オーストラリア岩絵撮影行・10日目(再びアーネムランドに)

この日は最初にオーストラリアに訪れたときにも参加した、アーネムランドのオエンペリ(=グンバランニャ)とインジャラクの丘に行く日帰りツアーに参加する。Lord's Kakaduというツアー会社でオエンペリから許可を得ている少ない会社のひとつだ。アーネムランドから飛行機で帰ってきて、また入るのもばかばかしいが、それぞれルールが厳格に決まっているので仕方ない。
前回参加したときは雨期が終わってシーズンが始まる最初の日だったので、キャラヴァンカーに10人ほどの参加者だったが、今回大型車で20人くらいいる。
イースト・アリゲーター・リバーを越えるともうアーネムランドだ。先ず、前回同様オエンペリのアート・センターであるインジャラク・アートに寄る。オエンペリはアボリジニの町だが、アート・センター、スーパー・マーケット、警察、学校と、責任者は皆白人だ。組織的に管理・運営するということがこの地域のアボリジニのカルチャーにはなかなか馴染まないため、そうしないと回らないのだという説明だった。たとえば、スーパー・マーケットの責任者を地元のアボリジニにしたとして、親族や友人が何か欲しいと言えば、彼はお金を受け取ることはないだろうと。それが彼らのやり方なのだと。
建物の右手に編み物をする女性が、左手に絵を描く男たちがいる。

シルクスクリーンで絹布に絵柄を刷っていた。布はカンボジアから輸入されたもので、ここでプリントした後はまたカンボジアに送るのだそうだ。むこうで縫製などするらしいが、それをまた土産物としてオーストラリアに輸入するのだろう。手間のかかる話だが、絵の版を売ることはしないということなのだと思う。

今回のグループにはかなりの高齢者がいる。うち一人はインジャラクの丘の麓で登るのを断念した。大した勾配ではないが、岩の多い、決して歩きやすい道ではない。70代とおぼしき夫の方はステッキを両手になんとか登る。途中何度か手を引いて岩場を上がるのを手伝ったが、やはりかなり時間がかかった。
ガイドは前回と同じエリックだ。彼は前回はものすごく声が小さく、ほとんど何を言っているのかわからなかったが、今回少し言葉多くなっていて、言っていることがよくわかった。私より5歳くらい年下だということもわかった。アボリジニは老けて見える人が多いように思うが、彼は若く見える。

ここの絵はやはりすごい。この一帯では最も絵の多い場所なのではないだろうか。特にメインのシェルターは塗り重ねられて渾然一体となっているが、この重なり具合そのものがまたひとつの作品性を帯びているように感じられるのだ。最初にオーストラリアに訪れた時、これを見ていなかったら私はここまでアボリジニの岩絵に引き込まれなかったかもしれない。


ここでも前回あまり気にとまらなかった細く年代の古い人物像がたくさんあることに気付く。細い人物像はしばしば槍を持っている。槍には刺が多くついているものもあり、投槍器がついているものも多い。人物と別に槍などの武器が描かれることが多く、判然としないが、戦闘を彷彿とさせるものもある。キンバリー地方の絵も同じタイプで、やはり戦闘の場面らしきものがあった。氷河期が終わり、海抜が急上昇し、様々な社会的軋轢があった可能性もある。広大な土地が急激に失われ、世界観にも大きな変動があったと考えるのが普通ではないだろうか。それと比べると、その後に訪れたフレッシュ・ウォーター期の絵はどこか平穏で豊かに見えなくもない。これがコンタクト期になると呪術的図像というのが増え始める。インジャラクにも人を飲み込んだ鳥のような頭の怪物を描いた呪術的な絵があったが、今回は案内されなかった。これ以外にも是非撮り直したかった絵が二、三あったのだが仕方ない。エリックに写真でも見せれば案内してくれたかもしれないが、そうもいかず。




細い線で描かれる人物像はかつてミミの精霊が描いたものとされていた。ダーウィンのギャラリーなどで売っている樹皮に描いた絵や、ディジェリドゥに描かれた絵には細い小さな人物が描かれることが多いが、これはミミの精霊と呼ばれ、岩の中に棲んでいるといわれている。インジャラクはミミが棲む岩場が多くあると考えられていて、細い人物像は彼らの姿を彼ら自身が描いたものとされていた。つまり、人が描いたものではない、ということで、キンバリー地方におけるブラッドショータイプの絵が後に鳥が描いたものだとされていたということに共通した話だ。
ミミは人間を襲って食べるとも言われていたらしい。アイルランドダーナ神族ケルト人との戦いに負けてシードと呼ばれる小さな妖精のようなものになって岩の中に消えたという話、スコットランドのピクト人が後に小さな人で穴蔵に棲んでいたと言われていた話、日本におけるコロボックルの話など、先立つ文化の担い手を、彼らの残した遺跡とともに、「小さな岩の中に棲む人」や妖精のようなものとして語るようになったのではという考えは、昔から民俗学で言われてきたことだが、ミミの精霊やブラッドショーについても言えることなのかもしれない。

また、 赤ん坊にへその緒がついている絵があり、ここは前回安産祈願の場所だという説明があったような気がするのだが、今回はこれはこういう(赤ん坊?)ドリーミングを示していて、その場所は遠い所にあると言っていた。赤ん坊の上には細い古いタイプの絵があるが、天井ではなく壁面に描かれているのに、人物の天地はばらばらで空間に浮遊しているように見える。

前回ひな鳥に餌をやる親鳥の絵かなと思っていたものが、並んで鳴くワライカセミの絵だということもわかった。 同じパネルにある鋭い歯の生えた動物が何なのか気になっていたが、エリックはタスマニア・タイガーだと。その下にやはり黄色い手に爪が生えている動物のような絵があるのだが、なんとそれは女の絵だと。確かに乳房のようなものがついているが、本当だろうか。

これはエリマキトカゲの絵。

この絵は何なのかずっと疑問に思っていたが、樹皮にくるんだバッグのようなものだということがわかった。

前回同様、丘の一番上のシェルターで食事をした。インジャラクの丘の上は岩が作り出す複雑な構造で、二、三度細い隙間を通るともう方向もよくわからなくなる。広いスペースにオーカーや食材などを砕き、挽くためのすり鉢状の穴が沢山彫られた石があった。

下に降り、再びアート・センターに。
カゴや伝統的な編んだバッグを買う。ペーパー・バーク・トゥリーの樹皮に描いた絵はどれも魅力的だが、丸められないので持って帰るにはかさばるし、節約せねば。

同じホテルから参加した家族連れで姉妹風の二人が私が岩絵の写真を撮っているというと、興味をもって話しかけてきた。彼女らも日本に行ったことがあるらしい。本当に多い。運転手の男性は少し前まで日本人の女性と付き合っていた、いずれ日本に行こうと思っていると。
前回このツアーに参加したときはイースト・アリゲーター川が帰りに増水していて、水位が下がるのを待たなくては行けなかった。海はそんなに近くはないが、潮位に影響をうけるのだ。今回は乾期に入って長いので問題なくスムーズに帰る。
宿で降りると、昼間一緒だった姉妹が「今夜バーベキューをやるんだけど、一緒にどう?」と。面白い人たちだったので、呼ばれることにした。キャビン形式の宿だが、自由に使えるバーベキュー設備がある(ガスだが)。85歳の父親、16の甥も一緒で、甥は白馬にスキーに来たことがあると。ざっくばらんで楽しい家族だった。姉の方はいろんな素材で作品を作っているといい、ウェブサイトを交換した。
どうも今回夕食をご馳走になることが多い。