スラウェシ島探訪6日目

朝早く、トラジャ地方南方の村の葬儀を見学にでかける。香典としてタバコを買っていくべし、と、ガイドのユアニス。こちらではタバコは一般的なのだそうだ。2カートン買う。インドネシアのタバコはみな甘い香料が入っている。男性の喫煙率はまだかなり高く、甘い香料のために虫歯になる者も多いそうだ。
トラジャはコーヒーで有名だが、基本的に田園地帯だ。二毛作で、ちょうど田植えをしている所があった。


葬儀は裕福な家の老女のものだった。7ヵ月前に亡くなったという。こちらでは葬儀にかなりの準備期間をもうけるので、数週間から半年、長ければそれ以上経ってから行われることもあるという。その間、遺体はそのまま置かれている。近年は防腐処理などもするようだが。
トラジャ特有の反り返った屋根の屋敷と穀物貯蔵用の蔵が並ぶ。船のような形だ。装飾が美しい。蔵が多いほど、その家の富の象徴となる。トラジャは古くから身分制度が厳格にあり、4つのカーストに分かれているという。かつては王族もいた。

ブタを香典として持ち込む参拝者も多く、竹竿に縛りつけられたブタの悲鳴が響いている。広場には既に屠られた水牛がおかれ、血だまりが出来ている。
葬儀において最初の水牛が屠られたとき、死者の「死」が確定され、あの世への旅が始まるのだという。水牛はこの地域において力強い生の象徴であり、屠られた水牛は死者のあの世への道連れだ。多くの水牛を屠れば、それだけあの世への旅は確かなものとなり、この世に残された者たちへの恩恵もあると考えられている。
母屋には水牛の頭がついている。


葬儀を仕切っている遺族にタバコを渡し、挨拶をする。笑顔で、好きなだけいてくれていいよ、と。
大人は黒い喪服を着ているが、孫は男の子も女の子もカラフルな衣装を着て、参列者が奉納を行う場所の入り口に座り、参列を先導する。女の子はビーズの装飾品を身に付けていて、これが少しボルネオのダヤク族にも似ている印象がある。
参列が始まり、巨大なスピーカーから案内をする音声が響き渡る。厳粛さというよりは、どこか祭典といった趣だ。客をもてなす裏方の女性達もたいへんな人数でてんてこ舞いしている。静々と参列が続く中、横ではてきぱきと水牛の皮が剥がれ、解体されていく。血と臓物の匂い、牛の内臓から出てきた発酵した牧草の匂いが立ちこめている。裏方では持ち込まれたブタを殺し、毛をバーナーで焼いている。なんとも血なまぐさい葬儀だ。
これらの肉はいずれ竹の中に入れて蒸し焼きにするトラジャの伝統的な料理として振る舞われ、また、土産として渡される。水牛は葬儀を出す側が用意するものだ。



亡くなった老女の娘さんが「あなたも母の顔を見てあげて、上の階にいるから」と声をかけてきた。サングラスをかけた、いかにもお金持ちといった雰囲気が漂っている。英語も流暢だ。
大きなお屋敷の二階に上がると、棺が置かれていたが、蓋は閉じられていた。近くにいた人が「午後にまた開けるから」と。十字架が置かれているのを目にして、そういえばここの人たちは今キリスト教徒なんだ、と、あらためて思い起こさせられた。儀式にキリスト教色が全く感じられないため、すっかり忘れていたのだ。
家屋の装飾はどれもほぼ同じ様式で、水牛の顔をモチーフにしたものが入っている。



次々に参拝者が集まってくる。1000人を超えるだろうとヨハニス。葬儀は2-3日にわたって行われるが、ヨハニスによれば、今回は水牛12頭くらいが屠られるだろうと。「そんなに?」と驚くと、多いときはそんなもんじゃないとのこと。水牛は初日に少し、メインは二日目に屠られるのだという。

裏方の女性達に写真を撮らせてくださいと頼むと皆喜んで応じてくれた。コーヒーや菓子もふるまってくれた。湿ったカリントウのような菓子がある。甘い。
この地方は葬儀がある種観光の対象になっていて、多いときはバスで乗りつけるようなこともあるようだが、邪魔になるようなことさえしなければ、迷惑がられることはないとヨハニス。ただ、この葬儀は観光都市からかなり離れていたので、見たところ観光客は私一人だった。





葬儀場を後にし、Suaya断崖の岩壁に彫られた墓を見にいく。ここは王族専用の墓所だ。墓穴の前に個人を偲ぶ人形が置かれるのがトラジャのスタイルだ。身分の高い、葬儀で24頭以上の水牛を出すことができた葬儀のときだけ、人形を置けるんだとヨハニス。何かと「身分」「家系」「裕福」といった言葉が出てくる。古いものは400年前くらいのものがあるという。
人形たちは、さながらバルコニーから下を眺めているように見える。不思議な光景だ。人形の中に水牛の上に乗っているものがあった。



さらに近くの洞窟内の墓所を訪れる。こちらは岩壁に埋葬される前の埋葬の様式で、さらに古く700年前まで遡る古い墓所だという。鍾乳洞だ。入り口付近に髑髏が積み上げられている。動物などに漁られないよう、高い場所に置かれた木箱式の墓が朽ちて崩れ落ちたものなのだ。

「タバコを供えるから」とヨハニス。何かとタバコなんだな。棺というか箱形の墓はやはり船のような形をしている。


骨の横にキティちゃんのぬいぐるみが。地元の人なのか、観光に着たインドネシアの女の子が置いたのかわからないけど、すごい違和感。

人形も置かれているが、これは比較的新しいものだ。先祖供養のために近年になって置かれたものとのこと。少しユーモラスで、なんだかNHKの昔の人形劇の人形のようにも見える。

木の墓にはとても精緻な彫刻が彫られている。

洞窟の後は、巨木を穿ってつくられた、赤ん坊のための墓を見た。次に生まれてくる「成長」への祈りをこめて生きた木に埋葬するのだと。

古い建物が並ぶ家の敷地にあるレストランで食事をする。母屋の正面には過去に屠られた水牛の角が飾られている。水牛を屠るのは葬儀のときだけだ。結婚式などでは行われない。あくまでも死者をあの世に送るための儀式に限られているという。トラジャの独特な屋根は今はトタンで葺かれているものが多いが、伝統的には二つに割った竹を沢山重ねて葺かれている。古いものの屋根は苔むしている。建物の装飾は美しく見ていて飽きない。古いものはやはり少し新しいものには無い趣がある。





水田の中にこんもりとした丘があり、小さな建物が置かれているところがある。これはきっとかつては社のようなものがあったのだろうが、今は特にそうしたものは無いのだそうだ。キリスト教化されて長い。葬儀や家屋の様式などは伝統が継承されているが、信仰にかかわる部分ではそうはいかないらしい。話の中にも、精霊の名ひとつ出てこない。




葬儀と墓所づくしの一日だったが、帰り際に結婚式の準備をするところをみかけた。

宿泊地のランテパオからかなり離れた地域に行ったので、それなりに移動の多い一日だった。
明日、また別の葬儀があるという。2日目なので、水牛を屠るところが見られるぞ、折角だから見ていったらどうだ、と、ヨハニス。そうすることにした。