続石

岩手県遠野には続石(つづくいし)という大きな石組みがある。9月の連休の東北旅行の帰りに立ち寄った。岩手の三ツ石神社、大湯のストーンサークルなど見て、久しぶりに巨石熱が高まったのだった。
続石は小山の中腹にある、とても大きな石組みだ。ガイドブックには「ドルメンだという説もある」と書いてあるが、きちんと調査されたことはなさそうだ。横に祠がある。

確かに、二つの岩の上に横長の岩が乗っている、典型的なドルメン型なので、一見人為的なもののように見える。が、近づいて見ると驚いたことに上に乗っている大岩=笠石は、下の二つの岩のうち一つの上にしか乗っていない。つまり、もうひとつの岩との間に隙間が空いているのだ。これは大変なバランスだ。笠石は7x5x2メートルもある巨石だ。
付近には大きな岩が多く、私は続石は自然に出来たものではないかと思った。人の手が加わっているとしても、自然に出来た石組みの周囲を整理したという程度ではないだろうか。岩の大きさ、山の斜面という悪条件を考えると、全てが人為的なものだとはちょっと考えにくい。
飛鳥の石舞台やブルターニュのドルメンなど、かなり大きな岩を組んだ遺跡はあるが、大きな岩を使う遺跡はそれなりにきちんと設計されているものだ。でないと重量をコントロールできない。ドルメンは、二つないし、三つの立岩の上に横岩を乗せるのが一般的だが、ブリテン諸島のドルメンをあれこれ見た中には、三つ置かれた立岩のうち、二つの上にしか乗っていないものもあった。が、さすがにたったひとつの岩の上に大きな横石が乗っているというものはない。巨石を組むというのは、まさに命がけの仕事だ。続石は全体にどこか曖昧な感じがあり、作り上げたという印象が薄いように思った。
後に調べてみると、この石組みには弁慶の伝説があり、柳田國男が『遠野物語拾遺』に書いている。

 綾織村山口の続石は、この頃学者のいうドルメンというものによく似ている。二つ並んだ六尺ばかりの台石の上に、幅が一間半、長さ五間もある大石が横に乗せられ、その下を鳥居の様に人が通り抜けて行くことが出来る。武蔵坊弁慶の作ったものであるという。昔弁慶がこの仕事をする為に、一旦この笠石を持って来て、今の泣石という別の大岩の上に乗せた。そうするとその泣石が、おれは位の高い石であるのに、―生永代他の大石の下になるのは残念だといって、一夜中泣き明かした。弁慶はそんなら他の石を台にしようと、再びその石に足を掛けて持ち運び、今の台石の上に置いた。それ故に続石の笠石には、弁慶の足形の窪みがある。泣石という名もその時から附いた。今でも涙のように雫を垂らして、続石の脇に立っている。

ドルメンかどうかは別にして、なかなか姿の良い、印象的な石組みであることには違いない。


遠野では、古民家を保存した「伝承館」を見学し、おしらさまを集めた「おしら堂」などを見た。「おしら堂」は大変な迫力だったが、来場者の、「○○できますように」みたいな願掛けのべべを着せるのはどうかと思う。
運良く、伝承館で鹿踊りも見ることができた。この面にはどこか東南アジア的な印象があって面白い。