コスタリカの石球

古代遺跡好きにとってコスタリカは「石の球がある国」なのだ。首都サン・ホセの博物館にはバランスボールくらいの大きさから直径1メートル以上あるものまで、大小いくつかの石球が展示されている。
石の球の発見は1930年代だ。コスタリカ南部の太平洋岸でアメリカのユナイテッド・フルーツ社がバナナ農園を作るための大規模な開墾を始めたところ、ゴロンゴロンと地中から出てきたものだ。これまで見つかった球の総数は500個以上(1000ほどという記述もある)、小さなものは野球のボールくらい、最も大きな球は直径2.5メートルにも及ぶ巨大なものだ。

作られた年代については紀元600-1500年頃と非常にアバウトな説明が付けられている。失われた文化であり、用途などはわかっていないが、集落や埋葬地の近くから出てくる場合がほとんどだという。
「これらの球はほぼ真球に近い正確さで作られていて、石器しか持たなかった先住民が作ったものとは思えない」と、オーパーツ=そこにあるはずのない遺物の話が出てくると必ず話題になる遺物だ。「真球」というのは大げさで、平均して96%くらいの精度なのだという報告もある。古くはエーリヒ・フォン・デニケンあたりから始まる超古代論者にとっても重要な遺物なのだ。球型の宇宙船を模したものであるとか、巨大な天体模型なのだというような様々な説が百花繚乱なのだが、同時代に作られた見事な彫刻を施した石の椅子など、数々の石彫の遺物を見ると、この球を作った人々は石彫に関して、卓越した技術をもっていたことがわかる。ちなみに数年前、日本のテレビ番組で、石器だけでどの程度のものが作れるか、日本の石工が試みるという企画をやっていた。かなりの時間がかかるが、石器だけでも同等のクオリティーのものが作れることが証明された。「オーパーツ=ありえない遺物」というわけでもないのだ。謎なのはこれだけ多くの石の球を残した彼らの心性なのだ。

コルコバード国立公園に滞在することを決めた後、石球が発見されたエリアが比較的近くにあることを知った。旅行代理店に問い合わせたところ、主なものを見るには一日がかりになるというので、「石の球」だけに一日かけるのもどうかな....と迷ったが、やっぱり、用途不明の巨大な石のモニュメントとなると、「巨石」の著者としては行かざるをえない(ような気がしてきた)。
石の球がたくさん残っているのはPalmar Sur周辺で、この町には空港がある。サン・ホセからこの町に飛んで、石球を見た後でコルコバードに行けば無駄のないスケジュールなのだが、どうも現地の代理店との意志の疎通がうまくいかなかったので、一度コルコバードに入ってから、再びボートで出て来るはめになった。マングローブが茂り、ホテイアオイなどの水草が流れるSierpe河を延々と遡上した。
Palmar Surの町にはあちこちに石の球が置いてあるが、いずれも石が発見された場所ではない。石球がほとんどが記録を残すことなく掘り出され、運び去られたため、元々どのような配置で置かれていたかわからなくなっている。
 

「元の配置」がわかる数少ない例が、バナナ農園内に保護されており、研究者に案内してもらった。これらの球は調査が終わった後、もとのまま埋め戻された。三角形に配置されたものが2ペア、対象形に配置されている。また、同じエリアには、以前近くから発見され、首都の博物館に保管されていた石球が「産地」に返還されたものが多数ある。発見現場を見ていた人の証言により、「円形」に配置されている。
 

ちなみに、石球が発見された際に大規模な開発を進めていたユナイテッド・フルーツ社(現在のチキータ)は、中米の政治経済に甚大な影響を与えた企業で、土地の取得、労働者の確保と待遇、価格操作などに関して、様々な悪行を重ねてきた。先住民の共有地を奪い、強制的にプランテーションで奴隷のように働かせる商売(グァテマラ先住民の解放運動を続けてきたリゴベルタ・メンチュウは朝から晩まで働いて賃金は1ドルだったと書いている)は現地政権との様々な癒着によって確立されていったが、グァテマラでは可耕地のほとんどを私有化し、一時国家経済を事実上掌握するに至った。50年代に入って、リベラル系政権がユナイテッド・フルーツ社の土地の再分配と輸出品に課税する法律をつくると、CIAとともに軍部によるクーデターを画策。アルマス将軍による軍事政権が樹立され、この法律は即座に廃棄された。当時のCIA長官であったダレスはユナイテッド・フルーツ社の大株主だった。軍事政権は以後40年間続き、数十万人の人間が殺されることになる。
石球が発見されたエリアでは、現在はバナナ農園の規模は非常に小さい。労働者の賃金と農薬による健康被害を巡って大規模なストライキがあったことを境に、バナナ農園からパーム・オイルを採る椰子畑へと転換していったのだという。延々とアフリカ産の巨大な椰子畑が続いていた。遺跡の隣で、古い錆びたケーブルに滑車を付けて、バナナの房を走って運ぶ人たちがいた。現在はチキータの所有ではなく、デルモンテに売っているとのことだった。

私の名はリゴベルタ・メンチュウ―マヤ=キチェ族インディオ女性の記録

石球には半分に割られているものが多数ある。石球文化の担い手は黄金の細工品を多数残した人々なので、球には黄金が隠されているという噂が広まったからだ。もちろん、天然石なので、中には何も入っていない。
10数年前、日本のテレビ番組「新世界紀行」で、オーパーツの特集をした際に、新しく発見された、これまでで最大の石球を紹介していた。その石球は今でも伐採が進む山肌に、そのままの状態で置かれている。表面の多くが失われた、いびつな形だが、非常に大きな石球だ。また、同じ頃、近くでかなり大きな石球が二つ発見された。これらの球を開発業者が持ち去ってしまわないようにと、地元の高校生が道を塞いで球を守ったのだという。今、二つの球は高校の校庭に置かれている。なかなか立派な石球だった。
  

石球めぐりは、娘に「石球フンコロガシ」のポーズをとってもらって終了。