オーストラリア・ノーザンテリトリー旅行5

日帰りでアーネムランドのツアーに参加する。アーネムランドはちょうどカカドゥ国立公園の東に位置する広大な土地で、アボリジニ居住区となっている。入るには許可が必要で、許可なく入ると罰金1000ドルという表示があった。


岩絵のあるウビルのすぐ脇の道の先にイースト・アリゲーター川が流れていて、ここを渡るとアーネムランドとなる。


道は完全に水没していて、ぎりぎり車で渡れる状態だ。雨期は普通の自動車では通れないに違いない。
ツアーを催行する会社はいくつかあるようだが、我々が参加したのはアーネムランドの西のインヤラク=Injalakの丘の岩絵を見ることを中心に組まれたツアーだ。他にもさらに奥まで飛行機で飛び、宿泊するツアーなどもある。
ツアー会社の運転手兼ガイドの女性ドナは完全な白人だがインヤラクアボリジニと縁戚関係でも結んでいるんだろうか。居留地の人を、私の兄弟、叔父、と言う。それがつき合いの深さを意味するのか、実質的な何がしかの関係を意味するのか、よくわからなかった。
彼女言うところの「カー・ブラ」を車のフロントに付けて、川を渡る。ツアーは乾期のみ催行され、この日はちょうどツアー開始の初日だった。もし水量が多かったらその場で中止になっていたに違いない。


ツアー参加者は11人。我々とアメリカ人夫妻以外は全てオーストラリア人だ。
車を降りるとドナに代わって、現地在住のガイドが先導する。30代くらいの男性だ。岩絵の意味を教えてくれるのだが、なかなか言葉が聞き取りにくい。岩絵に関しては祖父から聞いた話なのだと言っていた。
彼はこの岩絵を描いた部族の子孫ではないという。絵を描いた人たちは「全ていなくなった。亡くなった」、彼の部族は後からこの地に住むようになったのだと。アボリジニの人口は白人が入植してから迫害や病気によって10分の1以下に激減した。言語はかつて200以上あったが、これも半減しているらしい。一番元気のいいオーストラリア人の女性が「どうしていなくなったの?」と聞くのだが、学校で歴史を教わってないんだろうか。
岩絵のある丘に入るにあたっては、いくつか撮影が禁じられている場所があるので、気をつけてほしいと念を押された。埋葬の儀式が行われた場所などがあるからと。


丘(というか岩山)の上は岩が迷路のような構造になっており、ガイドがなければすぐに迷ってしまいそうだ。
大きなひさしが伸びるシェルターには見事な壁画が描かれていた。



様々な様式の絵が重なり合っている。この場所の絵も古いものは3万年前のものだという。「我々はもう岩絵は描かない」とガイド氏が言うと、さきほどの女性が「どうして?描けばいいのに!」と。「今は木の皮や布に描いている」と言うと、彼女は「木や布なんて、すぐに無くなってしまう。こうして何万年も残るんだから、岩絵を描くべきよ。残念だわ!」などと両手を広げて大きな声で言うのだった。話を聞いているとナチュラリストという感じの人なのだが、It's a shame!と連発する彼女にげんなりし、もう一度言ったら、何か言ってやろうかと咽まで出かかったが、ガイド氏は、ま、勝手に言っててください、という感じで受け流している。


これは踊る人たち。葬儀の前には踊るのだという説明だった。


ウビルにもあった「虹の蛇」の絵も。

これは一種呪術的な絵で、名前を忘れてしまったが、悪霊の一種を描いたものらしい。この種の悪霊にはいいやつと悪いやつがいて、これは悪いやつだと。頭は鳥のような形をしている。腹の中には食われた人たちが描いてある。
この地方はバッファロー狩りで白人の入植が多く。先住民との軋轢がとても大きかったという。もたらされたインフルエンザなどの伝染病の脅威もすさまじいものがあったようだ。これは「敵」に呪いをかけるための絵であり、この地域に特有のものらしい。「これらの絵を描いた人たちは全ていなくなった」という説明が生々しく感じられた。
写真を何枚か撮ったが、気付くと誰も撮っていない。もしかして「写真は撮らないで」というのを聞き逃したのかしらと、ちょっと慌てる。「写真を撮った人は....これが夢に出てくるかもしれない。気をつけて」というようなことをガイド氏が無表情で小さな声で言うのだった。そういうことは撮る前に大きな声で言って.....。
帰った後でこの絵が書籍などいろんなものの中で紹介されているのを見て、少し安心した。撮ってはいけない場所というわけでもなかったんだろう、と。


