オーストラリア再訪・中篇その二 ジョワルビナ

Lauraの南西、オフロードを車で約1時間走ったブッシュの真ん中にジョワルビナ・ロック・アート・サファリ・キャンプ=Jowalbinna Rock Art Safari Campという名のキャンプ場がある。Percy Trezise=パーシー・トゥリーザイスという、画家で飛行機のパイロットだった人物が1980年に開いたものだ。
Laura周辺のアボリジニの岩絵は1960年代に道路工事によって再発見されるまで、地域のアボリジニにも忘れられていた。パーシーは第二次大戦の戦闘機乗りで、戦後は救急搬送のパイロットなどをしていたが、このニュースを聞くと住んでいたケアンズから岩絵を見に行き、非常に強い感銘を受けたのだという。彼は元々アボリジニ文化に関心が深かったが、この体験が彼の人生を決定することになった。
見つかったもの以外にも周辺に岩絵があるのではないかと、彼はLauraに居を移し、岩絵の探索に乗り出すことになった。彼とアボリジニの友人であり、彼に絵を習いに来たDick Roughseyは地域の岩絵の探索、記録、そして保護などに尽力し、自らも岩絵のある土地の一部を購入、後にジョワルビナ・キャンプ場を開いて岩絵のガイド・ツアーを行うようになった。彼らが発見した岩絵サイトは数多く、現在ローラ周辺はオーストラリアで最も多く岩絵の集中している場所として知られているだけでなく、ユネスコで世界の先史時代のロック・アートのベスト10サイトに選ばれている。パーシーはLaura周辺の岩絵を語るには欠かせない存在であり、その功績は複数の団体によって賞賛されている。

パーシーは2005年に亡くなり、彼のキャンプサイトの運営と岩絵のガイドは二人の息子マットとスティーブンに引き継がれたが、毎冬の観光シーズンに電気の無いブッシュのど真ん中で暮らすのは家族にとっては簡単ではなく、二人とも離婚し、現在スティーブンだけが一人で仕事をしている。彼らのことを今年の冬に作られたオーストラリアのドキュメント番組では「岩絵に憑かれた親子二代」と紹介していた。スティーブンは60歳で、後を継ぐ者がいるかどうか微妙だ。我々が訪れたとき、彼は壁の無い、屋根だけの建物の下でテントの中にベッドを入れて暮らしていた。

パーシーは画家であり、アボリジニの伝説を元にした絵本などを出している。「Quinkins」はオーストラリアでは有名な絵本らしい。以下に絵本と彼が岩絵について語るビデオがある。


Laura周辺の岩絵は基本的はQuinkanカルチャー・センターがガイド・ツアーを行っているが、ジョワルビナ周辺のいくつかの場所はトゥリーザイス家がガイドしてきた。ツアー料金も公営のカルチャーセンターに比べてリーズナブルだ。「彼らはたくさん金をとりすぎだ」とスティーブンは言っていた。
我々はカルチャーセンターがガイドするサイトに行けないため、ジョワルビナ周辺のサイトを彼に案内してもらうことにした。出発前に彼の兄・マットに「道は大丈夫だ」と返事をもらっていたのだ。

Lauraから南南西に延びるオフロードを走るとワラビーがあちこちで跳ね、道を横切る。こんな所まではるばるやってきて撥ねたら大変だ。

1時間ほどかけてジョワルビナに着くと、スティーブンがにこやかに迎えてくれた。
「ちょっと待って、車の吸気口にブッシュの草の穂が入るとヒートアップしちゃうから」と言いつつ、車のフロント部分にネットをかぶせてくれる。
随分親切だな、でも、必要あるんだろうか?と思っていると、「さ、じゃあ出発しようか」と言うではないか。「え?この車で?」「そうだよ、僕は車を持っていないから」。
ツアーを主催していて、自動車が無いなんてあるんだろうか? しかもこんな所に暮らしていてオフロードの自動車が無くてやっていけるんだろうか?

驚きつつも4WDでありさえすれば問題ないというので出発してみたが、とんでもないラフ・ロードで、ブッシュを岩を避け、倒木を避け進むような形で、私が借りた中途半端な4WDではどうみても力不足だった。
出発早々、大きく抉れた急な斜面を登る最大の難所にさしかかった。「左にぎりぎり寄せていけばOK」という彼の指示通り坂を上ろうとするも、車の下をガツン、ゴリゴリッと岩にぶつけて進めなくなってしまった。見ると下部保護用のカバーが外れて垂れ下がってしまっている。「あぁ、なんてこった、レンタカー屋にどんだけ請求されるか....」と落胆していると、スティーブンは「僕が運転してみよう」と同じルートで同じように動き、やはり同じように岩に下部をぶつけて止まった。見ればさらにカバーが大きく歪んで垂れ下がっている。
「これは無理だよ。歩いて行くわけにはいかないの?」と尋ねると、「それは無理」と。それでは、ただでさえサイクロンで予定の半分がいけなくなってしまったというのに、何のために来たのかわからない。
なんとかこの難所を越えるべく、岩を運んで溝に埋め、応急の舗装をすることにした。坂を登りきったときは大きな歓声が上がったが、車のダメージはいかんともしがたい。スティーブンは「ボンドでくっつけるとか....いっそのこと取り外しちゃえば? レンタカー屋は気付かないんじゃん? そもそも、こんなの化粧みたいなもんでほとんど役に立ってないんだ、云々」となんとも適当な発言。もう一気に気が重くなってきたが、先に進まざるをえない。ここから丸二日、車の下部をキィキィいろんなものが擦る音、左右を枝がひっかく音にビクビクしながらブッシュを進むことになった。

