アルゼンチン岩絵撮影行その5

今日からクラウディオと共にさらにマイナーなエリアに入る。まず40号線をひたすら南下する。平坦なステップの平原をまっすぐな道が続く。「グアナコ飛び出し注意」の道路標識がおかしい。グアナコがはねられている所は見なかったが、ウサギはたくさん轢かれていた。ウサギはヨーロッパ人が持ち込んだ。

バホ・カラコレスの町で西へ曲がり、ラゴ・ポサーダスという湖近くのCerro de los Indiosという岩絵サイトに向かう。ひたすら平坦なステップの平原の向こうにアンデスの雪をいただいた山々が見えてきた。

Cerro de los Indiosは前日のAlero Charcamata以上にマイナーなサイトで、クラウディオは最初は地主が道を閉めているので見学できないと言っていた。だが、はじめに交渉していた別のツアー会社は「閉まっていても別の道があるから大丈夫」と言っていたので、クラウディオにその旨話すと、「別の道? 14年ここで仕事してるけど、そんな話は聞いたことがないな」と。
結局、彼が地主に連絡したところ、希望すれば門を開けてくれるとわかり、見学が可能になった。

Cerro de los Indiosは、岩山に通じる道は一本だけで、どう見ても「別ルート」なんてあるように見えなかった。ただ、一帯は平坦な土地なので、4WDであればいかようにでもアクセスはできるだろう。
「もしかして、別ルートってのは、道じゃないところを無断で通っていくっていうことなのかな」と私。
するとクラウディオが「あいつら、そんなことばっかやってるんだよ。困ったもんだ」と。これまで彼はそのツアー会社の名前を出すたびに苦笑いしていたが、なるほどいろいろとあるようだ。彼らのスケジュールではCueva de las ManosとAlero Charcamataを同じ日に訪れることになっていた。この二日間でそれぞれ丸一日かかったものを一日に押し込むという話で、おそらくまともに写真を撮る時間もなかっただろう。私としてはそこではなく、クラウディオに頼んで正解だった。


見学に行く前、地主の家に寄る。Lago Posadasはごく小さな町だ。地主といってもごく質素な家に住んでいる。大牧場主といった趣はない。道をはさんで朽ちた古い荘園の門柱のようなものが見える。おそらく、羊毛産業が下火になってから経営権を買い取ったのではないだろうか。宿もやっているのだが、訪れる観光客も少ないので、クラウディオはとっくに廃業したと思っていたようだ。今夜はここに泊まる。
岩絵サイトへの道についてきくと、女主人が「誰も来ないから閉めることにしたのよ。いたずらされても困るしね」という。今日は珍しく考古学者が調査に来ているらしい。
今日は夕飯は何がいい? 何時頃食べる?と女主人とやりとりし、8時にピザということになって出発。



Cerro de los Indiosの岩絵は大きな火山岩頸のような岩山の外壁に描かれたものだ。Cueva de las Manos やAlero Charcamataよりもずっと年代が下ってからのもののようだ。あまり鮮明に残っているものがない。大きな渦巻きとその周囲に丸が連なっている独特なシンボルマークが描かれている。何を意味しているかもちろん全くわかっていない。
髭面の男性の考古学者と彼の教え子らしき若い女性が調査していた。壁画の絵の記録をしている。小さなドットで描かれた部分があるが、彼らはその点を数えている(!) 学者ってこういうものなのね、と再認識した。




Cerro de los Indiosの岩は表面が滑らかなものが多い。粗い線刻もある。




岩絵の撮影が終わり、時間が余ったので、明日に予定していたLago Posadasの湖に行ってみようかということになった。チリ領まで続いている大きな湖の南端が細い堤程度の陸地で区切られていて、その端の部分をLago Posadasと呼んでいるのだ。中に独特な岩のアーチがあることで知られているので、それを見に行こうかと。

湖畔に至るオフロードをしばらく走ったところで、クラウディオが車を停め、窓から顔を出して「うそだろ....」と。
「どうしたの?」
「broken」
壊れた? 車軸が曲がってしまったとか?? 
見るとパンクしている。
パンクか....もちろんスペアタイヤはあるのね。
風が激しく、もうもうと土ぼこりが舞う。タイヤ交換するには最悪な環境だ。
「直してるから歩いて湖まで行ってくれ、後で迎えに行くから」というので、そのとおりにすることに。

湖は光があたるとセルリアン・ブルーのような明るい色になる。岩のアーチもなかなか面白い。写真をあれこれ撮って随分と待ったが、彼は現れない。パンク修理にしては時間がかかりすぎだ。再び歩いて戻ってみると彼はいなかった。タイヤもジャッキアップした状態でそのままだ。
どういうことかとしばらくなす術なく立っていると遠くから彼が歩いてきた。聞けば、タイヤのボルトの一本が頭が丸くなってしまっていて回らないのだと。あれこれ試したが、どうにもならない。4つタイヤがあって、ボルトがこんなになってるのはこのタイヤだけなんだ、なんて運が悪いんだ、と。
幹線道路まで戻って、通りかかった車に、宿の主人に事情を伝えてもらうように頼んできたが、いつどうなるかわからない、もしかすると今夜はここで夜を明かさなくちゃならないかもしれないから、君は先に車を拾って宿に帰ってくれ、と。

