オーストラリア岩絵撮影行・3日目(ローラ・ジョワルビナ)

夜明けと同時に外に出る。やはり寒い。が、ロイスは外にテントも無しで寝たようだ。
「一昨日は少し離れた木の下に寝たんだけど、すぐ横を牛が何頭も通って、踏み殺されそうで怖かった」と。こちらの放牧は完全に放ったらかしなので、牛があちこち適当に移動するのだ。ジョワルビナの家の周囲にもフェンスはあるのだが、ほとんど壊れている。
今日はスティーブの子供二人、アボリジニ三人、皆家に帰る日だ。私はどうもBrady Creekという昨年行けなかった場所のひとつに行くことになったらしい。エラが「十数年前に行ったきりだけど、私ももう一度行きたいわ。素晴らしい眺めよ」という。そうなのか。

が、出発前にスティーブが疲れ果てた顔で、深いため息をつきながら近づいてきて、小さな声で「ヒディ、今日行くところはそれはそれは道が悪いんだよ...」と、なんとも気の進まない様子。特にそれ以上の説明もなく、そのまま無言で出発。スティーブは基本的に寡黙なのだ。あまりこういう仕事に向いているとは言えないかもしれない。
そして、てっきり私だけのツアーかと思いきや、ジョワルビナのキャンプ場で2家族と合流。小さな子が数人いる。これは参った。子供と一緒だと撮影はなかなか難しい。でも彼にとっても書き入れ時なので仕方ないか。

ティーブの深いため息もうなずける悪路を進み、かなりの距離車で移動した後は、ほとんど道の無い急な山の斜面を木の枝をはらいながら進むきつい登りが続く。彼のため息はこっちの方に関してだったかもしれない。すぐに二、三の子が泣き声になり、「蜘蛛がぁ〜、アリに噛まれた〜。パパもう帰りたい」という感じになる。これは家族連れを連れて来るのはちょっと酷だなと思わざるをえなかった。彼も5年ぶりだという。だから道の跡も何も無くなっているわけだ。件の二家族は歩いた後、川で泳げると聞いていて、それを楽しみにしてなんとか耐えている。木の葉を張り合わせて巣をつくるアリがたくさんいて、下を通るものに攻撃してくる。これが痛い。このアリはアボリジニの食料でもあった。蟻酸が酸っぱいのだが。

Brady Creekには大小いくつかのシェルターがあるが、かなり鮮明なものがある。オオコウモリ(フライング・フォックス)の絵がビビッドに残っているが、これは男たちの秘密の集まりに関連しているのだと、スティーブ。シェルターに残っていた石器も見せてくれた。面白いのは白人が持ち込んだ鉄製のスコップなどを細かく割りとって鏃などに使っていたということだ。ボロボロのスコップが石器と一緒に置いてあった。


Brady Creekはいくつかの細かなシェルターに別れていて、あまり大きなパネルはない。基本的には昨年見たいくつかのサイトと良く似ている。カンガルーやそれを追うディンゴ、女性像でペンダントを付けているものもあった。一番上の壁面には大きな赤いナマズが描かれていた。

3時間ほど歩き、ようやく下に降り、家族連れは川遊びに。私たちはもう少しあるというので、先に進むことに。
「あとどれくらい歩くの?」と聞くと、今までと同じくらいという返事。私も川に飛び込んでそのまま帰りたくなった。ともかくきつい。そもそも今日はどれくらい歩くとか、何時頃に戻るつもり、とか。彼はいつも何も言わない。何も言わないが、たいてい朝出ると遅くとも2時くらいに戻る感じだった。なので食事はしない。今日も水しかもってこなったが、気付けばもう3時をまわり、空腹のためか暑さのためかフラフラしてきたのだ。しかも、一度下に降りて休んだのがいけなかった。再び急な斜面を登り始めたとき、ひざの上の筋肉が両方いっぺんにつって痛いのなんの。もう無理かと思ったが、もみながら歩く。

「スティーブ、足がね、ちょっと痛い。もしかすると途中で無理になるかも、なんちゃって....」と言うと、彼も死にそうな顔をしている。私よりおそらく10歳くらい年上で、連日やっているのだ。無理もない。私もそもそも山歩きなどで足がつるというのは、一昨年末ペルーのワイナピチュに登ったあと、バスの座席から立ち上がろうとしたときが初めてだった。両足の腿がいっぺんにつって、動けなくなってしまった。娘にダサいと馬鹿にされたが、今回はまた別な筋肉だ。50を超えるといろいろ驚くようなことがある。最後、一番てっぺんのシェルターにたどり着いたときは写真を撮る気力もなく、そのまま倒れてしばらく気絶するように寝てしまった。起きるとスティーブも倒れている。
下に降りたときはもう陽が暮れかかっていた。しかも何も食べずに。

「いやー、やったな、ヒディ」。
やったな、じゃないよ。丸一日かかるとちゃんと言うように。それでも、後半の一番上のシェルターにはヤムイモのトーテムに関する絵がたくさんあり、他であまり見られないものもあった。気絶しそうになった甲斐はなくはない。

