オーストラリア岩絵撮影行・4日目(ジョワルビナ・ローラ・ケアンズ)

朝、少し周辺を散歩した。枝からたくさん根が出ている面白い木がある。マングローブとかではない。雨期にはここまで水に浸かるということだ。

8時過ぎに出発の準備を始めた。今日は空腹で歩くのはごめんだ。リンゴを二個カバンに入れた。
早々に老夫婦がやってきた。この二人は昨日カルチャー・センターのツアーでクィンカン・ギャラリーとジャイアント・ホースに行っているにもかかわらず、ぼんやりしていてもつまらないので、同じ場所でもいいから歩きたいと。かなりきつい登りがあるかもしれないと言っているのに、元気そのものだ。

「彼らの車に乗せてもらうんだろ?」と私。スティーブはちょっと重い表情で、「いや....やっぱり歩くことにしよう」と。やはり本来彼が認められていないガイドを、専用の道をつかってするのはまずいと思ったのだろう。仕方ない。なんとか帰りの車で居眠りさえしなければいいんだ。
さすがに道が険しかった。参加者は60代から70代の夫婦が三組と、小さな子のいる家族連れが二組だ。「ここまで険しいとはな」とか、「あなたがツアー代をケチッたからじゃない?」などといいつつも、楽しげに歩いている。5歳くらいの子も片手にチーターのぬいぐるみをがっちりつかんで黙々と歩いている。昨日の子たちより強い。昨日足がつった私も湿布を貼ったこともあってか、なんとか登れた。スティーブは人が変わったように、にこやかに説明している。仕事モードなのだ。

先ず、ジャイアント・ホースと呼ばれているサイトに行く。その名の通り巨大な馬が二ヶ所に描かれている。ひとつでは手綱を持っている人物が馬に振り落とされて落馬しているようにも見える。

馬はヨーロッパ人が持ち込んだ動物だ。牛もいなかった。初めて馬を見たとき、彼らはどれだけ驚いたことだろう。最初は大きなディンゴだと思ったという話もある。
このエリアを代表するサイトだけあって、見ごたえがあった。
最初にこの地に入植してバファローを放牧した男達はアボリジニの女性を奪い、男の格好をさせ、昼間は牧童として働かせ、夜は女として相手をさせていた。彼女たちは優秀な牧童になったという。逃げた女性が白人が持ち込んだ梅毒をアボリジニの間に広める原因にもなった。

次に、ローラ周辺の岩絵サイトの中心とも言える、クィンカン・ギャラリーに移動する。途中正規のツアーの車と遭遇。スティーブが私を指さしながら、なにやら説明している。いろいろ事情があって、彼を案内することなって、そうしたらいっしょに行きたいという人が増えてしまって......とか言っているのだろう。
そもそも彼の父親なくして、この近辺の岩絵が広く知られることはなかったのだから、トゥリーザイス家には敬意がはらわれてしかるべきだと思うのだが、カルチャーセンターは役人がやっていて、責任者はどうにもやる気の無い感じの男なのだ。一昨年訪れた際にはわざわざ日本から行くと言っているのに、センターを開けもしなかった。
雑貨屋の主人に「カルチャー・センターを見たかったんだけど、閉まっててね。残念」というと、「そうかい、あそこにいるのが責任者だけど」と。あまり客が来ないからとセンターを開けずに、ぼんやりコーヒーを飲んでいた。
是非見たいんだけど、今から見られないか? というと、「明日は開けるかも」という返事だった。公共機関がやっていて、「かも」なんてあるのか? スティーブにその話をしたら、「俺は何度もあいつにもうお前は辞めろと言ったんだ。あいつはアボリジニの文化なんて何の興味も無いし、知識もない。まじめにやる気もない。まったくふさわしくないんだ」と苦々しく言うのだった。どうしてアボリジニの文化センターで運営しているのは白人なんだ? 地元のアボリジニがやれないのか? というと、お前はわかってないな、という感じで軽くいなされた。

クィンカン・ギャラリーはなかなかの迫力だった。ここはイニシエーションの場所であり、一種の聖地だったようだ。趣が居住地と全く違う。白い朱鷺を含むトーテムの行列は、どこかこの地方全体の物語を感じさせるものがあるし、奥まった深いシェルターに書かれたラマラ像は大きく、迫力があった。岩の構造も全体が自然にできた神殿のような趣がある。ラマラはスティーブによれば、様々な祖霊のさらに元になった、大いなる祖霊とでもいうべき存在のようだ。この半洞窟のようなシェルターは奥に人がひとり這って進めるくらいの穴があいていて、それは他のシェルターに通じている。スティーブ曰くこれはイニシエーション用の通路で、この大きなラマラ像のあるシェルターに暗い道を這って進んで出る格好になっているのだと。ここは子どもはきては行けない場所で、大人になって初めてこの大きな像を見るという仕組みになっていたのかもしれない。


ティーブの父パーシーの絵本にインジンとラマラが出てくる「クィンキン」というものがあり、そこではインジンは子供をさらって妖怪に変えてしまう悪しき精霊、ラマラは人の味方になってくれる優しい精霊という話になっていた。そのままとはいわないまでも、そうした言い伝えがあるのかと思ったが、スティーブは「そんなのは親父が絵本のためにつくったくだらない話だ」と。「いい精霊とか、悪い精霊とかそんなものはない。どちらもどちらなんだ、と。これまで読んだ本からの知識からしても彼の言うことの方が妥当な気がした。

山から降りるとすでに4時。ヘトヘトではあったが、スティーブと別れ、車に乗り、ケアンズへ向かう。本当はローラで昨年良くしてもらった雑貨屋の主人に挨拶したかったが、そんな余裕は無かった。暗くなると牛が道にたくさん出てきてこれが危ない。除けようとしてハンドルを切り、路肩の木や岩にクラッシュするというのはよくことのようだ。「闇の中の黒い牛」も怖いが、夕暮れ時の黄土色の牛も背景に溶け込んでいるので意外に近くになるまで気付かない。
ローラあたりになるとワラビーが累々と道で死んでいる。スティーブいわく、彼らは車というものを全く学習しないと。私も一度、道脇にワラビーが出てきて、じっとこっちを見ていたのが、車が来る直前に道を渡るのに遭遇した。
ケアンズは結構激しい雨が降っていた。