先ず、エミュー・ドリーミングと名付けられた、エミューをトーテムとしていた人たちのイニシエーションの場と考えられているサイトに行く。
岩に開いた穴をくぐり抜ける生まれ直しのイニシエーションが行われていた場所だ。
アボリジニの文化では、世界が生まれ、人が人になるまでの世界をドリームタイムとよぶ。人は人の子であると同時に、さまざまな動物のトーテムのもとに生まれる。カンガルーをトーテムとする人は、カンガルーの祖霊と人との関わり、カンガルー・ドリーミングとむすびついて生まれてきた人ということになる。何のドリーミングと結びついているかは、氏族ごとに決まっている場合もあれば、妊娠や出産の際の様々な兆し、サインによって判断される場合など、部族によっても違うようだ(と、少なくともこれまで読んだ本や現地で人から聞いた話を総合すると、考えられる)。このドリーミングは婚姻のタブーと結びついていて、同じドリーミングの間では結婚できない。また、同じドリーミング同士だけに許されるテリトリー間の移動などもある。
世界が作られたドリームタイムは一種の創世神話の世界だが、アボリジニの文化に特徴的なのは、それが単なる遠い過去ではなく、現在に深く貫入しているということで、ドリームタイムに登場する精霊などは常に存在しつづけ、彼らの日常に関わっている。時間軸が直線的でない彼らの世界観は、どこか数万年の時を超えて、世界を創造した「虹ヘビ」や精霊、あるいは周囲の動物たち、狩りの場面や呪詛のための絵が描かれ続けている岩壁そのもののように思える。

ティーブンが出土した石器を見せてくれた。

二人の祖霊像とみられる絵。この地方には、人の世の始めに二人の兄弟がいて、男だけでは面白くないので、片方が寝ている間にもう一人が女に作りかえられたという話があり、その二人の絵かもしれないという。

エミューの足型が彫られている。

絵、彫刻、手形など、様々な要素が岩壁にみられる。

手先がエミューの足になっている人物像。エミュー・ドリーミングを表している。

そもそもここがエミュー・ドリーミングの場所とされたのは、この岩の窪みが右を向いたエミューのように見えることからかもしれないという。ただし、砂岩は脆く、表面がひび割れて落ちることが少なくない。このサイトの遺跡は35000年くらい前から居住の痕跡がある。そのときと、現在と岩の表面が同じとはちょっと考えにくいのだが。

手形がいくつかあるが、小さなものが多い。おそらく10代前半だろう。ここがイニシエーションの場所だということが頷ける。



さらに車に数十分乗り、ブッシュの奥まで進み、今度はジャイアント・ワラルーと呼ばれるサイトに向かった。
今年岩絵を見に来たのは我々が初めてとあって、ほとんど道の痕跡もない。昨年カカドゥを訪れたときはハエが顔の周りに集まってきて辛かったが、ここはそれほどでもない。困るのは噛む緑色のアリだ。小川を越えて行く。スティーブンは小川でやや白濁した水をペットボトルに入れて飲んでいる。人生の半分をブッシュで過ごしてきた人だ。我々が飲んだら一発で腹を壊すだろう。


ジャイアント・ワラルーの最初のシェルター状壁面。天井にユニークな手形がある。

手形だけでなく、頭のシルエットらしきものもある。これは珍しい。

これはJabiruと呼ばれるコウノトリ科の大きな鳥セグロハゲコウがナマズをくわえているところ。

ここは独身男性のグループが住んでいたとみられるシェルター。左にかいてあるのはウナギで、男性のシンボル。「ここは男の場所だ」というサインになっている。

この独身男性用のシェルターの低い天井には女性像と多産を象徴しているようなカンガルーの親子の絵が。「こういう女と暮らしたい」という願望の表れだろうか。

ジャイアント・ワラルーのメイン・パネル

大きなカンガルーの後ろ足付近にかかれている白い動物は、野犬のディンゴで、カンガルーを追っているように見える。これが同時にかかれたものだとすると、カンガルーはとても大きいことが強調されているように見える。オーストラリアにはかつて体高2メートルにもおよぶ巨大カンガルーがいて、人間が大陸に渡ってきた4-5万年前くらいまでは確実に棲息していたという。これが最近は18000年前くらいまでいたのではないかという説もあるようで、もしかするとそうした巨大カンガルーを描いたものなのかもしれない。パーシーはその可能性を考えていたようで、他のサイトでもやはり4万年くらい前に絶滅したという熊ほどもある巨大なウォンバットが描かれていると、先に紹介した動画で語っている。

メイン・パネルの低いシェルターの天井にかかれた絵。

メイン・パネルの左側の部分


下は別の壁面。このカンガルーは岩と同系色でかかれていて、あたかも岩の中にいるかのように見える効果を狙ったのでは、というのがパーシーの考えだった。ここはワラルーのドリーミングの場所であり、ワラルーの祖霊が岩の中に入っていると考えていたからだというのが彼の説だ。ワラルーの足下では踊っているような人物たちの姿が描かれている。

この日のツアーはこれで終わった。スティーブンが彼の家から2キロ離れたキャンプ場まで一緒に来てくれ、あれこれ説明してくれた。
「今日は新月から数えて二日目だから、月が早く沈む。その後の星空は凄いぞ。ディンゴが遠吠えするかもしれないけど、心配ないからな」と言って、歩いて自分の家に帰っていった。

川で水浴びし、夕方はねぐらに戻る数百羽のキバタンのけたたましい鳴き声とワライカセミの笑い声を聞き、スーパーで買ったスパゲティの麺に日本から持ってきたソースをかけて食べた。
もちろん、我々の他は誰もいない。
ひさしぶりに降るような星をながめて寝た。