カンボジアの絹織物

3年前からカンボジアで絹織物を生産している「クメール伝統織物研究所」のカレンダーのデザインを手伝わせていただいている。
東南アジアのシルクというとタイ・シルクが有名だが、タイ・シルクのルーツもカンボジアの絹織物にあるのだという。
長い戦乱で絶えてしまっていた技術と産業を復興しようという試みがあることを、このカレンダーの仕事を通して初めて知った。

この団体は12年前に設立され、中心になったのは友禅の工房を主宰されていた森本喜久男さんという方だ。12年前というと、私がカンボジアを訪れた3年ほど後だろうか。アンコール・ワットがあるシエムリアップの北に、約400人が従事しているという。
「研究所」というと、伝統産業の研究者が集まっているような響きだが、ほとんどの人はいわゆる「研究者」ではなく、カンボジア伝統の絹織物を実際に作っている人たちだ。また、全ての人が織物作りそのものに関わっているわけでもない。桑の栽培、蚕の飼育、染料の植物栽培、さらに従事している人たちの食のための農業など、絹織物を作るための共同体が自立できるようになるために、様々な形で参加している人がいる。
織物が出来上がるまでの全ての要素を「自前でやる」ための場所は4ヘクタールから始まって、現在22ヘクタールまで拡張されているのだそうだ。

私は東南アジア、中央アジア中南米の織物が好きで、写真集を買ったり、店頭で購入したりはする。初めて海外に旅したのは20年前のタイだったが、チェンマイのマーケットで山岳民族の織物を見たときは、幻惑されたといっていいほど、ほれぼれと眺めた。
つまみ食い程度の知識しかないので、確かなことは言えないが、一度絶えてしまった技術と産業を、外国人が中心になって、織物だけでなく、従事者の生活全体を取り巻く環境から再生していこうというような試みは、他にないのではないだろうか。

カンボジアクメール・ルージュ時代に、まさに「解体」されてしまったと言っていいと思うが、何もないところから、技術を持つ人を探し、土地を得て、人を集めて教え、参加する人の生活全体を考慮しつつ産業として成り立つ道を探るというのは、大変な試みだ。

縁あって、ここ3年、カレンダー作りの仕事をいただいている。私が会社員だった頃から仕事からのお付き合いで、ずっと「クメール伝統織物研究所」の日本での活動を個人的に支えてきた方だ。編集の現場を離れているので、お勤めになっている会社では、久しく直接仕事上のやりとりはなくなっているのだが、個人的に毎年依頼していただけるのは大変ありがたく、「今年もカレンダーづくりの季節になったんだな」と、年の瀬が迫っていることを実感する。


森本氏は本を出している。

研究所のウェブはこちら
http://iktt.esprit-libre.org/
日本で活動を支援しているサイトはこちら
http://www.iktt.org/