東北探石・遺跡撮影行

一ヶ月ほど更新していなかったが、世の中いろんなことがあった。
民主党には、くれぐれも「なんとなく自民党」にならないことを願う。

連休を利用して東北旅行にでかけた。例によって石拾いと、久しぶりに遺跡の撮影に出たのだが、さすがに青森は遠かった。中学の修学旅行以来だ。道も混んでいたし、初日は出発が少し遅くなったのも災いして、盛岡にたどり着くのがやっとだった。

盛岡市内の「岩手」の名称の元になったという「三ツ石神社」の巨石を見に行った。
悪行を重ねる羅刹という鬼を捕らえて、「二度と悪さをしない」と約束させ、岩に手形を押させた、という伝説と、坂上田村麻呂が東征の際、蝦夷の三人の首領を捕らえて、服従の約束として岩に手形を押させたという伝説があるのだという。岩につけられたという「手形」は今はどこにあったのかわからない。雨が降って岩が濡れるとうっすら浮かび上がるともいうのだが。
なかなか迫力ある巨石が三つ、隣接して並んでいる。鎖が巻いてあるのは、羅刹を鎖でつないだという伝説にちなんだものなのだろうか。




同日、さらに北上し、東北自動車道を十和田インターで降りて、大湯の環状列石を見に行った。日本で最も有名なストーンサークルだ。
道路を挟んで、東西に野中堂と万座の二つの環状列石があるが、万座の方は直径が46メートルと、日本最大の環状列石だ。大きな列石の周囲には円形・方形、直線上に石を配置したものなどが複数ある。環状列石の内部に、石を組み上げた部分があり、野中の環状列石の中にある「日時計」の石組みはとても有名だ。





資料館には、石の配置を正確に再現した模型などがあり、真上から見るとどのような形をしているかとてもわかりやすい。素晴らしい縄文土器土偶も多数展示されているし、ひもをよって、実際に年度に「縄文」模様をつけてみる体験コーナーもなかなか面白かった。


イギリスのストーンヘンジの模型もあり、比較するように置かれていたが、あまりブリテン諸島ストーンサークルとは似ていないと感じた。むしろ、列石の近くにあった木の柱を円形に並べたもの、ブリテン諸島でいうと「ティンバー・サークル」とか「ウッド・ヘンジ」などと呼ばれるものの復元物が、ブリテン諸島の同様のものとよく似ている(木の柱を円形に並べているのだから似ているに決まっているのだが)のに驚いた。特に、中心部分に太く背の高い木を配置しているところなど、ストーンヘンジの近くにあるウッドヘンジの復元図にそっくりだ。超古代文明論者が喜びそうな類似だ。
最初の写真が大湯のもの、次がストーンヘンジ近くのウッドヘンジ、最後がアイルランドのナウスの、それぞれ復元遺跡だ。


超古代文明論といえば、大湯のサークルの近くには日本のピラミッドとして名高い黒又山がある。山頂に人工的な石組みの跡があるというので、行ってみたかったが、いかんせん時間がなかった。

さほど遠くない場所に「キリストの墓」のある戸来村など、東北には『ムー』的なスポットが多い。諸星大二郎ファンとしては、是非行ってみたい気もしたのだが、これも時間が無いので断念。代わりというわけではないが、釈迦の墓があるという梵珠山に向かう。この山は500メートルにも満たない小さな山だが、縄文時代の土器を焼いた窯の跡などもあり、修験の霊山でもあった山なのだ。何故か山の上の塚が釈迦の墓と言われてきたらしいのだが、さらに、毎年旧暦の7月9〜10日にかけて、未明に青白い「御灯明」という怪光がみえるという。火の玉探検隊などが組織されてきたようだ。
我々の目的は釈迦の墓でもなく、火の玉でもなく、この山を流れる川でメノウを拾うことだった。
この川では水色のカルセドニーや稀に赤味のある縞模様が入ったメノウが採れるのだ。

地元の人に道を尋ねて、黄金色に実った棚田の脇を流れる川に入る。無色のカルセドニーはたくさん落ちているが、色の付いたものは少ない。少しずつ上流に上がって行くと、なんと、新しめの巨大な砂防堤があるではないか。これではなかなか下流に石は流れて来ない。
砂防堤には隣接して大きな水辺公園と駐車場があるが、これがわけのわからない施設で、おそらく訪れる人はほとんどいないだろう。そもそも草が茂っていて、「水辺」に出られない。いかにも補助金を地元の土木業者にながして無理矢理作ったような代物だった。
上流には石油の発掘跡もある。テレビ版の『河童の三平』を思い出した。






あまり大きな収穫は無かったが、なかなか気持ちのいい山だった。