オーストラリア岩絵撮影行・9日目(カカドゥ国立公園)

朝サファリから行きと同じパイロット、同じ飛行機に乗ってジャビルに戻る。
今日は一日フリーだ。前回行けなかったジムジム・フォールズなど、カカドゥ国立公園の有名なスポットに行く手もあったが、どうせなので、カカドゥ国立公園内の岩絵サイトを再訪し、徹底的に撮ることにする。
前回も重宝したジャビルのパン屋に寄って昼飯を買う。バゲットにサラミなどが挟んであるサンドイッチが800円近くする。高いが、うっかりホテルのレストランで食べようなものなら、大変なことになるだろう。朝食のビュッフェが2000円以上することもあるのだ。
ジャビルから少し南西に戻ったところにあるNourlangie Rock=ノーランジー・ロックの岩絵を見ることにした。この岩の伝統的な名はBurrungguiでブルンッグィと発音するのだろうか。このエリアがナウランジャと呼ばれていたことで、ノーランジーと呼ばれるようになったらしい。大きな岩山だ。カカドゥの東南エリアからアーネムランド西部に広がる巨大な堆積岩の岩盤アーネムランド台地は1億6千年前に出来た(形成が終わったとき)砂岩を主にする厚い堆積岩の層だ。丸石がたくさん詰まった礫岩が多く見られる場所もあれば、ノーランジー周辺ではクオーツや方解石の礫がたくさん含まれる層が目立つ。ナングールーワーは車から降りて徒歩30分くらいの距離にあるシェルターだが、途中の道にもクオーツの礫がたくさん落ちていて、これがなかなか美しい。

Nanguluwur=ナングールーワーに行くと、ハイ・シーズンだというのに私の他は誰もいない。
ここはシェルターの天井が8メートルと高く、古いハンド・ステンシルがたくさん押してある。いくつかは人さし指から薬指までをくっつける独特な形で、これはエミューの足を模したものだとも言われている。この形はダイナミック・フィギュア期と呼ばれるの絵と一緒になっていることも多いため、2万年前まで遡るかもしれないと言われているらしい。とすると、今は非常に高い天井にあり、足場も無いため、どうやってつけたのか不思議に思えるが、かつてはもう少し低い天井であった、もしくは途中に別の岩が突き出ていた可能性もある。このステンシルは色は淡いのだが、全体がひとつの作品のような趣があり、私はとても好きだ。

前回訪れたときのブログに主な写真と解説はアップしてあるが、サイトの名前の発音はナングルワーというより、ナングールーワーと音を伸ばすようだ。ウェブサイトにも主な画像をアップしてある。

前回も気になったが、どうもこのサイトの壁面は全体的に泥をかぶっている。それなりに高い位置にあるのだが、いつか洪水があったのだろう。一度泥に覆われるとシェルターで雨に当たらないためなかなか泥も落ちないわけだ。だから絵も消えないとも言えるが。
このサイトには比較的新しいX線技法で描かれた魚やカメの絵があるが、これは"Old Nym" Djimogorと呼ばれるアーネムランド出身の男が1960年代半ばくらいに描いた、最も新しい絵だ。彼はこの日の午後訪れるノーランジー・ロックのAnbangangギャラリーの絵を描いたNajombolmiの友達だったという。後にここに訪れたヨーロッパ人がディーゼル燃料を染み込ませたぼろ布を岩の隙間に入れ、火をつけて絵を消そうとしたらしい。世の中には一定数かならずこうしたことをする人がいる。誰かの努力を、人が大切にしているものを台無しにしてやりたいという欲望が強い人だ。幸い絵は残ったが、70年代末の写真を見ると、左上のカンガルーの下あたりが真っ黒くなっているが、今はほとんどわからない。

ここはナーユァーヨングィー(Nayuhyunggi)あるいはナーマンデーと呼ばれる細長い精霊の像などが特徴で、自然とそれらに目が行くのだが、1万年以上前のものである可能性がある古い絵もあり、今回はそれらに注目してみた。年代区分でいうと、2万年くらい前と言われる、足を大きく開いた動きのある人物画、「ダイナミック・フィギュア」と呼ばれる絵がある。

キンバリー地方に残る、リアルな人物画であるブラッドショータイプに似た「ポスト・ダイナミック・フィギュア」と呼ばれるタイプの絵があり、これがなかなか興味深い。槍などの道具と一緒に描かれることが多く、この絵にもいくつか槍などが描かれている。

