スラウェシ島・洞窟壁画撮影行 4日目

朝早く起きる。テーブルにはキャッサバを油で揚げたものが盛ってあり、コーヒーと紅茶が。朝揚げたイモをコーヒーで食べるのか、マクドナルドみたいじゃない。ホクホクしていておいしいが、やはり二日酔いが気持ち悪くてあまり食べられない。それにこちらのコーヒーにはかならず砂糖がしっかり入っていて、それも胃にもたれる。甘いコーヒーをちびちび飲むのが普通なようで、私がすいすい飲んでいると、こんなに速くコーヒーを飲む人を初めて見た、と皆が。裏庭に大きなコーヒーの木があり、ちょうど実が熟していた。コーヒーの木はほうっておくとこんなに大きくなるものなのか。完熟した実をかんでみた。とても甘い。

さて、そろそろ出発かなと思っていると、奥の方でカチャカチャ食器のなる音が、まさか...と思っていると、朝食ががっつり並べられていた。
「さっき食べたじゃないか、イモを!」というと、あれは朝食じゃないよ、朝食までのつなぎでしょ、と。もう勘弁してください、決して味が気に入らないわけではない(実際、味付けはクセが無くおいしい)けれど、もう限界なんです。
みんなは朝からご飯を山盛りにしてモリモリ食べていた。どうなってるのか。

アクラムが朝散歩していて、この実を拾ったからあげる、と、ゴルフボールらいの茶色い実をくれた。種はスパイスに使うんだ、と。こちらでは料理に欠かせないもので、特に珍しくはないようだが、私がずっと木の実を拾っているので、気を利かせて拾ってきてくれたのだ。後でわかったが、ククイという名だった(写真右3つ)。

今日は山登りだ。BPCBにUhallieの写真を送って、私は是非この絵を見たいと伝えたところ、ここは大変アクセスが難しい所だと聞かされていた。山歩きを6時間する必要があると。それも結構急な山道だという。アワルディンが案内してくれるのだが、荷物を少し持ってくれることになった。そして、お昼ご飯があるからもう一人荷物運びが必要、と話している。お昼ご飯がそんなに重いのか....。オーストラリアのジョワルビナでスティーブ・トゥリーザイスに案内してもらった時など、昼食無しでぶっ通しで6時間以上歩いたのを思い出した。(それは、彼が何時間歩くとか、お昼ご飯を持っていけ、とか何も言ってくれなかったのがいけなかったのだが.....。)わたしは今日、リンゴひとつくらいあれば十分なんだが。

最初はこの日も山から降りて村に泊まる予定だったが、がんばればマロスに戻って、最終日の明日別の洞窟が見られるというので、Dodoに夕方から運転してもらうように頼んでおいた。彼は運転もあるし、体力的にきついので山登りはやめておく、と。
川を渡るというのでカメラを入れるドライバッグを持ってきたが、乾季の終わりなので、水深は深い所でも30センチほどだった。雨季には渡れないのだろう。
山登りはさほど大変でもなかった。きつい登りは1時間強で、後は大したことはない。でも、アクラムらが「こんなに大変な場所にある岩絵って他に行ったことある?」というので、まぁ、ある、というと、えぇ? という反応。うーむ都会っ子。これはそんなに大変な山登りではないでしょ。


山の上に上がると、皆が「お、電波が来てる」と。村は携帯の電波の圏外だが、上に上がるとつながるのだ。電波の来ない村でも、多くがスマホを持っている。普及率は大変なものだ。電波の利用料もとても安い。スマホの普及で皆が写真を撮るようになった。インドネシア人のグループ旅行者を見ると、みなスマホをかざしながら歩いている。また、外国人と見るや、一緒に写真を撮ってくれと言ってくる。今回も随分写真を撮った。

山の中は美しい蝶がたくさん舞っている。山道はおそらく別の村とつながっている生活道の一部なのだと思う。道は茂った草の様子からあまり人が頻繁に通っているようには見えなかったが、牛も放牧されているし、人の手が入っている山だ。途中に小さな家があり、黒砂糖を煮詰めていた。木造の伝統的な高床式の家だ。アワルディンの従兄弟の家だという。登り3時間と聞いていたが、2時間強で洞窟に着いた。山の高さは600m無く、実際に上ったのは200mくらいか。高尾山に麓から上るよりもずっと楽だろう。


Uhallieの洞窟は開口部が高い位置にある。入口にかけられた竹のはしごが少し朽ちていた。ここは滅多に人が来ないので柵も何もない。



入ってすぐ、正面奥の壁面に目当てのアノアの絵があった。本当にいい絵だ。保存状態もいい。この写真をナショジオで見なかったら、スラウェシ島の壁画をどうしても写真にとは思わなかったかもしれない。アノアの顔の前に手形がたくさんあるのだが、その配置もいい。アノアの口が少し開いているので、何か手のひらと会話しているかのようにも見える。素朴な絵ではあるのだが、生命力が感じられる。
他にも歩くアノアの絵が複数、バビルサの絵もある。面白いのはアノアの足の下に、地面が線で表現されていることだ。これは岩絵の世界ではとても珍しいことだ。







