オーストラリア岩絵撮影行・7日目(カカドゥ国立公園・アーネムランド)

今日からアーネムランドの中にあるDavidson's Arnhemland Safariに二泊することになっている。アーネムランドの西北、伝統的にAmurdak語を話すUlba Bunidj族の土地で、Max Davidsonマックス・デイヴィッドソンが地権者から土地を借りる形で1986年から、フル・ガイド方式のサービスをしている。近くにボラデール山があり、そこに見事な岩絵があることを知っていたので、宿泊料がかなり高いが泊まることにした。施設の維持だけでも大変だろうし、収益を地権者の5家族に渡しているので仕方ないとは思うが、円安の影響もあり、ほんとうにコストが高い。

ジャビルの空港から4人乗りのセスナで飛ぶ。パイロットは仕事を始めてまだ三ヵ月という若い子だ。空港のすぐ近くに大きな鉱山が見える。ウランの採掘をしているレンジャー鉱山だ。1980年代初頭から操業していて、ここで採掘されたウランを関西・九州・四国の三電力会社と伊藤忠商事出資による日豪ウラン資源開発という会社を通じて日本の原子力発電用に大量に輸入している。日本とはかなり関わりの深い鉱山なのだ。地権者はGundjeihmiグンジェイッミ語を話すアボリジニの氏族Mirarrミラルの人々だが、開発の同意を得る手続きはかなり強引であったとも言われ、根強い反対運動がある。精製施設の汚染水漏れの事故なども少なくない。近くにもうひとつジャビルカ鉱山があり、こちらの開発にも日本の資本が入っている。開発許可が出された後、反対運動によって中止されている。レンジャー、ジャビルカの両鉱山と反対運動に関するドキュメンタリー映画『ジャビルカ』が日本でも上映され、現在DVDも入手可能なようだ。私も観ようと思う。http://www.parc-jp.org/video/sakuhin/jyabiruka.html

飛行機の窓から見る大きく蛇行する川の姿はまさにへびそのものだ。ニジ蛇が現在の地形を作ったという話は、氷河期が終わり、気候が現在のような長い雨期のあるものになり、しばしば氾濫して人の住む場所を飲みこむ川のイメージそのものではないか。

Davidson's Arnhemland Safariダーウィンからの送迎もある。自分で4WDを運転して行くことも可能ではあるが、ともかく、一昨年訪れたオエンペリというアボリジニの町を過ぎたら人が全く住んでいないのだ。入るだけでも事前に許可を得る必要があるし、目的地以外に行くことも、許されない。
私はSafariの周囲にアボリジニのコミュニティがあるのだと誤解していた。最後にこの土地に生まれ住んだ経験があるのがチャーリー・マンガルダCharlie Munguldaという男性で、第二次大戦中か大戦後、彼が8歳のときに土地を離れてから誰も住んでいないのだ。なので、この土地について、また岩絵の場所や意味について熟知している者もいなかったわけだ。地権者は現在5家族で、チャーリー以外はこの土地に来たこともないという。この場所は岩絵が有名だが、多くの場所はデイヴィッドソンがサファリを開いてから再発見したものだ。比較的最近も新しい場所が見つかっているし、まだ未探索の場所がいくらでもあるようだ。
到着してキャビンに案内された後は、すぐに岩絵に案内してもらうことになった。今回は写真撮影のためなので個人ガイドをつけてもらった。30代前半くらいに見えるルイスだ。若いがガイド歴は長い。
車はおそらくサファリを開いた80年代当時のランドクルーザーで、窓もサイドミラーも何も全部無くなって骨組みだけになっている。「電子部品をあまり多用してないから修理しやすいんだよ」と。



ボートでLeft Hand Creekという川を遡上し、さらに水量の少ないビラボンを通っていくが、一昨年5月の頭にカカドゥを訪れたときと違って睡蓮が咲き、水鳥がたくさん集まっている。水のひいた後の湿地は鳥の格好のえさ場なのだ。マグパイ・グースが何十羽と一斉に飛び立つのは壮観だし、鶴も群れをなしている。ペリカンやおなじみの塩水ワニもいる。嬉しかったのは頭に赤いトサカがついているバンがたくさん見られたことだ。前回はちらっとしか見られなかったが、今回はボートの先をたくさん飛び去っていく。


ボートを降りて岩場を歩く。タコノキやアダンに似た木が岩の上にたくさん生えているが、実の先が繊維だけになり、翁の顎髭のような姿のものが岩の上にたくさん固まって転がっている。木から落ちたにしては不自然だ。岩ワラビーはこれが大好きで落ちている実を持って岩に上がり、柔らかい部分をしごいて食べるのだそうだ。実際、翌日この実を持って岩の上に上がるワラビーを見た。

この近辺の岩絵のあるシェルターはあまり高くない。雨期でも水に浸からないぎりぎりくらいではないだろうか。スタイルはカカドゥやインジャラクとよく似たX線技法の魚や人物が最前面にあるが、古い技法のものも多く残っている。
カヌーに乗る人の絵もある。アボリジニではなく、北部にナマコ漁に訪れ、アボリジニと交易を行っていたインドネシア人かもしれないという。


