EL&P, 先生たちの世界

実に20数年ぶりくらいにEL&Pの「恐怖の頭脳改革」(なんて憶え安い邦題だろうか)を大きな音で聞いた。中学生の頃に聞いた時には、「トッカータ」に、ジャケットでギーガーが描く爬虫類的巫女のようなキャラクターが荒野の彼方から髪振り乱して迫ってくるようなオカルティックなイメージを重ねて、結構好きだったのだが、今聞くと、やはりそれほど面白くない。
数年前まで、最初の曲の「聖地エルサレム」が、ウィリアム・ブレイクの「ミルトン」の序詞から引用されたものだと知らなかった。英国国教会の賛美歌で、デヴィッド・ボウイー主演の映画「地球に落ちてきた男」の中で、ボウイー扮する宇宙人が、教会でたどたどしく歌うシーンがあった。歌なんてものは私の星にはありませんでした、みたいな感じで、笑える場面だった。この詞がなんとも戦闘的で、矢でも戦車でもなんでも使ってイングランドに新しいエルサレムを作るべく戦うぜ、みたいな感じなのだが、我がイングランドにこそ、エルサレムよあれかし、というこの気持ちは、当時のドゥルイド主義にも裏打ちされていたものだ。
ブレイクはストーンヘンジと巨人を神話のモチーフとして好んで描いているが、当時のドゥルイド主義のファウンダーといっていいウィリアム・ストゥークリは、イングランドがローマ化される前の先住民であったブリトン人は、「ノアの洪水」の直後にフェニキアから渡って来た人々で、ブリトン人の宗教的指導者であったドゥルイドは、旧約聖書アブラハムの家父長的宗教の流れを受け継いでいたと考えていた。彼はストーンヘンジはドゥルイドが作った施設と考えていたので、ブリテン島には、キリスト誕生に先だって、キリスト教のエッセンスを体現していた文化があったというイメージがあり、この考えが広く受容されることで、地中海文明によって「蛮族」として支配されたブリトン人の精神的復権と浪漫的愛国心はアクロバティックに融合されたのだが、ブレイクもまた、自らを独特な「ドゥルイド主義者」として語っている。ストーンヘンジを築いたのは巨人たちであるという伝承を、ドゥルイド主義とミクスして、「最古の神殿」(これは「幻像の中のエルサレム」だが)を築く神話的存在としての巨人たちとストーンヘンジの絵を描いたのだが、巨人たちはコンパスとハンマーを持っている。彼らは「原初の石工」のようにして描かれているのだが、コンパス、ハンマー、石工、となると、どうしてもメーソンを想起してしまう。ブレイクとメーソンに実質的な関わりがあったかどうかはわからないのだが。
エルサレムイングランドにこそふさわしい」というところから、さらに踏み出して、本当にエルサレムイングランドにあったんじゃないか? ノアの方舟はアララット山じゃなくて、イングランドに漂着したのでは? と本気で考えていた人たちもいたようで、巨石を方舟の残骸が石化したものだと主張していた「方舟派」というカルトがあったとも言われている。拙著「巨石」でも紹介したが、彼らは方舟の残骸である巨石の近くにある「池」を、ノアの洪水の名残なのだと言っていたのだそうだ。これは凄い自信(?)だ。



大分県の教育界をめぐる汚職に関して、改めて驚いたのは、教職員になる試験というのが、本来客観的なものであるはずだったということだ。その分野に全く関心も知識も無かった私でさえ、教育委員会に関係のある者でないとなかなか教員になれないという話は随分前から聞いていた。てっきり、一般企業と同様、「好きな人」を選ぶ「恣意的なシステム」があるのだとばかり思っていた。
とかく「先生」と呼ばれる業界は同じようなもので、「先生に診ていただけますか?」「手術をしていただいてありがとうございました」などと、大学病院の偉い先生に個人的に金を渡すようなことが慣例化している国ってのは、「サミット」に集まる国の中でもそうは無いだろう。こんな慣例を維持しているのは他ならぬ、「関係者」たちであって、知り合いの医者に相談したら、「偉い先生を紹介するからちゃんと包んでね。御願いよ。」みたいなことで、負の再生産を繰り返してきたわけだ。
こういう人たちは、別に懺悔したり反省したりしなくてもいいから、食肉偽装の人たちと一緒に、モンティ・パイソンよろしく、みんなが見てる前で、生の鶏肉でピシャピシャ叩いたらどうかと思う。