春の通勤

今年の冬はいろいろな面で寒さが骨身にしみて、小さく小さくなっていたので、運動不足も甚だしく、腰の具合もかなり不安な感じになってきたので、朝二駅、秋津から東久留米まで歩くことにした。これがなかなか気分がいい。以前、東久留米まで歩いたときは清瀬と東久留米の間で住宅地に入って、道がわかりにくかったのだが、改めて地図を見ると、南側を回って、黒目川沿いを歩くコースが最短であることがわかった。東久留米駅を挟んで西と東に流れる、黒目川と落合川はそれぞれなかなかいい川なのだ。空堀川はえらい違いだ。
春になると人間も動物も何かと表に出てくる。川原沿いの公園のベンチに毎日じっと座っている大猫がいるが、どうも決まった時間に餌を待っているようで、お年寄りが手ずから与える餌を行儀よく食べている光景を何度も見た。慣れているとはいえ、随分行儀のいい野良猫だ。そうかと思うと、幼稚園に通い始めた子どもが、行きたくないと、歩道の真ん中に座りこんで絶望的に泣いているのを前にして、母親が困り果てている様子などもある。この季節になると、そうした光景をよく目にするが、バスに乗せられるときに「お母さん、いやだよぅ! どうして僕を一人で行かせるの? どうしてなの?」と、3歳にしては非常に表現力豊かに絶叫している子がいたのを思い出す。「確かにそうだよ、ホントにどうしてなんだろな」と、思わず引き込まれつつ、通勤途上で思ったのだった。こういうのは記憶にある限り、たいてい男の子なのだ。今日見たのも男の子だったが、思い出せば、うちの娘も通い初めて数日、声に出して泣きこそしなかったが、足が進まず、まともに歩けば20分くらいの道を4-50分くらいかけていた。目先を変えつつ連れて行こうかと、私が送っていたが、長い川原沿いの歩道の途中、だんだんと足取りが重くなってきて、仕舞いに足が止まるのを、「おっ、あんなところでカモが喧嘩してるぜ、来てみな」とか言いつつ、あるいはピーピー草などを摘んで、鳴らしたりして気を紛らせて送っていたのを思い出す。まだオムツもとれていなかったので、バスに乗せて、「はい、行ってらっしゃい」というのは、ちょっと不憫な気がしたのだが、ついでに、自分にとってもそれなりにいい気晴らしだった。娘も始めは毎日がかなりの緊張だったに違いないが、慣れとは恐ろしいもので、一ヶ月もすると同じクラスの男の子に「ちょっと、来て」とかいいつつ、トイレの始末の手伝いをさせていたのだった。