オーストラリア再訪 後篇 ジョワルビナ・その2

ジョワルビナの夜は寒かった。日中は30度を超える暑さだが、明け方は10度くらいではないかと思う。毛布二枚でも寒い。これは意外だった。
夜露で薪もすっかり湿気っている。夜、いろんな動物の声を聞いたが、明け方のディンゴの遠吠えが印象的だった。

車でスティーブンの家に行くと、家の中にキャンバスに描かれた絵がたくさん置いてある。彼の父・パーシー、パーシーの友達であり一緒に岩絵を探索し、絵本を出したDick Roughseyの絵、そしてスティーブンの絵だ。ホコリまみれでクモの巣がはっている。
「親父とディックの絵はいずれケアンズのギャラリーに寄贈するつもりなんだ」とスティーブン。彼がキャンプ地や自分たちの土地の中の岩絵に関して話すとき、どこか「そろそろ終わりが近づいているから」というようなニュアンスが感じられ、それが私は気になって仕方なかった。
彼の父親が二人のアボリジニと岩絵の前に座っている古いモノクロ写真がかけてある。彼にとってどんな父親だったのだろう。

この日はSandy Creekというサイトに行くことになっている。ジョワルビナは昨日訪れたジャイアント・ワラルーのサイトとBrady Creekというサイトへのツアーがメインなのだが、Brady Creekはサイクロンでアクセスできなくなっていた。



再びブッシュに車で入る。しばらくすると驚いたことにゲートがあった。設置されてさほど時間が経っていないような、ピカピカのゲートだ。
パネルに「ここは34000年もの間、先住民によって管理されてきた」という文言が記されている。ヨーロッパの入植者はアボリジニには土地の所有という意識が無く、それを示す印もない、だから自分たちが所有の権利を主張すれば認められてしかるべきだと主張して、土地を私有化していったが、本当はアボリジニには厳格にどの土地がどの部族・氏族に属するかという規範があり、これを乱す者には非常に重い懲罰が与えられた。
20世紀後半から土地の返還運動が始まり、部族の聖地とされる地などの一部が返還されていったが、そもそも白人の入植によってアボリジニの人口は約10分の1以下になり、部族地図は激変し、伝統は破壊され、口承でのみ伝えられてきた様々なことがらが非常に曖昧になってしまった。多くが居住地を追われ、絶滅した部族もある。ローラ周辺の岩絵のサイトに関しても複数の部族が自分たちの祖先のものであると主張していて、未だに帰属がはっきりしないのだそうだ。「いつでも彼らに返したいと思っているんだけどね」とスティーブンは言う。

最初のシェルターにはいくつかの石彫があるが、意味はよくわかっていない。

低い天井に素朴な人物像がある。

こちらは大きな黄色の人物像とその上に描かれた首長カメ、棒状の人物像。

カンガルーはいたるところに描かれている。

精霊Quinkan またはQuinkinの、性悪な方、インジン。どんなキャラクターかは前日のブログの動画を参照してほしい。

印象的な男女像が。「原初のペア」みたいなものかな?ときくと、「かもね」と。


下は最も大きなパネルがあるシェルター

彼らの主食のひとつであるヤムイモと岩絵サイトに咲いていたヤムイモの花。

これはヤムイモの精霊ではないかとスティーブン。

Sandy Creek サイトのメインパネルの全体像

メインパネルの右側部分。人間と動物、精霊などが渾然一体となっている。

メインパネルの左上部分。ブラシを使ったようなざっくりしたタッチでカンガルーが描かれているが、これは大変珍しい。

メインパネル左下部分。下が三つ又に分かれいるのはヤムイモ。エミューが並んでいる。

大人と子供の手形が見える。

実にユニークな顔をした人物(精霊?)像。
重なり具合を見ると、エミューの行列の後に上からかかれたことがわかる。

大きな川魚バラムンディ

エミュー・ドリーミングサイトと同じく、男の子のイニシエーションのための場と考えられている遺跡。岩の間の隙間を通ると、大きなホールのような所に出る。荘厳なイメージがある。入り口の横の岩壁には子供の手形が見える。


付近の砂岩の固まりはさながら巨大な古生物の遺骸のようだ。


今回の岩絵探訪はこれでお終い。ローラ周辺の岩絵のハイライトは見られなかったが、遠からず戻ってくるとスティーブンに告げると、どんな場所でも連れて行ってやる、それに、俺も近々新しい車を買うつもりなんだ、と。