バハ・カリフォルニア行8日目

シエラ・デ・サンフランシスコでのキャンプを終え、今日は比較的近くのLa Trinidadという遺跡に、初日にSan Borjitasへ連れていってくれたサルバドルと共に行くことになっていた。
ムレヘの西にはシエラ・デ・グァダルーペ山地があり、初日に訪れたサン・ボルヒタスはそのふもとだった。この日訪れる予定のLa Trinidadも広くとらえればその中に含まれる。

朝から雨がしとしと降っているなと思っていたら、やがてすさまじい土砂降りと強風に。
サルバドルが迎えに来て、他一組と相談する。彼らは翌日以降に延期することになった。私は2時間ずらして出発することに。
スマホを見せながら、無表情に「11時には止む予報になってる」とサルバドル。当たるんだろうか。
私は今日は最終日だし、濡れても構わなかった。これが昨日でなくてよかった。キャンプでこの土砂降りにあっていたらかなりしんどいことになっていただろう。

車を4WDにかえたサルバドルが10時半に迎えに来て出発。川を遡上するコースを通る。
短い時間の雨だが、ぬかるんでいる場所があり、確かに4WDでないと難しかったかもしれない。

遺跡見学の受け付のある建物で、サルバドルは無言のまま服を脱ぎ、ワンピース型の水着に着替え始めた。
「ここで着替えるの?」と問うと、「うむ」と。メキシコ人でこういう仕事をしている人でこんなに無口なのも珍しい。
La Trinidadは川を遡っていき、途中泳がなくてはならない場所があるとは聞いていた。水着も持ってきた。が、裸になるにはかなり寒い。
結局、行ってみれば泳ぐ場所は20メートルほどだった。サルバドルが持ってきたドライバッグにカメラを入れて渡る。

ほどなく岩絵のサイトに着く。岩壁が大きく崩れて崩落してできたシェルターの入り口の壁面に描かれている。ここの特徴は手形なのだが、実物を見て驚いた。全部子どもの手形なのだ。10歳以下かもしれない。手が届かない高い場所に押されている。


ここの岩絵は他のサイトのものとかなりタッチが違う。年代も新しいかもしれない。西洋人がバハ・カリフォルニアにやってきたとき、ここには三種の部族がいた。そのひとつ、コチミエ族は「岩絵は我々が来たときには既にあった」と語っていたようだが、彼ら自身も絵を描く習慣があったという。
サルバドルによれば、メディシンマンが老いてくると、子どもをあつめて、次のメディシンマンを選んだのだそうだ。ここに残された子どもの手形はそんなことと関係があるのかもしれないと。


あまりに寒いので早々にサイトを離れ、再び泳ぎ、車に戻って着替えた。サルバドルが作ってきたサンドイッチを食べる。
「旨いサンドイッチだね」と言っても、「うむ」と言うだけ。
キャンプのガイドがこの人だったら結構辛かったかもしれない(ホセも無口だし)。

「天気予報は正しかった」とサルバドル。確かに車に戻ると綺麗に晴れてきた。もう1時間遅らせて丁度良かったかもしれない。

帰る途中の道でタバコが自生していた。ここの先住民は吸う習慣はなかったようだが、儀式の際に燃やしたのだと。背の高いサボテンで記念写真を撮った。樹齢200年以上だなとッサルバドル。

ムレヘの町に戻り、古い教会に立ち寄った。川沿いに建っている。ムレヘが川沿いの町だということは地図を見てわかっていたが、川を望むのは初めてだ。河原にはヤシの木が生えている。ムレヘは先住民がアメリカ人を撃退したことで知られている町だ。町に入り口には「エロイカ(ヒロイック)・ムレヘ」と描かれたアーチがある。

明日は朝バスに乗ってロレトに戻り、そこから30時間以上かけて帰国する。
あっという間の1週間だった。