全生園で花見

今日は娘の同級生の家族と近くの全生園で花見をした。全生園には見事な桜の巨木が並ぶエリアがある。咲くと主に近隣住民が花見をしに集まる。住んでいる人たちの迷惑にならない範囲であれば、宴会もOKということになっている。狭いエリアなので、子連れでも、子どもたちは見える範囲で木に登ったり、棒切れを振り回したり、適当に放ったらかしにしておけるので気楽なのだ。

全生園は国立のハンセン氏病の隔離施設で、明治42年につくられた。完全に社会と接触を断つために造られた施設だったため、広大な面積の中にかつては自給自足のための施設が全て揃っていた。畑、養豚場、子どもの患者の宿舎に図書館もあった。逃亡を阻止するための深い堀に囲まれていたというが、現在は入り口が開いていて、自由に入れるようになっている。
園内は緑豊かで、他であまりみかけなくなった虫などもいるため、よく散歩に行っていた。娘が自転車に乗れるようになったのも車がほとんど通らない全生園で練習したからだ。いかんせん広いため、園内を全て歩いたことはなかったが、南の端に「ぐるぐる山」とかいうのがあるというので、土曜にローラースケートをはいた娘に連れられて行ってみた。
通称「ぐるぐる山」は小ぶりな築山だった。螺旋状に上がって行く道がついているので、そんな名がついたのだろう。説明板がある。開園してまもなく、園内の開墾をした居住者たちが、掘り起こした木の根などの上に盛り土をして、垣根の向こうの遠くの山並みなどがが見られるようにと、望郷の念をこめて造ったものだという。上には誰がいつ頃つくったものかわからないが、両腕のない女性像が立っていた。自由を奪われていた住民たちの象徴なのだろうか。ほんの数年前まで、古い隔離法が残っていたのだ。強制的に堕胎させた胎児を多数標本にしていたという酷い話もごく最近報道された。入居していた人たちの苦難には想像を絶するものがある。
現在は居住者も減少の一途を辿っていて、我々が越してきた後も、古くなった家屋がとり壊されるのも見てきた。3年ほど前まであった畑も、今は潰されて植木が植えられている。娘にトマトをもいでくれたあの老人はどうしただろうか。垣根の低い古い平屋の木造家屋、洋館風の集会場、雑木林、肥溜のある畑など、全生園で目にした景色は私が小さかった頃に見た武蔵野の雑木林、畑、友達が大勢住んでいた都営住宅などと不思議と重なり、妙な懐かしさと既視感を憶えていた。
娘と一緒に住宅が並ぶエリアを歩いていると、ある家の角先で「今日は寒いわねぇ」とにこやかに声をかけられた。「そうですね。昨日は暖かかったのに、なんだか変わりやすいですね」と言って通り過ぎた私の袖を引っ張って、娘が小声で「ねえ、知ってる人なの?」ときいた。いや、初めて会う人だけど――。でもそういえば、私はこのおばあさんと昔、どこかで会ったことはなかっただろうかと、不思議な気分になる。子どもの頃良く通ったあの菓子屋のおばあさん、向かいの家に住んでいたおばあさん、農家の友達の家にいたおばあさんはどんな顔をしてたっけ? あんな様子の人じゃなかっただろうか――と。