サミットって開く意味があったのか?

600億円もかけたサミットの「成果」が、炭素ガス削減への「ビジョンを共有」とか、原油穀物価格高騰を加速させている投機マネーに対しては「透明性が必要だね」、とか...なんと金のかかる親睦会なのか。こんな程度で世界中からゾロゾロ集まって開く意味があるんだろうか? 
だいたい、600億円はイギリスで開かれたサミットの総予算の3倍だそうだが、山手線の駅とかに警官を沢山配置して、何か「テロ対策」上の意味があるのか。

「共通に有しているが差異のある責任及び各国の能力という原則に沿って、世界全体での対応、特にすべての主要経済国の貢献によってのみ、この課題に対応できることを認識する」って...、一度読んだだけで意味がわかる人は希だろう。主体がどこにあるのか、さっぱりわからない。官僚の作文丸出しだ。
結局、後は国連で話し合おうね、というのだから、もう完全に形骸化している。これで「成果が上がった」と胸を張っている人がいるのが、信じがたい。

ところで、映像を見る度に気になるのだが、福田首相って、歩くときも、「こちらにどうぞ」と、手を延ばすときも、なんだか、妙に手がぶらんぶらんしてる。どこか投げやりなような、力が入っていない感じなのだ。気になって仕方ない。見てるとこちらまで力が抜けるので、なるべく見ないことにしよう。

温暖化は炭素ガスのせいにあらず、という学者もいるようだが、いずれにしても温暖化が急速に進んでいることで環境が激変していることは確かだ。
先日、NHKの「クローズアップ現代」で、日本の沿岸の海草の森である「藻場」がここ数年で激減しつつあると報じていた。近海魚の餌場、産卵場であった藻場が消失することで、沿海漁業の水揚げ量も大幅に減っているという。海の中が急速に砂漠化しているのだ。日本の漁業は従事者の高齢化、後継者不足、さらに燃油代の高騰で10年先のビジョンも見えないのだが、こうした環境の変化が致命的な打撃を与えかねない。東京タワーの電気を数時間消すとか、深夜放送を自粛しようとかじゃなくて、こうした、緊急に手当が必要な事案にもきちんと予算を入れてほしい。対策を講じている場所では、少しは回復の兆しがあるようだし、引退した官僚どもを養うために湯水のように年間12兆円も垂れ流している予算の、ほんの1%でも充てれば、それなりに成果があがるはずなのだ。