スラウェシ島探訪7日目

この日は先ず前日と別の葬儀場を訪れる。ランテパオから比較的近い村で、中流階級のものだという説明だったが、確かに家屋の規模も参列者の数も違うようだ。
朝早く訪れると、なんと牧師が何か話し、賛美歌のような節の歌を歌っている。やはりクリスチャンなのだ。
前日と比べて、規模は小さいが様式は変わらない。ここでもタバコを1カートン、親族の男性に渡した。甘いコーヒーと茶菓子をいただく。

水牛が運びこまれた。ロープで鼻先を押さえながら、ノドをナイフで切る。数秒間暴れるが、鳴き声ひとつたてず崩れ落ちる。
頭目の最も大きな水牛は一度で止めをさすことができず、何度も切ることになった。見続けるには辛い場面だった。暴走して参拝者が怪我をすることもあるから気をつけろと言われる。
動物が屠られるのを目の当たりにするのは初めてだ。おそらく多くの欧米の観光客がそうだろう。気分が悪くなって帰る者も少なくないようだ。だが、彼らは我々や欧米人のように毎日のように肉を食べるわけではない。水牛は葬儀のため以外に屠られることはないし、通常の食事で供されることもない。

結局、この日は水牛4頭が屠られた。前日に1頭、葬儀の初めに屠られたようなので、合計5頭ということだろうか。前日同様、しばらくすると、男達によっててきばきと解体されていく。葬儀の場は、こうした技術や手順を若い者に教えていく場でもあるのだろう。

「どうする? もっと見ていくか?」とヨハニスに聞かれる。このままずっといれば、おそらく屠った水牛や豚肉を竹の中に入れて蒸し焼いた料理をいただくこともあるのだろうが、葬儀を後にした。
Lemoで昨日見たのと同じような岩壁に穿たれた墓所を見る。やはり人形がおかれている。さながら人形の集合住宅のような雰囲気だ。人形づくりの職人もいる。土産ものと埋葬用と両方作っているようだった。




墓所の近くの古道具屋には古い様式の人形が売られていた。実際に葬儀に使われたものではないのか、ちょっと気になるところだ。


さらに南下してMakaleに。大きな町だ。町の広場にはトラジャの人々がこの島に来たときのことを表すモニュメントが。大きな「家」を数人の男がかついでいる。これはもう完全にお神輿だ。今でも葬儀の場面でこうした輿が使われることがあるようだ。この人たちの祖先はどこから来たのだろうか。

Makaleの近くの石灰岩の山の上にキリスト像があるから見ようとヨハニス。全く気が進まなかったが、眺望もいいからと勧められる。キリスト像は数年前、地元の篤志家数人が作ったものらしい。山の上に続く道の入り口に顔写真入りの案内板が置かれていた。こういうことをしたがる人が世界中どこにでもいるものだ。日本でも山の上に巨大な観音像などが建っているが、好きになれない。勝手に眺望を変えるなといいたい。
キリスト像は面白くなかったが、石灰岩の一部が方解石の結晶を含んでいて、記念に少し持って帰った。

この後ずっと北上し、Kete'kesu村を訪れる。古い家屋と倉庫が並ぶなか、巨石が置かれている。トラジャは埋葬時に巨石を置く風習があり、トラジャを訪れた目的のひとつが、それを見ることだった。ヨハニスによれば、巨石は裕福な家族が埋葬の際に置くもので、水牛を24頭以上屠る大規模な葬儀だけにゆるされるという不文律のようなものがあるらしい。もっと共同体の祭事のようにして置かれるものかと思っていたので、少し意外だった。ヨハニスに「じゃ、結局お金持ち個人のものなのね?」ときくと、どうもすっきりと答えが返ってこない。確かに金持ちの葬儀に限られたものではあるけれど、村民をあげて行うものでもあり、そこには一種の共同性もあるようで....というような答えだった。もしかすると、キリスト教化されてから、宗教的な祭事としての意味が薄れていったのかもしれない。


家屋の正面の装飾にワニの顔が付いているものがある。スラウェシにワニはいないそうだ。ますますこの人たちが何処から来たのか、興味深い。

村の奥にやはり岩壁を利用した埋葬場がある。前日に見た、鍾乳洞内の木箱の墓と同じ様式のものだ。観光客が多く、中には髑髏を手にもっておどけて写真を撮る輩もいる。インドネシア人だが、都会から来た人たちなのだろう。学校の旅行で来ている学生も多いが、皆、いわゆる自撮りと、なぜか外国から来た観光客と一緒に写真を撮ることに熱心だ。何度も一緒に写真を撮ってくれと頼まれた。日本で1970年の万博の時、外国人からサインをもらうことが子供たちの間で流行ったという話を思い出した。似たような感覚だろうか。 
女学生の二人連れが長い自撮り棒で髑髏と自分たちをアングルを変えて延々と撮っている。剥き出しの状態で置かれた髑髏よりも、この二人の様子の方が異様だった。



トラジャの織物を扱う店に寄って、宿に戻る。店には貝殻を使った装飾品があるので、ヨハニスに「これはトラジャのものなの? ニューギニアのものに似てるけど」というと、「もちろんトラジャのものだよ」と。だが、やはりニューギニアのものだった。彼はいろいろ知っているようで、実はそうでもないのかもしれない。ロンボク島の織物もあったが、それもトラジャのものだろうと言ったりしていたところをみると。
少し時間があったので、町を歩く。インスタント麺の大きな看板。テンテナでも食べたが、こちらはレストランで出てくる麺も全部インスタントの乾麺だ。ラテンアメリカの町などと違って中心がはっきりしないし、小さな町とは言ってもそれなりに規模が大きい。交通の激しい道路沿いは散歩するには歩きにくく、早々に帰った。