長い長いトンネルから抜け出せず。ちゃんと生きていることを示すためにも、ちょっと書かねば。
毎年、一番好きな紅葉の季節が一番忙しい時期なので、なかなか出歩けないのだが、日曜は無理してでも出歩くようにしている。
先週末は娘と近くの川沿いをずっと歩いていった。家の近くを流れている空堀川は干上がっていることが多いので、川床を歩く。所々水が溜まっている場所があり、魚が集まっているので、カワセミがいる。このときも西武線の鉄橋の下で見かけた。ついでに橋の下に住んでいる人も見かけた。
散歩の終わりに、川沿いの伸光湯という清瀬市中里の銭湯に娘と入った。昭和40年に始めた銭湯だという。ペンキ絵が有名な職人のものらしく、テレビの取材などが入ったことがあるようで、写真が飾ってあった。
番台のおかみさんに話をきくと、ずっと薪で焚いているのだという。珍しい。長く馴染みの材木屋から木っ端や廃材を安く仕入れているという話だった。客の数は減るばかりだけれど、昨今のガソリン高騰の影響が少なく、助かっているという。
以前、燃料用の廃材の中から、手塚治虫長新太やなせたかしなど複数の漫画家・絵本作家の合作による大きな壁画が見つかったことがあったのだそうだ。1987年の埼玉県のフェスティバルに参加したフジタ工業のパビリオンの用につくられたものが、解体されて流れてきたらしい。伸光湯の夫妻が漫画家のサインを見て、燃やさずに関係者に連絡したところ、清瀬市で保存することになった。今は児童センターの2階に展示してあるそうだ。

今週の日曜はまたぞろ小金井公園に行き、江戸東京建物園に入った。子どもの遊び場になっている広場で、ベーゴマの回し方をおぼえた。普通のコマは子どもの頃随分と遊んだが、ベーゴマは近所でやっている子どもがいなかったこともあり、この歳になるまで回し方を知らなかった。なかなか難しい。
その後、竹馬に乗った。すぐに感覚を取り戻したまではよかったが、最後に足がひっかかって派手にコケる。情けなし。よく中高年が山歩きで怪我をするのは、気持ちばかり先に行って足が出ないからだというが、モロにそんな感じだった....。ここのところ、週末以外ほとんど座ったきり動かなかったので、なおさらだった。
高橋是清の屋敷で妙に値段の高いそばを食べて帰った。二二六事件で高橋が暗殺された屋敷を移築したものだ。
建物園には、職員が趣味で作ったような、「墓場の鬼太郎」の小屋を再現したものがある。なかなかよく出来ている。最近テレビで新しい「ゲゲゲの鬼太郎」をやっていて、再ブームらしく、娘に付き合って実写版の鬼太郎の映画を借りて見たが、これが呆れるくらいだめな映画だった。娘にすら「つまらん」と言われるような代物で、水木翁の存命中にあえて実写版を作るのだから、もう少しなんとかならなかったのかと思う。実写版の企画はおそらく他にもあったと思うが、これで他のものは当分実現しないのだろう。実際、知り合いの編集者がテレビか映画会社かの依頼で作った企画について聞いたことがある。この映画のように、どこか遠くの妖怪の世界に生きている鬼太郎ではなく、中央線沿線の集合住宅に住んでいる、普通の子どもとして生活している「鬼太郎」、家の郵便受けが「妖怪ポスト」という設定で、なかなか面白い話だった。妖怪は中央線の車両なのだった。
建物園の一角は子どもの遊び場も含めて、昭和3-40年代の街角を再現しているところがあり、我々が子どもの頃に見慣れた土管が、「ドラえもん」の空き地よろしく積んであるのだが、その広場で遊んだ後、家に帰って、たまたま「クレヨンしんちゃん」の映画「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」を見た。2001年に公開された映画だ。21世紀はつまらんので、日本を20世紀というか、「昭和」に戻そうとする一派の陰謀で、大人たちが洗脳され、幼児退行していく話だが、「昔」を再現した「懐かしサンクチャリ」のような世界が、感傷的であり続けるために常に夕暮れ時に設定されているというのが、「三丁目の夕日」ブームへの皮肉な予告のような感じでなかなか面白かった。その後、テレビで「しゃばけ」を見るが、親子共々、「ゲゲゲの鬼太郎」の実写版よりずっと面白いという感想だった。最後に妖怪を「説得」で祓うのだが、ちょっとそれが事態の大きさにくらべて物足りない「説得」で、尻すぼみな感じだったのが、残念だった。もうちょっと説き伏せ方に怖さが欲しかった。あやかしが「話せばがわかる」んじゃあ世話がないのでは。