キンバリー地方のブラッドショータイプの絵は、あまりに他のアボリジニの岩絵と異質だというので、現在のアボリジニの祖先によるものではないのではと言う人もいるらしいが、オーストラリアの外に似たものは見つかっていないし、私はアーネムランドやカカドゥの中にあるいくつかのタイプの絵は良く似たところがあると思う。特に、このポスト・ダイナミック・フィギュアはその一例だ。そして、ブラッドショーに描かれる細長い帽子やひじに付けた房飾りなどはアボリジニの古い記録写真に非常によく似たものがある。


時代区分はよくわからないが、素朴な線で描かれた人物も面白い。下の絵は投槍器を使って槍を投げる人物だ。

何を表しているのかよくわらないものもある。植物のような印象もあるので、ヤムイモ期と呼ばれる、ヤムイモと人のハイブリッドなどが描かれた時期(約1万5千年前)の絵かもしれない。ヤムイモは貴重な食材であり、ドリームタイムには人と同じような姿で歩き回っていた精霊のようなものでもあった。ヤムイモのドリーミングを描いた絵が盛んに描かれた時代がある。ヤムイモのドリーミングは人の頭にヤムイモの蔓や葉が出たような姿で描かれることがある。

また、この部分など、これまで右側のナーマンデーらしくい像に気をとられていたが、あらためて見ると、左下の人物像の方が気になる。棘がついた槍が複数刺さっているように見えるからだ。槍と人物は別の時に描かれ、たまたま重なったのかもしれないが、同じタッチに見えなくもない。もし人物に槍が刺さっている絵だとしたら、どういう意味があるのだろう。

古い短いストロークで描かれた絵に、かなり新しい女性像が重ねて描かれている。重ね描きについて、古い絵を消して描くのではなく、上から重ねるという行為は古い絵の存在を否定するものではなく、一緒に活かされているのだ、という説明をする人がいるが、これは1万年という長い歴史においては必ずしもそうとは限らないと思う。文化的変動も様々にあっただろうし、部族のテリトリーなども変化したに違いない。古いものの上に自分たちの絵を重ねるのは、場所を「更新」する意味を持っていた場合もあるように思うのだが。

これらの手の絵に書かれた模様は、当時のヨーロッパ人の女性がしていたレースの手袋を模したものではないかと言われている。

今回、ナングールーワーではずっと一人だったので、シェルターの端の方もくまなく見てみた。

午後にはさらに同じノーランジー・ロックの別の部分の岩絵サイトを再訪。AnbangangギャラリーにNajombolmiが1964年代に描いた最も新しい部類の絵も再撮影。このエリアの岩絵について初めて記録したのは1962年にここを訪れたイギリスの博物学デヴィッド・アッテンボローらしいが、彼が撮影した時にはこの絵はまだ存在していなかった。その記録映像を見てみたいものだ。

描かれているのは髪飾りを付けたBininとDalugという二つの氏族の男女だ。女性の胸に斑点が描かれているものがあるが、それは母乳を表現しているのだという。1979年に撮影された写真と比べるとかなり擦れて、一部消えてことがわかる。1万年も前の絵が明瞭に残っているのと比べると不思議だが、初期の観光客が多く絵に触れていたことと、かつてこのエリアにたくさんいたバッファローが岩に体をこすりつけることも絵が消えたことの大きな要因の一つらしい。現在も牛が多いエリアなどは柵で囲うなどして対策をしている。このエリアに最後に描かれた絵は1972年のものらしいが、それはもう完全に消えてしまったようだ。

「踊る人」と呼ばれる絵なども再撮影。おそらくよほどの理由がないかぎり、今後再訪することもないだろう。

サウス・アリゲーターの宿に戻る帰り道、ブッシュを焼く煙がもうもうと上がっていた。

宿に早めに戻ると白いインコの大群がホテルの敷地に集まって騒々しいのなんの。このホテルはかなり古く、見た感じ国立公園が出来た80年代に建てられたもののように見える。あちこち錆びているが、この白いインコの通り道になっているので、羽根と糞がすごく清掃の手が回らない感じだ。ジャビルには酒屋が無いようなので、仕方なくバーで買う。なんと缶ビール一本が750円。涙が出そうだ。