キャンプ場に降りてくると、さすがにハイ・シーズンだけあってキャンパーがたくさんいる。次々に彼の車に近寄ってきて、「明日岩絵のツアーに行けないか?」と聞いてくる。「明日は私はこのヒディをクィンカン・ギャラリーとジャイアント・ホースに絶対に連れていかねばならないんだ。普段、そこは行かない所なんだが、明日はそれが最優先なんだ」と。うんうん、初日に行けなかったからね、明日は是非私だけそこに連れてってください。他の客と一緒だとやはり全体像がゆっくり撮れない。
「そこはすごく急な斜面をクライミングしていくルートだから大変なんだ」と彼。え? 俺は明日、ツアーが終わったらまた300キロ運転してケアンズにかえらなくちゃならないんだけど? そんなきつい登りの後じゃ絶対に居眠りしちゃうよ、と俺。「え?そうなのか?」。一昨日も昨日も言ったはずなんだけど...。
「それじゃあ、スティーブ、この人の4WDに乗せてもらって一緒に一昨日途中であきらめた道を行ったら? そうしたらクライミングしなくてもサイトの近くまで車で行けるんでしょ?」と私。できればメインの場所は一人で連れて行って欲しかったが、しかたない。
「うーん、そうだな、うん、その方が楽だね」と彼もその気になっている。そうこうしているうちに次々に家族連れやら何やら「うちも岩絵に行きたい」と寄ってくるのだった。正式にクィンカン・センターのツアーに参加すれば行けるのだが。そこで頼むと一人二万円超えるという高いツアーだ。スティーブは75ドル、つまり三分の一ほどで受けている。
「明日か、明日はまずいんだよ、このヒディをクィンカン・ギャラリーとジャイアント・ホースに連れていかなくちゃいけない。これはマストなんだ。そこは普段は私は連れていかないところで、センターに頼むと一人二万円強という人殺しに等しい値段だが、もしどうしてもと言うのなら、私の場合特別に今回は100ドルなんだけどねぇ...。どうしても行きたいのなら、うーん...」って、営業してるじゃないか! 気がつけば20人を超えるとんでもない団体になってしまった。もう暗澹たる気分になってきた。人の入らない写真が撮れるんだろうか。

彼の子と友達が帰った後の家はしんと静まり返っている。ダッチオーブンで彼が肉を焼き、二人で食べた。二人ともどちらかというと無口だが、もう慣れてきたのであまり気を遣わなくていい。

以前スティーブの父であり、ローラ周辺の岩絵を探索したパーシーが、岩絵の中に4万年ほど前に絶滅した巨大ウォンバットの絵があると、興奮しながら話している映像を見たことがある。昨夜みんなの前でどう思う?と聞いた。スティーブは「それは間違いだよ」と素っ気なく答えた。エラは「おじいちゃんは夢見がちな人だったのよ」と言う。
では、例のニトミルク渓谷にある巨大鳥の絵だと話題になったものはどうだろう? 可能性あると思うかあらためて聞いてみた。彼は奥から厚い本を持ってきた。オーストラリアの考古学に関する本だ。彼が開いた頁に巨大ウォンバットや巨大鳥の生息地の分布が示された地図が載っていた。ウォンバットクイーンズランド北部にはまったくかかっていなかったし、鳥の方もカカドゥ周辺にはかかっていないようだった。「そういうことだよ」と。そうなのか。たしかにウォンバットの方はちょっとどうかなと思う絵だったが、鳥の方は説得力あるように感じていたのだが。地図を見ると分布図とカカドゥの南は全くかけ離れているというほどではないので、可能性ゼロではないかもしれない。それに、この鳥を見て帰ってきた人が描いたのかもしれない、と考えよう。

ティーブは父パーシーと違って、どこか醒めたところがあるように見える。冬の数ヶ月間電気もないキャンプ地で暮らす生活を彼は自ら選んだわけではない。気がつけば、5歳にしてすでにこの日私がヘトヘトになったBrady Creekの岩絵まで登っていたのだ。彼と彼の兄マットはこの宿命をどこか背負ってしまったというところがある。驚くのは、これほど人里離れた場所で、彼の父パーシーはさらに別棟を造って一人の時間を持とうとしていたということだ。アボリジニの失われた絵を探して都会から移り、土地を買い、キャンプ場を開き、人を案内していたパーシーはエラの言うように「夢見がち」であったに違いない。マットは会っていないが、スティーブは何について話す場合でも、理屈をたてようとする感がある。こちらが何か尋ねるとちょっとした沈黙があり、自分の中で組み立ててから話すようなところがある。

このままいけば、彼がガイドをやめるときがこの場所の終わりになるに違いないと私は思った。誰か雇えばキャンプ場は維持できるだろうが、岩絵を案内するのは容易でない。それに、いずれは土地はアボリジニに返還されることになる。ただ、どの部族に帰属するのか、何のエビデンスもないため、ただただもめ続けているだけだ。
この日も疲れていたので、早く寝ることにした。スティーブは洗濯を始めた。「明日たくさんの人をガイドしなくちゃいけないから、シャツを綺麗にしなくちゃな」と笑いながら。