正月は久々にのんびりできたなと、思っていたらば、先週はいきなり雪隠詰めになってしまった。オバマの演説や朝青龍の取り組みを炬燵で見つつ寝るという、なんとも不健康な日々だった。
オバマという人はアメリカの様々な過去を思い起こさせる。アメリカ国民でもない人にも、思い起こさせる。世代によっても違うのだろうが、やはり主に60年代の様々なことを思い起こさせる。「町のレストランに入ることを拒まれた男の息子」が大統領になったのは、とてつもないことなのだろうが、アメリカがこの先どうなるのか、さっぱりイメージがわかない。フォード・システムと呼ばれた大量生産モデルによって飛躍的に成長した製造業が70年代に衰退し、わけのわからない錬金術で金を集めていた金融も崩壊した後、「グリーン・ニューディール」がその代わりになりえるんだろうか。大量消費社会を実現したのは、常に新たな欲望を生み出すシステムであって、自己抑制的なエコ産業が牽引役になりうるとも思えない。また、アメリカの名だたる企業群は国内だけでなく、海外における極端な不平等のシステムの上に成り立っているものが多く、シアトルで売られるコーヒーが中南米で1日数ドルほどの賃金で働いている人たちの上に乗っていることを考えると、カリブの島国に生きるアフリカ系住民が「俺たちに自信を与えてくれた」と言うニュース映像など見るにつけ、なんとも複雑な気分になってしまう。長らく「アメリカの裏庭」と呼ばれてきた中南米やアフリカでアメリカ系多国籍企業がやってきたことが、コーヒーやチョコやバナナや、安いハンバーガー、安い石油を世界中に売ることを可能にしてきた。彼の地に生きる人たちがYes we canに入っているとしたら、これはアメリカ経済の歴史の根幹にかかわることで、そんなことをオバマは一言も言っていないのだから。

オバマの演説と重ねて映る公民権運動の映像など見つつ、自分が見聞きしてきたあれこれのアメリカ産の音楽や映画、または吉田ルイ子の「ハーレムの日々」などを思い起こしたのだが、私が0歳のときに、子連れでシカゴの空港に降りた母が「有色人種は後だ」と入国ゲートで待たされたという話をも思い出した。母はほとんど英語を話せなかったので、その後3年ほど悪戦苦闘したことだろう。私は隣に住むユダヤ人家族の男の子と仲良くなり、未だに付き合いがあるが、去年来日した彼に「どっちを支持してるの?」と聞くと、「マケインだよ」と。奥さんはメキシコのオアハカから来た、叔母が伝統的な祈祷師の家系という人なのだが、彼女も「だって、オバマの奥さんは人種主義者だから」と、同意見なのだった。幼なじみの彼は海軍の仕事をしている弁護士なので、なんとなくそうかなと思ったのだが、インディヘナの血の濃い奥さんがどんな気分なのか、いまひとつよくわからなかった。


付き合いの長い、アメリカで瑪瑙を売っている人に、「今はすごい円高だろ、いいよな」みたいなことを言われ、なんだか値段も高めに設定され、ちょっと嫌な気分になったのだった。この人とはインターネット・ショップの黎明期から付き合っている。初めて連絡したときは、「外国人から手紙をもらうのは初めてだ。どうして君は外国の言葉が書けるのか?」と、驚きを隠せない感じだったが、10年も経つと、世界中を相手に売買し、為替にも詳しくなっている。この10年余は彼にとって大変な変化だったに違いない。
円高のせいで日本は大変なんだよ」と、返事しつつも、せっかく円高なんだからと、アフリカのファング族のお面を買ってしまった。フランスの現代美術のルーツになった造形の一つで、特にモジリアニの造形はこの面から始まったと言っていい。ほとんど「そのまんま」としかいいようのない作品もある。