マヤ・アステカ・インカ展など

例によって背中をピリっとやってしまった。身体を120度くらいに曲げて、階段を上り降りしている。情けなし。折角今年は恒例の夏前の腰痛が無かったのに。
そういえば、先週末、上野の科学博物館で開催している「マヤ・アステカ・インカ展」を見に行った。入場者調整をしていて、行列ができていたので、ゲンナリしたのだが、帰るのも何なので並ぶことに。もう50m行列が長かったら、多分カタログだけ買って帰ったと思う。並ぶのは大嫌いで、飲食店に並ぶ人の気が知れない。
大きなものは少なかったが、陶器やヒスイの装身具やマスクなど、初めて見る美しい遺物が多く、それなりに並んだ甲斐があった。いつも数分でダレダレになる娘も、試しにジュニア用の音声ガイドをつけてやると、異様なまでの集中をみせ、最後まで静かでよかった。物をあまり見ずに音声だけに集中しているのも何だなとは思ったが。メキシコの博物館などに行っても、実物の展示よりも映像などAV関係に惹かれるようで、スペイン語で話している映画をじっと見ているから不思議だ。環境のせいかしら。
ヒスイの面はとても鮮やかだったが、これがカタログでは全く色が出ていない。いくら四色分解で出にくい色だと言っても、もうちょっと何とかならないのかと思う。
アステカの展示に「鷲人間」の大きな素焼きの遺物があった。テンプロ・マヨールの遺物の中でも最もユニークな物のひとつだ。鷲の口から顔を出している人物像で、両腕が翼になっている。20代前半くらいのカップルの男の方が「これってコスプレ?」って言ってたのが可笑しかった。確かにそうだ。マヤの王様など、こんなんで本当に歩けるのかよ、というほどゴテゴテした衣装をまとっていて、着ているというより、大きな装身具に「入っている」という感じだ。
見終わった後は、芸大の前を通り(娘の腕をつかんで「裏口」から1歩中に入れようとしてみたんだが)日暮里まで歩いて帰ったが、途中小さな雑貨屋を覗くと見慣れた骸骨の人形が。思わず中に入ったが、奇しくもメキシコ好きの店主だった。昨年オアハカに行ったというが、死者が出た騒動の後だったので、町中も閑散としていたとのことだった。店はごく趣味的な感じで、脈絡なくいろんな物が並んでいたが、60年代くらいのアメリカの「お色気トランプ」が。ここ数年昭和のお色気歌謡とかお色気レコードの復刻が盛んだったが、こういうアイテムも死語ならぬ「死」文化だなと、改めて気づくのだった。そういえば、ロバート・フリップブライアン・イーノの最初の共作、No Pussy Footingのジャケットで、二人が鏡張りの部屋でムッツリした顔で「お色気トランプ」を扱っていた。さらに思い出すのは家の台所の棚の奥の方に函に入ったペアの杯があり、これが底に丸いガラス玉が入っていて、酒を注ぐと「お色気」写真が現れるという他愛ない趣向だった。他愛ないのだが、妙に丁寧な函に入っている。なんでも親父がどこかの集まりの「土産」として貰ってきたらしい。どういう集まりだったんだ。