紀元前3123年6月29日

ディスカバリー・チャンネルで「聖書のミステリー」というシリーズを連続放映している。初めて見たが、「ソドムとゴモラ」の伝説は史的事実に基づいているかを検証する特集が思いの外面白かった。
「罪深い」都市に神が火の雨を降らせて滅ぼしたという物語は、実際に起きた、小惑星の落下による大災害に基づいたものではないかという話だが、興味深いのは、この事件を記録していると思われる出土品だ。

大英博物館に保存されていた、アッシリアで紀元前700年頃に作られたとみられるディスク状の粘土板は、古代シュメール文明の天文に関する遺物をコピーしたものとみられている。粘土板には、星座や惑星の他に、まっすぐなラインがひかれていて、「白い石の鉢のようなものが、凄まじい勢いで上空を横切っていった」とある。これを、小惑星が落下前に上空を横切っていった道筋を示したものではないかと考えたアラン・ボンド、マーク・ヘンプセルという二人の天文学者が、星の位置関係から割り出したところ、紀元前3123年の6月29日に観測されたものだということがわかったのだという。

小惑星は直径が1キロ以上もある大きなもので、軌道からすると、オーストリア近辺に落下したと考えられるが、クレーターなどは残っていない。低い軌道だったため、山の頂をかすめて、有名なツングースカの隕石の爆発のように、空中で爆発したのではないか、という。
爆発で飛び散った無数の破片は成層圏に達し、自らの軌道を逆戻りするようにして再び地上に降り注いだとみられているが、それがちょうど死海周辺、旧約聖書の舞台である地域周辺だったのではないかというのだ。高熱を帯びながら降り注いだ「火の雨」は周囲を焼き尽くしたとみられ、ロトの妻が振り返ったために塩の柱になったという話は、逃げ遅れた人が一瞬にして、立ったまま焼け死んだということではないかと。
この小惑星の爆発で粉塵が大気中を対流し、長期にわたって全世界的に寒冷化・天候不順になった痕跡が、世界各地のアイスコア=氷河などの氷の層をボーリングして取り出したものの中に残っているという。この時期にアフリカ大陸からかなりの面積の緑地が失われ、サハラ砂漠ができたのもこの時代なのだそうだから、環境に与えたインパクトはとてつもなく大きい。

ブリテン島周辺の巨石文化を調べているオーブリー・バールなどの研究者が「新石器暗黒時代」と呼んでいる時代がある。拙著『巨石』執筆中にとても興味をもったのだが、詳しく調べる余裕がなく、本の最後で簡単にふれるだけにしておいた。
バールなどによれば、紀元前3190年頃から突然の寒冷化・天候不順により、植物の発育が極端に悪くなった痕跡があり、耕作地が放棄され、数百年という長きにわたって使用されてきた長塚墓などの施設も次々に閉鎖されている。紀元前2900年頃まで、人間の活動の痕跡が非常に少なくなっており、これを「暗黒時代」と呼んでいるのだが、拙著でも紹介したように、バールなどは、長期にわたる寒冷化・天候不順はアイスランドの火山噴火の影響ではないかと記していた。これが、紀元前3123年の小惑星落下であった可能性が高いわけだ。3190年頃としていたのは放射性炭素の測定誤差だったのだろう。
オーブリー・バールは、極端な天候不順によって、一種の文化的・社会的崩壊があり、それまでの祖霊崇拝を中心とする宗教が力を無くし、天界に強い関心をもつ宗教が台頭してくる過渡期がこの「暗黒時代」ではないかと考えている。暗い穴の中で儀式を行うための長塚墓などから、オープンエアのストーンサークルへと施設の形が変わっていくのだと。
紀元前32世紀頃というのは面白い時代だ。アイルランドニューグレンジが作られたのもこの時代だし、オークニーに巨石遺構、スカラ・ブラエの住居などが造られたのもこの頃とみられている。
ニューグレンジ、ナウスなどのボイン渓谷に花開いた文化は、後にブリテン島各地に生まれる巨石文化と連続性があるように見えて、際だって特殊ともいえる。美術的表現は以後同レベルのものは生まれていないし、ナウスの縁石に彫られたおびただしい数の石彫も、この場所特有のもので、後のものはむしろ技術的にも表現の幅においても退化しているようにもみえる。
「ひとつの文化的高揚が環境の変化によって急激に衰えた、あるいは変換期に生まれた特殊な信仰が、長続きすることなく終わったのかもしれないと、想像することはできる」と『巨石』には書いたのだが、今回この3123年の事件について知り、よりその思いを強くした。

大きな災害が新たな文化を生む原動力になるということもある。メキシコのテオティワカンの巨大建造物も、火山の噴火から逃れた人々が集まって作ったものだ。
最近マヤの長期暦がひと巡りを終える2012年に世界の終末が、などという話が盛んだが、そもそもマヤ文化の長期暦がスタートしているのが紀元前3114年だというのが、この小惑星の事件に近いので興味深い。マヤは過去にこだわる文化だと私は思う。王族の系統の正当性、権威づけ、暦の反復性は、常に遡及すべき遠い過去を意識している。長期暦の紀元とされている時が何か根拠のあるものなのかどうかわからないが、少なくとも、2012年よりは紀元前3114年の方が意味がありそうな気がするのだ。

この粘土板に関するニュースは以下に。
http://www.hunttreasure.net/700-bc-clay-tablet-describes-3123-bc-austrian-asteroid-impact/1068

A Sumerian Observation of the Kofels' Impact Event