アノアの絵のある大きな空間の隣に鍾乳石が並ぶ狭い空間がある。緑色の鍾乳石の上の天井部に多くの手形がついていた。絵もいいし、洞窟の形もとてもいい。



いやー、来てよかった、本当にいい絵だし、いい場所です、というと、
「あなたは二人目だ」という。
「え、今年二人目? 少ないね」と言うと、「そうじゃない、外国人でここに来るのはあなたが二人目なんだ」と。
これには驚いた。2010年にアワルディンが写真を公開し、その後、オーストラリアの考古学者が来てから、私が来るまで、インドネシアの学者や政府の職員以外、誰も来ていないのだ。ナショナル・ジオグラフィックで世界中に配信されたのに。こんなにすばらしい絵が残っているのに。それにアクセスが難しいというが、村に泊めてもらえさえすれば、2日あればマッカサルから行って帰って来れるのにだ。
オーストラリアのキンバリー地方を延々4WDで走り、ヘリコプターに乗り、さらに灼熱の日差しの中、川岸を歩いて絵にたどり着いて、暑さでおかしくなって服を着たまま川に飛び込んだ経験がある者としては実に簡単な場所なのだが....。
NHKも岩絵の取材に二度来たらしいが、ここには来なかったと。なんで二度も来て、ここに来ないのか。わからん。けど、二人目と聞いてちょっと気分がいい。

さ、帰ろうかね、というと、「弁当を食べなきゃ」と。うーむ。やっぱり食べますか。
道中アクラムやイムランが「エナジーエナジー」と言いつつやたらとチューブ入りのチョコレートや甘い菓子を渡してくるので、なんだか胸焼けが酷いのだ。こちらでは太いストローくらいのビニールのチューブに柔らかく溶けたチョコが入ったやつが売っている。端を噛み切って吸うのだ。日本の空港で買ったブルボンのアルフォートがドロドロに溶けて一体化してしまったので、これは納得な食べ方だ。赤道近くの国で板チョコななかなか食べにくい。昔駄菓子屋に売っていたチューブ入りチョコレートを思い出した。

みんなお弁当をもりもり食べて下山。思ったよりも早く家に戻れた。
アワルディンが「感想を聞かせて欲しい」というので、ここは本当に素晴らしくいい絵が残っている、もっと広く知られてしかるべきだ、案内してもらって本当に嬉しい、云々と話すところを録画された。そのうちFacebookにアップするつもりかもしれない。

家に入ると奥さんがお茶とお菓子を出してきた。Dodoも長く運転しなくちゃいけないし、早めに戻ろうね、と思っていたが、みんななかなか腰を上げない。そうこうしているうち、奥の部屋でカチャカチャ食器の鳴る音が。ああ、まさか...。「早めの夕食」なのだった。
アクラムに、さっき弁当食べたばかりでしょうが、と言うと、「そうだよね、でも食べないと失礼になるから」と。
とか言いつつ、みんなしっかりご飯を盛りつけて食べている。
失礼になるから、と言うが、食べた後に奥さんに礼を言うでもなく、片づけを手伝うわけもでもなく、皆すっと立って別の部屋に行く。日本であれば、男があまり食器を下げたり洗ったりしない私の親世代(大正生まれ)でも、招かれた家の奥さんには「ごちそうさまでした。おいしかったです」くらい言いつつ、食器を重ねたりくらいはするだろう。せっかくの料理を食べないと「失礼になる」というのは家の主に、ということなんだろうか。が、人の振る舞い方にはそれなりに歴史的な蓄積があるのだ。あまり余計なことはせずに、自分の食器だけ片づけて「ありがとうございました」とインドネシア語で言って頭を下げると、奥さんが驚いて超恐縮していた。
マッカサル周辺の女性はブルカをつけている人が多いが、みなとても開放的な印象で、知らない男性に自分から声をかけてはいけない、というようなことは全くない。一緒に写真を撮ってほしいと何度も声をかけられた。スマホの普及で、外人と写真を撮るのがはやってるのだ。

食事を終えて、いよいよお別れし、再びマロスに。ホテルに着いたのは夜の8時過ぎくらいだった。思ったよりもずっと楽な行程だった。
またビールが飲めるレストランに行く?というので、いや、もう今日は食べられないし、昨日飲み過ぎたので飲まない、みんなはもしかして夕飯を食べるの?と聞くと、そのつもりだと。.....どういう胃をしているのか。帰り道の途中でバナナを買って食べていたし。
明日は帰国だから荷物の整理もあるので、今日はこれで。後で精算するから俺抜きで食べに行って、と言い、結局払うのを忘れて帰国してしまった...。許してほしい。