宇佐見英治の『石を聴く』を読む。
岩石、鉱物から石塔、石仏、石垣や礎石まで、石に関するエッセイを集めたものだが、文学者であり、詩人であり、さらに地学的知識も豊富な著者ならではの、明晰でイメージ豊かな言葉に溢れていて、読後感も清々しかった。
亀甲石=セプタリアン・ノジュールにはこの言葉。
「魔宴に酔った星たちの乱舞のような」
「線の動きが強烈、細勁で、しばしば楔形、やっとこ形になる尖端まで線が生き物のようにぴりぴりしている」
「固い石の中に囚われた星の娘が天上を思い出してバレエを踊るとすれば、どうしてもこのように鮮烈な亀裂が生じざるをえまい」
これはちょっと気取っているけれど、亀甲石の模様に対して与えられた言葉としてはカイヨワと双璧といえる。
いや、そもそも、この「踊り」というイメージはカイヨワの『石が書く』に掲載されているスペイン産のセプタリアの写真から喚起されたともののようだ。私はこの産地のものをずっと探し続けているが、未だ他で実物はおろか写真も見たことがない。

この文章が書かれた1970年代初頭には、秩父の駅前で地元産の亀甲石がたくさん売っていたようだ。私もひとつ、「羽根亀甲」と呼ばれる石を奥秩父の老舗の石屋さんで買ったことがある。店の主人からかつてたくさん採れたことがあると聞いたが、今は石屋の数も少ないし、長瀞の土産物屋にある石などはほとんどが輸入の石だ。