埋葬の儀式が行われる深いシェルターに案内された。ここは写真を撮らないように、とはっきり言われる。石の祭壇のようなものの上に貝殻などの小さな供え物が置いてあった。奥の岩の隙間に人骨があり、頭蓋骨が真っ赤に塗られていた。ガイド氏は3万年前と言うのだが、さすがにそこまで古いものではないと思う。



眺めのいいシェルターで昼食をとる。


不思議な形の像もあるが、質問する間もなくガイド氏は岩の間を進んでいく。置いていかれると、迷路のようになっているので、声はすれどもどこにいるかわからない、ということにもなりかねない。さきほどの元気のいい困った女性は「私は写真をとりながら別のルートで行くから、先に行ってて」と。「大丈夫、私は鍛えているから」とか言うのだが、案の定、数分後に「みんな、どこにいるのーっ?」ということになった。


このカンガルーが人の乗ったカゴを担いでいるような絵も、意味を知りたかったのだが、聞く余裕がなかった。寓話の一場面のようで面白い。


この二人の細い人物像は短いカモ捕り用の槍を持っている。左の人物の腹には四人の小さな人物像が見える。これはAndungunというNamarndeの精霊の仲間で、人を殺し、喰らうのだという。


これはWarramurrunggundjiと呼ばれる、女性の祖霊で、この地に食べられる植物や水をもたらしたとも言われている。羽を広げた虫のような姿だが、これはアボリジニが食物などを持ち運ぶのに使うディリー・バッグをたくさん吊るした姿で、豊饒や多産の象徴なのかもしれない。


狩の支度をした男と女。男の腕に毛がフサフサ生えていて、これはアーネムランドに特有のモチーフなのだそうだ。男は投槍器を持っている。頭にはかんざしのような飾りが。

侵食されてできた奇岩も多い。これが広大な古代都市の廃虚のように見える場所が南東約600キロほどの所にあり、よほど行こうかと思ったのだが、断念。またの機会にしたい。Lost Cityという名の奇岩群で、これを見るには唯一の宿である「ハートブレイク・ホテル」に宿泊しなくてはならない。広大な原野の真ん中で「ハートブレイク」って言われても。


山を下りた後はふもとの集落にあるギャラリー&ショップで現代のアボリジニ・アートを見る。この地域はいわゆるドット・ペインティングはしないようだ。岩絵の比較的新しい部類である、魚などのX線技法に近い様式で描かれている。昔のアボリジニが使っていたディリー・バッグとおそらく同じであろう、ビロー椰子の繊維で織られたカゴも売っていた。ギャラリーの壁面に描かれたコウモリがかわいい。



帰りは再びイースト・アリゲーター川を渡って戻るのだが、何故か雨も降っていないのに水量が増えている。これでは渡れないから少し待つわ、とガイドの女性。待って水位が下がるもんなんだろうか?
待つこと約1時間半。結局渡れないこともあって、そういうときは集落に泊めてもらうのよ、と。うわぁ、明日朝早く川のクルーズに出る予定なんだけど...と、やきもきしていると、気を遣ってか、彼女はおもむろに持参のCDをかける。ニルヴァーナ、クラウデッド・ハウス.....90年代ヒット集だ。年齢がわかるなぁ。

なんとか無事ジャビルに帰還。またパン屋でパンを買い、宿の部屋で食べる。泊まったのはイエロー・ウォーター川沿いにあるクーインダという名のロッジだ。ロッジだが宿泊料はさして安くない。他に宿が無いのだ。レストランもバーもあるが、夕食の営業は基本1時間と決まっている。
美人のバーテンダーに「ヤマダァー! また来たのね」と言われつつビールを買い部屋に戻る。どうもヤマダという名字はここでも軽く扱われているな。