チュニジア旅行-8

ジェルバ島に二泊した。
旧市街から離れたリゾートホテルが並ぶエリアに泊まってしまったのが、よくなかった。旅行代理店には、旧市街=フームスークは夜は早く閉まってしまうので、かえって不便だと言われたのだが、子連れにはナイトライフなどあまり関係ない。ホテル街と旧市街は歩いていける距離ではなく、周囲には観光客向けのレストランくらいしかないので、面白みもない。しかも、ホテルがやたらとデカく、妙にお高くとまっていて感じがわるい。さらにホテル内では何もかも値段がやたらと高いときて、うんざりした。漁港の活気を見てみようかと思って、地図を指し示しつつ、タクシーに乗ると、遊覧船の出る観光用の港でおろされた。「パイレーツ・オブ・カリビアン」みたいな遊覧船がどわーんと二艘停泊していた。
ジェルバ島は本土と違った独特の文化があるというので、行ってみたのだが、結局、上手く移動できず、結局、なんだか疲れてしまい、島の特色もよくわからずに帰ることになる。

ただ、娘だけは手にヘナ風のタトゥーを入れてもらって上機嫌だった。ヘナは茶褐色の植物染料で、こちらの女性には手や足をこの染料で模様をかいて飾っている人がいるが、娘はトズールで、指先に塗ってもらって以来、ヘナ、ヘナ言いっぱなしだったので、旧市街でヘナをやってくれるところを探した。結局、ヘナを使ってくれる店は見つからず、タトゥー屋(刺青ではなく、ペインティングだが)でヘナ風の伝統的な模様を入れてもらう。メキシコにも同じような店がたくさんあった。やはり、漢字のタトゥーも人気なようで、サンプルにはいろいろと漢字が並んでいる。タトゥーのインクはタールに何か混ぜたようなドロっとしたものだ。「こちらの女性がヘナでかいているような、伝統的な模様にしてほしい」と頼む。針先でゆっくりと書いていくが、思ったよりもあっさりした模様だった。娘は有頂天で、もう手を洗わないと。日本に帰ってからも残っていたら、豊島園のプールにも「お風呂の王様」にも行けなくなるんだぜ、いいのかよ、と言うも、全然気にとめる様子もなし。
 

ジェルバ島は銀細工でも有名だ。ファティマの手や魚の銀細工が並ぶ。魚はファティマの手とセットになって見かけることが多いが、幸運と豊かさをもたらすものとされているようだ。飲食店に魚の尻尾の干したものがぶら下がっているのも見かけた。
ジェルバ島の銀細工はユダヤ人が作ってきたもので、工芸品店のオーナーもほとんどがユダヤ人らしいが、ファティマの手にダビデの星が入っているものも多い。このへんの文化の混淆具合はどうなっているのか。

店頭には遊牧民トゥアレグ族のシンボルマークの銀細工もある。トゥアレグ族チュニジアにはあまりいないようだが、部族(氏族?)ごとにマークが異なるようで、これがなかなか面白い。菱形や円形の組み合わせが多いが、元の形の意味はわからなくなっているようだ。店の主人にいろいろ質問したが、どうも通じなかった。

ジェルバ島の町並は、シディ・ブサイドのように、白壁に青い扉・窓というものが多い。
 

チュニスに戻り、チュニジア旅行は終わり。今度はメディナの中の、古い建築を改造した小さなホテルに泊まった。ジェルバ島のやたらとデカいホテルと違って、雰囲気がいい。メディナの北西部は店なども少なく、工事中のところが多いのだが、古い町並みを活かしたレストランやホテルが並ぶ、観光用のエリアに改造しようとしているようだ。あと3年したらがらっと変わるはずだと、ホテルのフロントの男の子が言っていた。


私はメディナの中をあれこれ歩き回って全く飽きることもないのだが、娘はダレダレになっているので、じゃあ、今度は足にタトゥーを入れてもらえばどうか。その間、俺はぶらぶらしてくるから、と、モスクの前のタトゥー屋に連れて行く。
ジェルバ島で手に入れてもらった模様を見て、店の男の子が、「これは、イマイチだね」と、手を加えてくれたが、これで、見栄えがぐっとよくなり、やはり技量に違いがあるな、と実感する。

嫁も手に入れてもらい、支払うと、「お願いがあるんだけど、自分の名前を日本語で書いてくれないか」と。漢字のタトゥーが好きなので、是非、お願いしたいというのだが、聞くと、名前はメディだという。メディって.....漢字ではなぁ。

メは目、眼、芽くらいしかないし。雌とか牝はまずいよねぇ。ディっていう音は日本語にはないから、デ・イにするしかないかね。メ・デ・イでもいい? とかいいつつ、数案書いて店を出た。今頃、腕に「眼出井」とかいう文字を入れているかもしれない。なんとも残念だ。
この日、チュニスの博物館にも行く。モスクを改築したような建物で、天井のアラベスクが美しい。



ローマのモザイクが大量に展示されていることで有名な博物館だが、どうも途中で飽きてしまった。モザイクは漁師と魚などを描いたものが楽しい。大きなミノタウロスの迷宮を描いた大きなもの複数あり、これも面白かったが、中世のキリスト教会の床に描かれる迷路など、もしかして、このへんにもルーツの一端があるのでは、と、勝手に想像する。


ローマ時代のものより、むしろグレコ・ローマン的な様式に影響を受ける前のフェニキアの石碑が面白かった。

宿に帰るころには日もすっかり暮れて、メディナの中は店じまいだ。メディナの石畳は真ん中がへこんでいて、溝があるが、皆、店を仕舞うにあたって、通路に水を流していた。おそらく、かつては水とゴミが溝をながれて排出されるようになっていたのだろうが、今はペットボトルやらビニールやらゴミの量も半端でないので、水を撒いてもグチャグチャになってしまう。ゴミ収集のリアカーのような車が、道に散乱するゴミを拾い歩いていた。
昼間の喧噪が嘘のように、静まりかえった小路では、男たちが水パイプを吸いながら談笑している。高い屋根の上から野良猫が見下ろしていた。

これで、チュニジア旅行は終わり、マルタに移動する。