NHKスペシャル

日曜に纏向遺跡邪馬台国に関するNHKスペシャルを見た。
纏向が邪馬台国の中心地であったのかどうかもさることながら、遺跡内から出土した銅鐸のごく小さな破片が、銅鐸を意図的に焼いて破壊したものだという仮説の検証は、とても興味深かった。
青銅器は柔軟性があるため強い力を加えても細かく割れることはないが、火にくべて焼くと脆くなり、破砕が可能になるのだという。実際に当時の技術レベルで鋳造した銅鐸を使って実験してみせた。
火にくべて壊したとみられる銅鐸の破片が遺跡から出てくるということが、魏志倭人伝に「鬼道」によって人心を掌握したと記されている邪馬台国による、弥生時代の信仰の否定の証拠ではないか、それは記録的な干ばつと水害に大きく揺れる気候変動がもたらした政治的・社会的動乱のひとつの結果ではないかという説は、なかなか説得力あるものだった。当時の気候変動は東アジア全域に及ぶもので、同時期に中国では黄巾の乱が起きている。

気候変動と社会変動との関連は現在最も関心を集めている分野のひとつだが、新石器時代末期から青銅器時代初期のイギリスの巨石文化に関してもこの視点から大きな転換期を指摘する傾向があり、ずっと関心をもってきた。ストーン・サークルの研究者オーブリー・バールが「新石器暗黒時代」と呼ぶ時代の話だ。以前にも書いたが、紀元前3200年頃の極端な天候不順期──アイスランドの火山の噴火、または、隕石の落下による極端な日照不足による寒冷化と社会変動の痕跡が注目されている。この時期、数百年にわたって使われてきた長塚墳=おそらく祖霊信仰の施設、が閉鎖され、放棄され、農地の放棄、戦乱、大規模な人的移動があったとみられている。新たにストーンサークルを作る文化が生まれ、劇的に広まるが、それは、ほぼ、ストーンヘンジという巨大な施設の建造と放棄に終わるとみていい。
ストーンサークルが各地で作られた期間は数世紀という長きに及ぶが、ストーンヘンジの異様を見ると、それもまた気候変動によってもたらされた急激な社会的変動がもたらした「鬼道」として始まったうねりのひとつの極端な帰結だったかもしれないとも思ってしまう。