、外国の民謡などに詞をつけたものが多かったように思う。戦前の小学校唱歌の思い出などを聞くと、文語調の歌詞が多く、ほとんど意味がわからないまま歌っていたというような話があるが、私の年代に受け取った歌集も「クゥークヮイマニマニマニマニ.....」」とか「サラスポンダ、サラスポンダ」とか「アチャパ」だったか「アパチャパ」だったか忘れたが、不可解な言葉があふれていた。当時は音感の面白さと、添えられていたイラストだけが印象的だったが、改めて見ると「XX国民謡」とあり、そうだったのか、と、認識を新たにする。いったい誰が曲を選んでいたのか。


明治時代に学校教育が始まると、「蛍の光」などのスコットランド民謡が多く取り入れられたが、歌詞は日本独自の「超訳」というか、原曲の雰囲気を残しつつも、「教育的な」テーマの歌詞に作り替えるということが盛んに行われたようで、「蛍の光」は元はロバート・バーンズの歌詞で、旧友と昔を懐かしみつつ酒を酌み交わす歌、「故郷の空」は麦畑でいちゃついている歌だったりするが、それを日本の領土が広がるたびに表記を変えたりしつつ「千島の奥も沖縄も八洲のうちの守りなり」などという愛国歌に仕立てたりしていた(後に原曲に近い訳詞版が作られるが、我々の年代ではドリフターズ版の品の無い歌詞が印象深い)。


小学二年生の娘の持っている歌集を見てみたら、やはりかなりラインアップが違って、知らない曲も多い。「となりのトトロ」や「ラピュタ」の主題歌が入っているところが、いかにもな感じだ。懐かしい「小さな木の実」も入っている。ぱらぱらとめくるうちに、「グリーングリーン」という曲に目がとまった。作曲はB.McGuiteとある。聞いたことのない歌だ。
こんな歌詞だ。「ある日パパとふたりで、語り合ったさ この世に生きる喜び そして悲しみのことを」(ふむふむそうか、なるほど)。「ある朝 ぼくは目覚めて そして知ったさ この世につらい悲しいことがあるってことを」(まあね、でも「その朝」に何があったのかな)「あの時 パパと約束したことを守った こぶしを固め 胸をはり 僕は立っていた まぶたには涙があふれ 丘の上には緑がぬれる」(どうした、「あの時」何があったんだ?)「その朝 パパは出かけた 遠い旅路へ 二度と帰ってこないと僕にもわかった」(「その朝」っておい、どこに行くの? 子供はどうすんだよ?)「やがて時が過ぎ行き、僕は知るだろう パパの言ってた言葉の意味を」(え、もう「時が過ぎて」... じゃあ、やっぱ帰って来なかったのか。「パパの言葉」ってどんな?)
という、なんとも不可解な歌なのだ。パパは何をしに、どこに行ったのか、さっぱりわからない。「こんな歌知らないなあ」というと、娘は「えぇ? 知らないの」とかいいつつ、歌ってみせるが、「どういう意味の歌なんだよ?」と聞くと「そんなことは知らない」と。娘にとっては「サラスポンダサラスポンダ」とまではいかないが、かなり意味不明の歌のようだ。作者の名前を見るとスコティッシュ系なので、原曲はもしかすると昔の抵抗歌、戦に出て行く親父の歌なのかもしれないと思い、ネットで調べてみたらば、これがなんともおかしな話だった。
原曲は63年に発表されたアメリカのフォーク・バンドThe New Christy Minstrelsのものらしい。歌詞を知って大笑いした。この曲の来歴について詳しく書いているサイトがあるが、掲載されている訳を見ると、こんな感じなのだ。


生まれたその日にママに言ったさ
俺が出てっても泣かないでおくれ
女のために落ち着く気はないのさ
俺はただ彷徨い続けるのさ 歌いながら
この広い世界に誰も居やしない
好きなように生きろと言ってくれる奴を
俺は愛に満ちた放浪者
なあ相棒、小銭を貸してくれないか?
涙が出てくるよ
緑に溢れる希望の地よ 谷間にあるのかでこぼこ道か
そこへこれから辿り付くのさ 気楽に行こうぜ!


これはおなじみの根無し草野郎の歌じゃないか! しかも、この原曲の歌詞と日本の歌詞を総合して考えると、生まれながらの風来坊のこいつはどこかで子供まで作ったけれど、「女のために落ち着く気はないのさ 俺はただ彷徨い続けるのさ 歌いながら」さらに「なあ坊や、この世につらい悲しいことがあるってことを知っておけよ」と言いつつ、「緑あふれるどこか他の地を目指して、気楽に出て行った」きり帰ってこなかったことになる。つまり、原曲の後日談を、日本の作詞家が子供の目線で語った歌にしているような感じなのだ。この子は父親が別れ際に言ったなんらかの言葉(たぶん適当な言い訳みたいなもんだろうけど)を信じて生きてきた純朴なやつなのか、成長して、「やっぱ俺も親父似かな」と、腑に落ちてしまった風来坊二世なのか。


訳詞を引用させていただいたのは、以下のサイトで、日本で馴染み深いいろんなフォークソングの由来などが面白く紹介されている。
http://www.worldfolksong.com/closeup/green/page1.htm