彼と一緒に幹線道路まで再び歩くとちょうど車が通りかかった。ほとんど車通りの無い道なので、これは運がいい。30代半ばくらいの女性ドライバーに彼が事情を説明する。この日本人をこういう名前の宿まで送ってくれないかと。長々話しているが、なかなか終わらない。これは、「そんなこと頼まれても困るわ。急いでるのよ」というのを説得してる感じかなと思ったが、結局、OKとなって宿まで送ってもらった。後でクラウディオに聞いたが、彼女は嫌がっていたわけではないようだ。Cueva de las Manosのボスに私をもう一度入れて欲しいと頼んでいたときも長々と話をしていた。そうやってある程度の時間言葉を交わすことが人付き合いとして必要なのだろう。日本だったら、「いいよ」「いや、ちょっとそれは困る」で終わってしまいそうなやり取りなのだが。

宿に戻ると、女主人はすでに事情を知っていて、救援を出したから大丈夫、と。よかった。下手したら明日からの予定もおかしくなるところだった。
咽がからからで、ビールが飲みたかったが、宿には無い。自分で買いに行くから店を教えて、と頼むと、ざっくりした地図を書いてくれた。そして、ビールの空き瓶をひとつ布袋に入れて、これを店で出して交換してもらうといいわ、というジェスチャー
スペイン語話せないけど、セルベッサ(ビール)くらいは言えるから、空き瓶見せなくても大丈夫なんだけど、と思ったが、言われた通り瓶を持って出る。

女主人が書いた場所に店はなかった。どういうことなのか。うろうろしているとビールの空き瓶がたくさん置いてある店を見つける。誰もいない。しばらく「ごめんくださーい!」と大声で言っていると大きな男が。ビールは売っていない、あそこにある店で買え、と。女主人が書いた地図の場所の裏手だった。
店に入り冷えたビールをレジに持っていき、「ください」と言うと、「ダメ」と。
ダメ? どういうこと? 言葉が通じないと知って、若い店員が「英語?」と言いつつスマホの翻訳画面を差し出した。
「ビールは交換でしか売れない」。
なるほど、それでこの空き瓶を持たせたのか、と袋から出すと、OK、OKと。どういうシステムなのかしら。瓶代があるにしても、ダメというのは。

宿に戻ると、女主人が「ちょっと、あなたどうしてこんなに時間かかったの?」と。地図がねぇ...。
ビールを飲みながら、つまみで出てきた落花生をちびちび食べる。クラウディオには自分にかまわず夕飯を食べててとは言われたが、どうもそういう気にもなれない。
女主人が「あぁ、クラウディオ、遅いわね....」と言った途端、裏口が開いて彼が戻ってきた。フリーサイズの力の強いレンチを持ってきてもらってあっさり解決したと。
「先週まで同じレンチを積んでたんだ、先週まで! ちょうど人に貸してたんだよ。なんて運が悪いんだ」と。なんにしても、無事直ってよかった。

ピザを食べながら、クラウディオが静かに「僕は本当はこういうものは食べないんだ」と。数年前に肉と乳製品を食べない食生活に変えたのだという。真冬のオフシーズンは時間があるからいろいろ本を読んで勉強して、何が体に悪いか理解したのだという。特に砂糖は最悪だと。
「パンにも砂糖が入っているし、ジュースにもたっぷり入っている。これは一種の中毒なんだ。数年かけてそういうものを受けつけない体になったから、食べても後で吐いてしまうことが多いんだ」と。
ベジタリアンだったのか。ちょっとそんな雰囲気があるなとは思っていたが。
たんぱく質は? 豆でとってるの?」と聞くと、「beanって何?」と。どうも豆も食べていないようだ。彼は痩せてはいるが、二の腕など結構筋肉がある。私はベジタリアンの知識は乏しいが豆など食べずに野菜だけでやっていくのは結構大変なんじゃないだろうか。

話が進み、単なるベジタリアンという感じを超えるニュアンスが出てきた。
アメリカ人とか異様に太った人がいるだろ? 最近アルゼンチンにも増えてるけど。あんな体形の人はどう考えても不自然なんだよ。悪い食事をしている現代人には体内に寄生虫(細菌?)がたくさんいて、それが脳にはたらきかけて、「もっと、もっと砂糖を!」と指令するんだ、というような話に、ちょっと、んん? となったが、彼は食生活を変えてから体調的にも精神的にも非常に調子がいいというのだから、結構なことだ。アルコールは一度止めたけど、今は飲んでいるらしい。
私はパタゴニアに来てからこの日まで夕食を一度も注文していなかった。昼ご飯の余りを食べて夕飯はビールだけだ。それが、どうも「こいつは粗食で、抑制がきいているな」と彼に思わせたようで、清涼飲料水は毒、乳製品も毒、というような話を気を許して話したようだった。単に白人よりも胃袋が小さいだけなんだが。それに、そういう話はマクロビオティックをやっていた友達や本の企画で、少し慣れているところがある。

この日はこちらの希望としては、古い荘園の建物を改築した雰囲気のある宿に泊まりたいというものだったが、岩絵への道を開けてもらうこともあり、こちらの宿に泊まる方がいいというクラウディオの判断だった。女主人もその息子もとても感じの良い人たちだった。