オーストラリア・キンバリー旅行8日目

この日は岩絵探索のメインの日だ。Mitchel Plateauのキャンプ場からキンバリー地方北方のハイライトであるミッチェル・フォールズまで歩き、途中岩絵のサイトを二つ見て、さらにミッチェル・フォールズから、座標しかきいていないサイトを探して川の上流に歩いて行ってみるという予定だったが、ともかくその座標しかわかっていないサイトまでどの程度時間がかかるのか、そもそも見つけられるのか、全く不確かだ。しかも、丸一日たっぷり使えるわけではなく、キャンプサイトに戻ったら、翌日の移動距離を減らすために、戻れる所まで戻る、というタイトなスケジュールだった。

キャンプ場からミッチェル・フォールズまではしっかりした標識のついた道があり、片道2時間半ほどというコースになっている。夜明けが6時過ぎ、夕方は5時になるとかなり暗くなるので、できれば3時までにはキャンプ場に戻り、時間をおかずに車に乗って南へ戻りたかった。
キャンプ場から滝まではヘリコプターのサービスもあり、6分ほどの「タクシー」であれば、一人13000円(二、三年前にくらべて値上がりしていた)、少し遊覧飛行を足すとさらに高くなるというメニューだった。キンバリー地方各地でヘリコプターや小型飛行機のサービスを行っているSlingair Heliworkのカウンターに行くと、東洋系の若い女性が受付をしていた。名前を聞かれて、Yamadaと答えると、「日本の方ですか!」と。日本人の女性だった。親の仕事の関係で世界のあちこちで暮らし、日本には数年しか住んだことが無いとのことだったが、東村山に住んでいるというと、「志村けん、ですか」と、ちょっと年齢にそぐわない反応。ここで日本人を見るのは初めてとのことだった。

行きをヘリにして、帰りは都合に合わせて歩きで、と考えていたが、ヘリの始発が9時と遅いので、行きを歩き、帰りは滝を2時発のヘリにした。本当は帰りのヘリの時間をフィクスにしたくなかったが、仕方ない。

滝までの遊歩道にはワンジーナのマークがついたサインポストがあり、わかりやすい。


先ず、Mertens川沿いを下っていく。この道沿いには岩絵がいくつかあるが、最初はLittle Mertensと名付けられた滝の裏側にあると、事前に調べていた。が、乾期で滝の大きさがとても小さくなっていたため、見つけるのにかなり手間どる。

滝の裏側にある岩絵のパネル。
少しわかりにくいが、様々な動物やヤムイモが見える。

少し高い位置にウナギのような形がふたつと、背後に大きな四つ足の動物が左向きで描かれているのが見える。木登りカンガルーのような形だ。

ワラビーと右側に棒のような細長い人物像。

横たわるような大きな白い人物像の背後に無数の細長い人物像が見えるが、かなり風化している。頭に日本髪のような形の装飾をつけているように見える。

細長い人物像の右上に描かれているのは無数の「返し」のついた槍だ。この人物像の頭の部分はおそらく黄色で描かれていたのだろう。かすかに残っているが、白・黄色でかかれた部分は消えてしまっている場合が多い。

さらに川を下ると、「泳ぐ人々」あるいは「戦闘シーン」と名付けられた岩絵のパネルがある。

様々な形の人物像が見える。たしかに、「泳ぐ人」と言われると、手を大きく延ばしていて、クロールでもしているかのように見えるが、返しのついた槍が多く描かれていることから、やはりこれは槍を投げているシーンに見える。

こちらはより具体的に二つのグループが互いに槍を投げ合っているように見え、中央に倒れている人物らしきものも見える。やはりこれは部族間の抗争を描いたものではないだろうか。

さらに下ると落差9mのMertens Fallに出る。ここで下をのぞき込んでいて滑落した観光客がいたらしい。

遊歩道の終点はMitchell Fallsだ。8月は乾期も終盤に近いため、水量がかなり少なくなっているが、それでもダイナミックな景観だ。滝、滝の下は聖なるヘビが住む場所として水に入ることは禁じられている。

