バハ・カリフォルニア行・1日目

 羽田を夜1時に出て、香港、ロサンゼルス経由でバハ・カリフォルニアのLoretoに。東京からアメリカ直行の便はバハ・カリフォルニアにいくアラスカ航空との接続が悪く、ロスで一泊しなくちゃならない。キャセイ・パシフィックは乗り継ぎ時間も無駄が少なく値段も安かった。香港空港のベンチで少し寝て、ロス行きに乗るとなんと、大阪、東京の上を飛んでいる。なんともアホらしいが仕方ない。幸い、ロス行きの飛行機は空いていて、横3席分使えて寝られたのがよかった。
 ロスの入国手続きでどうせまたイヤな思いをするんでしょ? と思っていたが、数年前と様変わりし、電子手続きの端末がずらり。ここでパスポートの読み込みと指紋、顔写真を機械で撮り、簡単な税関の質問にも答える。日本語もある。
 この機械で顔のプリントをしたものを持って、次は対面の審査。これは簡単(というか昔はみなそんな感じだったが)に終わり、さほど不快な思いをせずに済んだ。後から読むときのために書いておくが、ちょうど一週間前ほど、トランプがイスラム系の指定7カ国からの入国を一時停止したため、空港は大騒ぎになっていたのだ。それが、ワシントン州の高裁の判断で大統領令が執行停止になり、一時的に混乱も解消された。またきっと別の大統令を出すだろうが。
 アメリカも物価が高い。サンドイッチとヘルシーなジュースで2000円近くした。
 ロレトに着くとやはり蒸し暑い。ごく小さな空港だ。金持ちで自家用機で来るアメリカ人もいるので、滑走路は複数ある。ホテルも滑走路付きのものがあり、そのへんが日本では考えられないところだ。
 私はつましくタクシーでバスのターミナルに行く。空港でクレジットカードでペソをキャッシングしようかと思ったら、なぜかうまくいかず。空港にATMは一台しかない。町に出ればATMくらいたくさんあるだろうと思ったのが間違いで、バスのターミナルは少し町の中心から外れていた。バスはペソじゃなきゃダメ、というので、ATMを求めてうろうろ。どうして私は現地通貨でヘマをするのか。
 教えられるままあちこち歩いたが、無く、そうだ、とばかりにスーパーに入ってドルで安い買い物をして釣りをペソでもらう。ちょっと足りなかったので、もう一度オレンジジュースを20ドル紙幣で買おうとすると、おばちゃんが、さっきのお釣りのペソで払いなさいよ、と。
 いや、実は俺ペソが欲しいだけなんだ。頼むよ。というと、そんな変なやつもいるのかと、仕方なく20ドルでお釣りをくれた。ありがとう、おばちゃん。
 バスのチケットを買い、さぁ来い、オンボロバス、もうギュウギュウになる覚悟はできてるぜと思って待っていたら、観光バスのような綺麗なのが来た。エアコンのきいた、実に快適なやつ。メキシコやグァテマラのバスというと、荷物を屋根の上にのせて、バス停でビニール袋に入ったすごい色のジュースを売りにくるようなやつの印象しかなかったのだが。よく考えてみると、それはみな20世紀の話。いつまでも同じじゃないのだ。

 車窓から見える景色はいかにもな感じの枝サボテンが生える砂漠と岩山。海は青く静か。途中軍による荷物チェックがある。積み荷の段ボール類をひとつひとつ切って開けて調べていた。もちろん麻薬を。北(アメリカ)へ向かうルートは厳しいのだ。

 2時間半近くかかってMulege=ムレヘに。タクシーに乗って、Las Casitasホテルに。運転手が「後でサルバドルがお前に会いに行くから」というので、「え? 何で知ってるの?」というと、「だって俺、兄弟だから。聞いてるよ」と。
 サルバドルはトリップアドバイザーで見つけたガイドで、今回メインの壁画のツアー会社が行かない所に連れて行く男なのだ。
 ホテルはこじんまりしたいい感じの、レストランがついた宿。一泊25ドルは安い。部屋だって悪くない。古いロッキング・ホースが置いてあった。サルバドルが部屋に来て、明日朝の打ち合わせ。
 さすがに35時間も移動していたので、疲労困憊し、ホテルのレストランで食事し、早々に休むことに。歌手がカラオケで歌っていた。曲は「ラストダンスは私に」とか、50年代末から60年代頭くらいのものが多い感じ。ちょっと意外だったのはジム・クロウチのリロイ・ブラウンを歌ったこと。久しぶりに聞いた。ムレヘは昔ロケでジョン・ウェインが泊まった宿があることで有名だ。Hotel Srenidadといったか。私が泊まっている宿の二倍以上するわりにさほど評判も良くないのでやめたが。風景をみると西部劇のロケにぴったりだ。町も、それから泊まっている白人客も、かなり老いている印象。選曲もそんな時代に合わせてだろう。
 魚の蒸し焼きとビール2本で800円。安すぎる。多分ビール代を足し忘れている。一人旅はいいのだが、レストランで一人で食事するのは苦手だ。間がもたないのだ。早々に席を立つ。