切手収集

lithos2007-04-08

昨日は娘と一緒だったので、新宿の京王デパートの切手売り場に行ってみた。7階の「趣味」のコーナーだ。数年前に星座の図鑑の仕事をしたとき、世界の星座関連の切手を探したのだが、池袋の東武デパートの切手売り場で、「切手なら新宿の京王デパートに行きなさい」と言われたのだ。なかなかこういう言い方をする店員はいない。
行ってみると、なるほど、本当に世界中の切手が国別やジャンル別に沢山ストックされていて、あっという間に、見開き分のレイアウトに十分な綺麗な切手が揃ってしまった。見ていて飽きないので、いずれまた来ようかと思っていたのだ。
売り場は「趣味のコイン」「賞状」などと一緒に端っこの人気の無いシーンとしたスペースに押し出されていて、ちょっと寂しかった。店員は見るからにベテランの女性で、何かお探しですか?というので、じゃあ、鉱物の切手を見せてくださいと言うと、すっと一冊出してくれた。綺麗な切手が満載で、しばし目を奪われる感じだった。切手の印刷は丁寧かつ贅沢なものが多いのだ。
シャラポアの趣味が「切手収集」だと聞いて、似合わない「地味な趣味」だと言われていたが、私が子どもの頃は切手収集の大ブームだったし、多くの子どもが通過するメジャーな趣味のひとつだったように思う。70年代中盤くらいまでだろうか。郵便局に長い列が出来たほどだ。その後、かつてほどのブームは二度と来ていないように思う。昨年亡くなった義母も集めていた。古いストック・ブックに日本の切手がたくさん入っている。シートで買っていたので、15円とか20円とかの同じ切手がたくさんあって、あまりに多いので、少しずつ使ったりしている。仕事先への’郵便物に「沖縄返還」とか「万博記念」の切手を貼ったりしているのだが、何の冗談かと思うかもしれない。
私は3歳まで米国に住んでいたので、姉と二人で米国の切手を沢山持っていた。また、隣に住んでいたユダヤ人家族と仲良しだったので、その家族からドイツの切手を沢山もらった。中にヒトラーの切手が数多くあったが、もちろん小さい頃はそれが誰なのかわからない。「チョビひげのおじさんの切手」として認知していた。かつてそのユダヤ人家族の係累から来た郵便物に貼ってあったものだろうか。今考えるとそれらの切手が貼られていた封書はとても重いものだったかもしれない。
日本に帰ってからは、年上の従姉が同居していたが、彼女も切手を集めていた。高校を卒業して物産会社に就職すると、同僚が世界各地から届く郵便物から切手をはがしてくれたようで、あっというまに世界中の切手が集まった。強く記憶に残っているのは、フランコのハゲ頭が大写しになっている、正方形のスペインの切手だ。値段別に色分けされていた。これまた、当時は「ハゲの切手」としてしか認知しておらず、そのハゲがどういう人間だったか知るころにはそれらの切手は全て年下の従弟にあげてしまって、手元には何も残っていなかった。
京王デパートで、鉱物の切手と、イギリスの「パンチとジュディー」などの古いパペットの切手があったので、何枚か買って帰った。記念切手を最大の外貨獲得産業としている国がいくつかあるが、後10年ほどしたら、郵便の状況はどうなっているだろうか。京王デパートのベテラン女性店員は「やはり、昔の凹版印刷の切手などは風合いがよろしいですね」と言っていたが、そうか!確かに子どもの頃から手触りの違う切手があるなと思ったいたのだが、こんな職業についておきながら、今頃気がつくとは。指先で触れても、はっきり凹凸が感じられる凹版の切手は最近の日本の切手にはもうないのではないか?