滝の上流には安全に泳げる場所があり、そこで家族と別れ、ここから一人で少し上流の岩絵を探しに歩く。
出発前に絵のある場所のGPSの座標は教えてもらっていたのだが、GPSを持っていない。グーグルマップに目印をつけたものをプリントしてきたが、これだけを目印にして歩くのはなかなか難しい。しかも下山のヘリの時間は2時と決まっていたので、あまり多くの時間がなかった。
急いで、それとおぼしき岩山やシェルターを見て歩くがなかなか見つからない。細かいトゲの生えた草や蔓が多く、半ズボンだったのでひざ下は切り傷だらけ、おまけに急いで岩の上を渡り歩くうちに滑って転び、カメラをもろに岩の上に落とす始末。
暑い。水もあっという間に無くなっていく。
疲労困ぱいし、さらに時間ぎりぎりになってきて、ほぼ諦めかけたが、空手で返るのはいかにも悔しく、最後の最後に見通しの良い場所からもう少し上流の方を見てみようと、高い岩の上に上る。眺めると少し先に小さな滝が見えた。滝は文化的にも重要な場所だ。これは可能性あるのでは? Googleマップの川の形にもそれらしい感じがある。急いで行ってみると、やはり目的のサイトが滝の脇にあった。思わず歓喜の声を上げたが、それにしても座標を教えてくれた人が、一言「滝の隣だよ」と言ってくれれば、傷だらけにならずに済んだんだが...。

滝のすぐ近くに大きな洞窟状のシェルターがあり、その前後の壁面に様々な時代の壁画が残っていた。

Bent KneeタイプのBradshaw時代の絵が非常に良い状態で残っている。まるで絵筆で描いた水彩画のような柔らかい、自然なタッチで、人の動きも生き生きとしている。小さいが見事な絵だ。祭礼の場面だろうか。二人並んでいる姿には友人同士のような親密さを感じる。この絵書きは相当な達人だ。


洞窟は部屋がいくつかに分かれたような構造になっているが、ひとつの入り口には白と黒の丸く削られた石が並べて置かれている。岩の表面に線刻したものもある。


この近辺には合計三つのサイトがあると教えられていた。体中に槍が刺さった人物像が描かれる、戦いか、タブーを破った者への処罰を描いた岩絵もあるはずで、是非見たかったのだが、この洞窟の前と後、また、隣のシェルターだけ見て時間切れとし、急いで待ち合わせ場所に戻ることにした。ヘリの時間もあるし、あまりぎりぎりになると家族も気をもむだろうと思ったのだが、行きに岩絵のサイトをあれこれ探しながら歩いたときは2時間近くかかったが、帰りはなんと40分ほどで到着。拍子抜けするほど近かった。良く考えたら、行きは同じ場所をかなりグルグル回っていたし、転んだり、暑さのあまり川に浸かったりしていたのだ。こんなことならもう少し粘って残りのサイトを探せばと思ったが仕方ない。暑さと疲労であまり冷静に判断できなかった。もっと体力をつけないといかんなと、実感した。ただ、緯度と経度だけで、GPSも無く行ったことを考えると悪い結果ではないだろう。
ミッチェル・フォールズに戻り、ヘリが来るまで、川に飛び込んで死んだようにしばし浮いていた。

ヘリの上から見るミッチェル川流域は絶景だった。この川沿いには素晴らしい岩絵があるサイトが無数にある。が、道はない。川沿いにひたすら歩くしかない。また、多くの場所は無断で立ち入ることが禁じられているため、事前に地元のアボリジニのコミュニティから承認を得て、それを行政機関に提出しなくてはならない。一人で行くのは現実的に難しいのだ。だが、いつか再び、さらに下流の岩絵サイトを目指して行ってみたいと思う。

キャンプ場に戻るとかなり陽も傾き始めていたが、翌日の宿がかなり遠かったので、この日のうちに距離を稼いでおこうと、一気に南下した。暗くなってからのラフ・ロードは恐い。放牧地ではいつ道に牛が出てくるかわからない。

行きにも寄ったDrysdale River Stationで再びキャビンを借りて泊まる。
Drysdale River Stationはバイカーの集会があり、100台以上ものオートバイが終結していて、レストランのビュッフェは大にぎわいだった。見ているとバイカーの平均年齢はかなり高い。40-50代、さらに高齢な感じの人も少なくない。そして、ほとんどの人がBMWなどの重いオンロードバイクなのだ。砂地でデコボコのKalumburuロードをよく大型のオンロードバイクで来るもんだなと感心する。
イカーは各地からここに集まってきて、二泊くらいして、また散り散りに別れるというものらしかった。毎回集まる場所を変えているのだそうだ。

これで、今回の旅行の岩絵探索は終了。