石が重くて天国にも上れません

近所のおかしなガレージ・セールは売れているところを見たことがないのだが、品物が変わっていくところを見ると、買っている人もいるのだろう。不思議だ。
でも、かく言う私も、今日見たら、巨大な水晶の塊があり、もし日本のものだったら、欲しいような気にさせられたのだった。これはいくら? とあやうく聞きそうになったが、道端に無造作に置かれているわりに値段が付いていないのが、ちょっとこわい。「○○円」「それは高いよ」「じゃあ、いくらなら買うの?」てなことになって、あれこれ交渉したあげく買わなかった場合、毎日前を通って顔を合わせるのも面倒だし...。
来月は新宿でミネラルフェアーもあることだし、昨年末にモロッコの瑪瑙に散財してしまい、改めて、「俺って、こんなに沢山の石とともにどうやって生きていけばいいんだろう」と、気分が重くなってしまった。しばらく買わないことにしよう。
石をたくさん残して死んでいく人っていうのは、遺族にとっては迷惑だろうな、と、つくづく思う。特に私などは結晶鉱物ではなく、重たい瑪瑙やジャスパーの塊を集めているので、中には重くて持ち上げるのがやっと、というものもある。自分でも、なんでこんな石を買ったんだろうと思うようなものも多々ある。自分でもそう思うくらいだから、娘などが、大事にするとも思えない。
海外の瑪瑙好きなどの話を聞くと、小さな子どもがいる人は、「うちの子どもも、石が好きで」なんて言うことが少なくない。現に、我が娘もそうなのだが、これが老人のコレクターの話を聞くと、「子どもは石に興味がないし、いずれは処分しなくては」ということが多いのだ。サイトで石を売っているオランダの有名なコレクターも、「二人いる息子のどちらも、クソみたいな石、とか言ってる」というではないか。悲しい。
もしかしたら、彼の息子たちも子どもの頃は、嬉々として父親と一緒に石拾いに出かけていたかもしれない。それが反抗期になって、「親父、ガレージの石が邪魔なんだよ、どけてくんないと俺の車の出し入れがしにくいンだけど」とか言うんだろうな。
テネシーでPaint Rock Agateという瑪瑙を掘り続けてン十年という人と連絡をとったのだが、二、三年前から「もう歳だし、思い切って処分しようと思う。子どもたちも興味がないようだし」と言っていた。「売るときは連絡するから」と言い続けていて、待っているのだが、一向にその気配がない。しかも、しょっちゅう山に出かけては掘り続けている。処分するどころか、増え続けてるじゃないか....病は深い。