オーストラリア岩絵撮影行・2日目(ローラ・ジョワルビナ)

日の出は6時半過ぎだ。真冬なので、一年で一番日が短い。明け方はやはり結構寒く、スティーブが用意しくれた毛布にシュラフを開いた物を載せて丁度いい感じだった。昨日エレンの友達が「夜も暑い」とか言っていたが、やはり白人は体温が高いのかと思う。はっきり言って寒い。
ティーブが午後からというので、また午前中はダンス・フェスティバルを見る。朝食はスーパーで買ったバナナとパンだ。ローラの東にあるレイクランドという町には広大なバナナ農園があるのだが、なぜかチキータバナナ。だが、食事の心配は一切なかった。屋台や出演者のための大きな食堂が出ていて、飲み食いには全く困らない。


ダンスフェス開始の前に主催者代表のトレーシー・ルドウィックの挨拶があった。コンテストがあるのだが、「私は誰も落胆させたくないから、すべてのチームに賞が用意されています」と。そして、「今年は入場者が4000人を超えました」というと、大歓声が。さらに、「国内だけじゃないわよ、ドイツとかベルギーとか....そして、日本の雑誌の取材も来てるのよ!」で、またおぉ〜と歓声が。私のことか? ま、本当ではある。

ダンスは似たものも多いが飽きない。できれば詳しい解説が聞きたいところだったが、ともかく早口でなかなか聞き取れない。プログラムをウェブサイトに載せるなどしてくれたら助かったのだが。




約束の1時になってゲートに行くと、スティーブが待っていた。
「今日は僕の妹がいっしょに行く。彼らと一緒にこの車で」と。スティーブには縁戚関係をむすんだジョアンヌというアボリジニの女性がいて、彼女は聾唖なのだが、やはり聾唖の友達を二人連れてきていた。ヨーク半島のモア島出身のアヴィウと彼の連れ合いらしきパティだ。皆一度岩絵を見てみたいというので、では一緒にということになったようだ。地元のアボリジニでも、岩絵を見たことがある人は多くないようだ。そもそもスティーブはトゥリーザイス家の敷地外のサイトをガイドすることは認められていない。苦肉の策として地元のアボリジニと一緒なら文句ないだろ?という方法をとったわけだ。彼は最初ダンス・フェスティバルの会場から歩くと言っていたのだが、「車があればすぐ近くまで行けるさ、楽ちんだ」とのこと。車は普通の乗用車のようなのだが、問題ないんだろうなと、私も同乗した。

道は完全にオフロードで砂地だ。車一台丁度の幅で左右に迫る枯れ草の枝をガサガサと掻き分けながら走る。運転しているのはパティーだが、「うわわわわ....」と、あきらかに恐々走ってる感じだ。「これは大丈夫なのか?」と思うまもなく、深い砂にタイヤがはまって動かなくなってしまった。
ティーブは「おいおいおい、ちゃんと4WDにしてるか?」とか言うのだが、どこを見ても4WDに切り替えるレバーもボタン何も無し。よく見たら私が借りたのと同じトヨタのクルーガーじゃないか。普通の乗用車なのだ。砂地を走れるわけがないのだ。
皆でタイヤの下の砂を掘り、木の皮や枝を挟んで抜け出したが、再びすぐにはまってしまった。
「だめだ。戻ろう」とスティーブ。「この車、てっきり4WDかと思ったんだが」というのだが、私には最初からそうは見えなかった。彼は車でこの道に入るのは初めてなのかもしれないが、どうも前回のこともあり、ちょっとこうしたことの判断が甘い気がしてならない。
「もしかして、今日はこれでお開きとか?」と尋ねると、「いやいや、他にもたくさんあるから」。
すでに2時半を回り、陽が傾いてきた。


