アルゼンチン岩絵撮影行その4

今日も朝4時過ぎに目が覚めた。アルゼンチンの朝食は質素だ。ブラジルと比べると食文化が全く違うことがわかる。ブラジルのホテルはずらっと料理が並んでいた。パンも、トーストから甘いものまで数種類あったし、マニオックも必ず出ていた。ここはトーストとコーヒー、オレンジジュース、ヨーグルトドリンクのみ、フルーツも無い。あってもハムとチーズくらいだ。卵も食べないようだ。いわゆる「コンチネンタル」なんだろうか(ヨーロッパ大陸を旅してないのでよくわからないが)。
クラウディオに「朝はあまり食べないんだね」と言うと、日本ではどんな朝食なんだ?と。だいたい説明すると、「それって昼食みたいだな」と。そうかしら。そのかわり晩ご飯はたっぷり食べるようで、しかも時間が遅い。早くても8時過ぎ、11時頃まで食べている。クラウディオによれば、「みんな、夜なにを食べるかばかり考えている」のだと。それもあって、朝はあっさりなんだろう。ランチは3時頃に食べる。私は夕方に重いランチを出されて、それが全部食べきれないものだから、夕飯はランチの残りものとビールだけで済ませている。結局、帰るまで「これがアルゼンチン料理」というものを食べずじまいだった。

今日はCueva de las Manosの北にあるAlero Charcamataの別の壁画サイトに行く。Cueva de las Manosは観光客も多く訪れるが、こちらはほとんど行く人もいないという。ガイドは昨日と同じトニーだ。
「今日は他の写真家たちといっしょだから、好きなだけ写真撮影に時間がとれるぞ」と。アルゼンチンの写真同好会のベテラン男性メンバー3人といっしょだ。うち一人と話をしたが、「25年前にはCueva de las Manosには全然人がいなかった。管理人はたった一人だった」と。ブルース・チャトウィンが写真を撮ったのは70年代前半だと思うが、おそらくその頃は通路もフェンスもなかったのではないだろうか。

後でわかったが、写真を撮る人だけが集まっていると、そうでない人を待たせることを気にする必要がないのはいいのだが、それぞれが自分が好きな場所で好きなように撮ろうとするので、「ちょっと停まって」とか、「あ、ちょっと横にどいてくれる?」とか、ばらばらに言い合うことになり、または同じ場所で順番に撮影することになり、なかなか先に進まない。私は壁画の写真以外にはそれほど熱心ではないので、「皆さん、そんなに撮ります?」という感じだった。

目的の谷までの風景が素晴らしかった。岩山はどこかアメリカの南西部のような趣がある。モニュメントバレーのような、天辺が水平な岩山もある。
谷底に降りると小屋があった。牧童が一人で住んでいるのだ。このエリアの牧場経営はすっかりすたれてしまったので、今ではごく少数の牧童=ガウチョがいるだけだ。もともと、最初にパタゴニアを広大な羊牧場にしたのがイギリス、オランダ系の入植者だった。彼らは先住民から土地を奪い、何万という羊を飼って大金持ちになったが、その後、羊毛の価格が下がり、羊毛業はすたれていく。これにとどめを刺したのが1991年のチリのハドソン山の噴火で、火山灰が広範囲に降り注ぎ、草地を覆い、大量の羊が死んだ。今は羊を飼っている牧場は少ない。谷底の牧場も牛が少し、馬が少しいるだけだった。ここに来て牛などを見かけることがほとんどないのだが、これで牧場として成り立っているのか不思議だ。いかに広いといってももう少しいてもいいはずだろうと。



奇岩の多いエリアに入り、車を降りて、谷を歩いていく。途中小さなシェルターがあり、壁画も少しあった。堆積物で洞窟が埋まってしまっている所もある。ブラジルのカピバラ渓谷でもそうだったが、掘れば下から出てくる可能性はあるだろう。
シェルターにはピューマらしき絵もあった。






Alero Charcamataのシェルターは深く、規模も大きい。これなら数家族が暮らせただろう。壁画はCueva de las Manosと同じような様式の手形とグアナコの絵、そしてシンボルマークだ。Cueva de las Manosよりも少し時代が下った時期のものと考えられているようだ。7000年前頃という説明もある。グアナコの絵には動きがなく、妊娠している雌や、子どもを連れている姿などが多いのが特徴で、これは何らかの事情でグアナコの数が減り、多産を祈願して描いたものではないかという説があるようだ。羊を大量に殺したチリの火山噴火と同じで、大昔の火山噴火によるものだったかもしれない。

壁面の手形の中に、QAというアルファベットを丸で囲んだものがかかれている。これはかつてここで一人で暮らしていたガウチョが、この場所を去って別の谷に移る際、自分がここにいたという印として自らのイニシャルを残したものなのだという。彼の「家」の名残である石組みが少し残っていた。数千年前にはここに数家族が身を寄せあって、厳しい冬を越していただろう。ガウチョはたった一人で暮らし、数千年前の先住者の絵の横に自らの記録を残したのだ。







グアナコの群れをいくつか見ながら宿に戻る。グアナコはまつげが長くてどこか手塚治虫風。


帰り道、トニーがちょっと古めのソウルをかけていた。パタゴニアの乾ききった景色とかなりウェットな感じのソウルというなんとも妙なとりあわせ。
今夜でエスタンシア・クエヴァ・デ・ラス・マニョスの宿泊も終わり。遠くからみるといかに荒野の真ん中にぽつんと建っているかわかる。