ディジェリドゥを吹く人の姿もある。


大きなシェルターは複雑なトンネル状になっているものが多い。長年水に侵食されてできた構造だが、さらにこれが人工的に削られていて、さながら石窟寺院のようになっている。何千年、あるいはそれ以上も人が住んだかもしれない。天井は煤で真っ黒だ。
大きな洞窟状のシェルターにはたいてい埋葬の場所がある。人骨を木の皮やカゴ状のものでくるんで洞に入れたものだ。ほとんどが包みが砕けて骨がむき出しになっている。穴は岩ワラビーの格好の住み処でもあるので、骨を蹴落としてしまうのだという。赤く染めた骨がある。重要人物の骨にはそうしたことをしたのだとガイドのルイス。人が亡くなると木の上に板を渡し、遺体を起き、鳥葬にする。狩猟採集生活の彼らは移動しながら生活しているが、再び戻ってきたときには遺体はきれいに骨になっている。これをあつめて包み、洞窟の中の洞に安置するのだ。きちんとした手順で行うことが魂が現世にとどまらずに冥界に行くために必要で、魂がこの世に残ってしまうことをとても恐れていた。
今は亡くなったらすぐに埋葬する義務があるが、一定期間を置いて掘り出し、儀式を行って骨を取り出して家族に渡すということをしている場所もあるようだ。オエンペリの町で花を盛り上げた埋葬場所を見た。葬送の儀礼を行っている家は赤い線で家の壁にぐるりと印がつけてある。

比較的最近見つけたという虹ヘビのシェルターにも連れていってくれた。ここに来た人はまだあまりいないんだと。面白い形をしている。牙が生えていて、このエリアにはやはり鋭い牙の生えた有名な巨大なニジヘビの絵があるが、それともちょっと違った姿だ。そこも当然行くんだよね?と聞くと、「行きたいの?」と。あぶないところだった。何も言わなければ連れていってもらえなかった可能性がある。

絵を描くためか、オーカーを砕いた跡も残っていて、70年以上も人が住んでないとは思えないものがあった。ガラス片を細かく割って黒曜石のスクレイパーのようにしたものも落ちている。「見たら元に戻しておいてね。一切何も持ち出さないと約束してるんだ」と。

昼食に戻り、他の宿泊客と会話する。50代くらいの女性二人連れ、十代の娘が三人いる家族連れ。どちらも日本に旅行に来たことがあるという。「日本は何を食べてもおいしい」と、皆言うのだった。中学生くらいの次女が「私はギョウザが好きなんだ」と。最近、本当に日本と日本食が人気なようだ。シドニー一風堂など大繁盛しているようだが、一杯1500円以上するらしい....。
ティー・グループでファイナンシャル・アドバイザーをしているという夫が、今年の秋に家族で日本に行くんだが、東京の寿司屋でおすすめは?と聞いてくる。
「ジローってのがあるんだろ?」
あるらしいけどねぇ。私は回らない寿司屋はまず行かないので。それに、ジローとかは家族連れで行く場所じゃないと思う、高いよ、というと、「いいんだ、ちょっと高くても。ともかく食べてみたいんだ、何でも。ワギュウは? 岩塩の上で焼くワギュウがあるんだって?」と。知らんなぁ。私は松屋の牛丼がプレミアムになって100円値上がりしたことにショックを受けたくらいだからして.....こっちじゃ380円じゃサンドイッチも買えない。たたみかけるように、「フグ料理はどうなの?」と聞いてくる。きみは日本というと、食い物のことばかりなのか?
「フグは高い寿司屋よりも観光客には面白いかも。オオサカでは当たると死ぬということで、鉄砲、ガン・シチューとか、ガン・サシーミとか言うんですよ。たまに危険な部位をあえて食べて死ぬ人もいます」と、適当に言うと、娘が「そんなの絶対いやだいやだいやだ。ギョーザがいいギョーザが!」。だよな。
宿泊料が高いこともあり、どうも客はリタイヤした医者とかある程度余裕のある人が多いわけで、皆感じのいい人たちではあるんだが、私はだんだんこの朝・昼・夜の「社交的な」会食が面倒くさくなってきた。「あら、私もあなたのご主人に資産運用のアドバイスをしてもらおうかしらホホホ」とか、「もうひとつ質問してもよろしくて?」とか....うーむ。だんだんくたびれてくる。
ただ、こうしたサファリのような場所で網戸しかないキャビンに泊まって、虫刺されの薬を塗ってボートで川を遡上したり、ブッシュを汗をかきながら歩くのが楽しい、というのが日本の富裕層とちょっと違うところかと思う。年に一ヶ月以上休暇をとるのが普通なのだ。一般の商店なども日曜はきっちり休んでいる。それでこの物価で経済がまわっているのだから豊かなのだ。

午後は有名な虹ヘビのサイトなどに連れていってもらった。このエリアの岩絵のシンボルでもある。私はてっきりそれがボラデール山の上にあるのかと思ったが、そうではなかった。比較的新しい絵だが、なかなか迫力ある。びっしり牙が生え、舌まで出している虹ヘビというのは他にないんではないだろうか。首に襟がついているし、ヒレのようなものがある。体にはぼつぼつと斑点があり、どうもこれも特徴のひとつのようだ。カカドゥやインジャラクで見たニジヘビは本当に虹のように塗り分けられたU字型のシンボリックなものだったが、これは妙に禍々しい。

ニジヘビはスタイルからしてもここ数世紀以内の絵に違いないが、かなり古いブラッシュ・ストロークで描かれたナチュラリスティックと呼ばれるタイプのものも多い。1万5千年から2万年前くらいの絵だという。

2万年以上前という、最も古い絵は、穂のついた草に染料につけて岩肌に叩きつけたシンプルな線などだ。ひとつのシェルターでも細かく見ると実にいろいろな絵の技法、モチーフがある。古い線で書いたシンプルな人物像を後の文化では、人が描いたものではなく、ミミという精霊によるものだと考えた。文化的な断絶があったのか、担い手そのものが変わったのかわからないが、キンバリー地方でブラッドショータイプの絵が後の時代では人が描いたものではないとされ、あまり大切にされなかったというのとよく似た話だ。

丸一日ひたすら岩絵のサイトを見て、あっというまに日が暮れた。