女性二人は「もういいわ」ということになって別れたが、アヴィウは一緒に行くことになった。ジョワルビナの中にあるレッド・ブラフ(赤い崖)という場所だ。車で近くまで行けるというが、誰の車で? 今回は俺の車は使えないよ、というと、「大丈夫、自分の4WDが道の途中にあるから」と。
前回訪れたときも、彼の4WDが道の途中にあり、どうしてそれを使わないで我々のレンタカーを使うのか不思議だったが、ようやくわかった。ナンバープレートをとっていないのだ。なので敷地の外に出られないのだ。でもこれから行く場所は敷地内だから問題無いと、ミラーの割れた彼の車に乗り換えた。
レッド・ブラフはその名の通り、赤い岩が突き出た比較的低い場所だ。絵はあまり数が多くないが、眺めがいい。朝から活動していたら、車の問題もなんとかなったかもしれないが、今日は仕方ないからこれで良しとしよう。スティーブに任せるしかない。



レッド・ブラフにはおなじみのインジンの絵がある。猿のような姿で尻尾の先が球になっている。これでピョンピョン跳ねるイメージだ。インジンはパーシーの絵本『クゥインキン』では子供を捕らえて同じような姿に変えてしまうという話になっていた。オーストラリア再訪 後篇 ジョワルビナ・その2 - lithosの日記が、スティーブは「あんなのは親父の絵本のくだらない話だ。悪い精霊とかいい精霊とかはないんだ。みな恐ろしく、人間に対しては良い面も悪い面も両方もっているんだ。インジンはこれだけたくさん描いてあるところをみるとトーテムだったんじゃないかと思う」と。パーシーは地元のアボリジニの言い伝えを元に本を書いたのかと思ったが、そうでもないのかもしれない。
前回スティーブにサンディー・クリークというサイトに連れていってもらったときに、男女のペア像があり、女性の方に手形が押してあった。女性は一種の財産とみなされていたので、これは所有を意識したサインでは、とスティーブは言っていたが、レッド・ブラフには男性像の中に手形が押してあるものがあった。解釈はなかなか難しい。

アヴィウはとても人が良い。これはディンゴだな、これはこうして手形をとったんだ、インジンはピョンピョン跳ねるやつだね、と、手振りで説明する。彼の島にも絵はあったんだろうか。尋ねるのを忘れてしまった。

この日から二泊、ジョワルビナのキャンプ場に泊まる予定だったが、スティーブが俺の家の敷地に泊まれよ、友達も子供たちも来てるから、と誘ってくれた。ありがたく受けて家の前にテントを張る。スティーブの娘エラと、兄のロイスもいた。二人とも実に気さくだ。エラはメルボルンに住んでいる。兄のロイスはケアンズだ。ごく小さいときは冬の間ここに住んでいたらしい。懐かしいし、できればいつでも来たいと。

エラは高校生のとき、学校の旅行で日本に来たという。ちょっと前はクイーンズランドは日本人の観光客も多く、学校で日本語のプログラムが盛んだったらしい。ロイスも日本語の授業をとったという。大阪、京都、あとおそらく紀伊半島のどこかの町の家にホームステイしたという。小さな干した魚を朝食べたわと。目刺しのことらしい。
そんな話をしているとジョアンヌが「私も日本に行ったもん」と。よく聞くと聾唖のスキーヤーとして85年に札幌で開催された競技に来たようなのだ。「上手いもんよ。あのとき私はまだ15だった....今47よ」とノートに書いて「ちぇっ!」と。ちょっと数があわないが。ジョアンヌはおてんばな子がそのままおばさんになったような人だ。

夕飯はオープンファイアで調理した肉と野菜で、ごちそうになってしまった。途中ビールを買おうとローラに寄ったが、ホテルのバーは持ち出しはダメと。他に酒屋は無い。スティーブがうちにいくらでもあるから大丈夫だと。彼には今回日本酒を土産に持ってきた。
火のまわりで歓談して、やはり疲れたので、早めにテントに入る。アボリジニ三人組は遅くまで手話で話しながら時々大笑いしていた。
テントから首を出すと本当に降るような星空で、南十字星が見えた。