ブックデザインの講義・桂川潤さんの本

美術学校でのブックデザインの講義も無事(?)終わる。制作課題は迷った末、タイポグラフィーだけで山中恒の『ぼくがぼくであること』のカバー表のみのデザイン、最終の課題は漱石の『夢十夜』の装丁を、ジャケット、表紙、見返し、扉、帯と、フルで作ってもらった。『夢十夜』は、紙の選定も意識的で、いずれも力作揃いだった。私も同じ年代に出版社で装丁の仕事を始めていたが、その頃同じ課題を出されたら、こうはいかなかっただろうな、と大いに感心した。

電子出版元年と言われる状況でもあるし、始めに本の歴史をざっと辿ってみようと、3時間ほどの講義を行った。中世の装飾写本、グーテンベルク聖書のスライド、見返しや小口にもマーブリングを施した19世紀の本の実物などを見せつつ造本の歴史について話した。
授業のために、かつてポプラ社が出していた明治文学の復刻本を数冊購入した。ポプラ社の復刻本は、北原白秋の『トンボの眼玉』など、児童文学は数冊持っていたが、今回漱石を五冊、永井荷風の『珊瑚集』を買う。『吾が輩は猫である』が天金でアンカットという珍しい仕様だったことを初めて知った。『猫』三巻本は、ジャケットのデザインは単色刷りで、デザインはそれぞれなのだが、表紙は赤いインクと金箔で統一されていて、実に洒落ている。特に下巻の表紙がいい。

講義でも学生に紹介したが、自宅のご近所でもある装丁家桂川潤さんが最近出された装丁に関する本、『本は物(モノ)である』は、書籍の歴史において大きな転換期にある今、非常にタイムリーで、多くを考えさせられる本だ。
全編、タイトル通り本という「物」、本に携わる人々への愛情に溢れつつも、産業としての出版の現状に対する冷静な視線を欠かさず、さらにキリスト教関連の研究者という経歴ならではといえる深い「書物ー身体」論、本ができるまでの工程の解説、印刷・製本の現場のリポートと、本にまつわる様々な局面を一人で、一冊にまとめたものとして、これまでどんな編集者、作家、装丁家にも書けなかったものになっている。田村義也氏を始めとする、編集者、作家、装丁家との交流も、物語性溢れる大変読みごたえのあるものだった。本に関わる仕事をされる方々に是非是非お勧めしたい。

本は物である―装丁という仕事

本は物である―装丁という仕事