アルジェリア、タッシリ・ナジェール岩絵撮影行・その2

現地の旅行会社Essendileneの宿泊所で9時頃朝食。こちらの家屋は分厚く高い壁に囲まれ、扉は堅牢な金属製のドアがきっちり施錠されている。窓は外側にはほとんどない。
昨夜は暗くてよく見えなかったが、すぐ近くにモニュメントバレーの孤丘=ビュートのような岩山がある。
中庭が広く、ラグを敷いた一角があり、そこで食事をとった。椰子の葉を裂いたものを編んだござのようなものがかけてあるが、砂よけとして使う囲いなのだという。様々な石を置いたスペースもある。水晶、溶岩の塊、化石片など。アルジェリアの瑪瑙の画像を見たことがあるので、アンドラスに聞いてみたが、見たことはないという。





Djanetジャネットはアルジェリア南東の端のIllizi地方の南東のオアシス都市で、町が作られたのはオスマン帝国時代だという。標高約1000メートルと、少し高い場所にある。町の一部はオアシスに隣接する岩山の中腹に、自然石を利用して建造されているが、現在廃墟になっているエリアもある。

アンドラスが市場に食料などの買い出しに出るので同行する。野菜は馴染み深いものが多い。なんでも売っているが、生野菜は数日しかもたない、肉はクーラーボックスに入れても安心して食べられるのはせいぜい2日だろう。パスタや米など乾物系やチーズ、サラミなどの保存のきくもの、そしてなにより水を大量に買う。ボトル入りの水は少し硬質な感じだったが、特に飲みにくいことはない。
今回、テントや寝袋は各自持参だ。19リットルのボストンバッグを買ったが、荷物を極力減らすため、着替えを最小限にしようと中国製のぺらぺらの使い捨て靴下をamazonで10日分買った。これが出発前日に届いたのだが、大失敗だった。見本の写真と異なり、くるぶしの下までしかなく、かろうじて足裏をカバーする程度のひどい代物だった。右足に神経痛の持病があり、冷えて痛み始めると長引くので、夜10度以下でこのぺらぺらの靴下はきつい。アンドラスに頼んで靴下を3足買ってもらった。


再び宿泊所に戻って昼食をとる。さきほど買ったバゲットにチーズやサラミなどをはさんで食べる。アンドラスから皆に食事についての説明が。今回のツアーの趣旨は岩絵を見て歩くというもので、そのために食事にかかる手間は最小限にしたい、朝食も昼食もこのように火を入れる必要のない簡単なものになる、と。同行のトゥアレグ人ガイドに炊事を手伝ってもらえばおいしいものができることはわかっているが、その時間が惜しい、皆さん、このツアーの趣旨を理解して参加してくれたわけだから、そこはいいね? と。その内容がどういうものかだんだんとわかっていくのだが。

午後3時近くに2台のランドクルーザーに分乗して出発。私の車にはアンドラスとロバート(仮)。運転手はアブドゥラ。もう一台の運転手はハマ。
ジャネットから南東へN3A線を走る。この道は北西ー南東方向に広がるタッシリ・ナジェールの台地に沿った道だ。道路の舗装が新しい。ジャネットを出て、空港への分岐を過ぎて少しすると軍隊の検問がある。
アブドゥラが書類を見せる。参加者の氏名も書いてある。先方にも、どんな人数構成でどういう日程なのか連絡が入っていて、事前に申請されていない外国人は通れない。アンドラスによれば、彼らは誰がどこにいるかほぼ把握しているはずだ、と。ここはトゥアレグの地だが、兵士はアラブ人だ。
アメリカ人がいるのか...」若い兵士がつぶやいた。

検問をパスして、さらに南東へ進む。左に現在は立ち入り出来ない台地を見ながら走る。台地の上こそが「タッシリ・ナジェール国立公園」の中心地であり、有名な「白い巨人」をはじめ、見事な絵があるのだが、台地の東端はリビアから容易に入ることが出来、治安が管理しにくいため、カダフィ政権崩壊後はほぼ閉じられている。

途中分岐があり、左がリビア、右がニジェールと表示してある。リビアはGhatに通じているが、ニジェールとの国境は閉じているようだ。ここで記念写真を撮ってさらに進む。巨大な錐形の孤丘がある。こういうものが、上部の岩塊が全て風化で崩れてしまうと、見事な円すい形の瓦礫の山になるのだ。


さらに少し南に行ったところで舗装道路を外れ、Tin Ressouに入り、初日のキャンプ地とすることに。小高い岩山の上部にある二つのシェルターには非常に状態の良い岩絵が複数残っている。最も見事なのは、Iheren style=イヘーレン・スタイルと呼ばれる紀元前3000年前後とみられる様式の複数の人間によるライオン狩りのシーンだ。イヘーレンはジャーネットの北西の都市でその近辺にこのスタイルの絵が集中している。今回のツアーで私は途中で離脱するのだが、残りのメンバーはそちらへに向かうことになっている。イヘーレン様式の絵を描いたのは地中海沿岸から渡来した白人系遊牧民と考えられている。サハラ各地の岩絵を高解像度の写真で詳細に撮影されてきた英隆行氏のウェブサイトで見事なイヘーレン様式の絵の数々を見ることができる。http://hanafusa.info/project/fresco-of-iheren/

ライオン狩りの絵はとてもユニークだ。体は黄色く塗られ、縞模様が描かれている。人物は躍動感のあるポーズをとっており、髪の毛が非常に細かく描かれている。現在はもちろんサハラ砂漠にライオンはいないが、かつてサハラは木々の茂るサバンナだった。サハラの岩絵には、ライオン、キリン、サイ、ダチョウなど、今はいない様々な動物が描かれており、描かれている動物から絵の時代を推測することができる。サハラに岩絵が描かれるようになったのは6000BC頃とも8000BC頃とも言われ、さらにはもっと古いという人もいるようだが、このエリアに牛が持ち込まれるのは4500-4000BC頃、馬がこのエリアに持ち込まれるのが2000BC頃、ラクダが描かれるのは紀元前後からと考えられている。


Tin Ressouにはイヘーレン様式の絵以外にも様々な様式の、おそらく異なる時代の絵が遺されている。最も古いのではと思われるのは黒いシルエットで描かれる人物だ(下の最初のもの)。直感的にネグロイド系に見える。欠けているが、裸身のように見えるフォルムはとても美しい。



日も暮れてきたので、もう一度翌朝に訪れることにして、シェルターのある岩山を降りる。岩がゴロゴロした斜面で、エレーナ(仮)が滑ってひざをケガしてしまった。破れたズボンから見える傷が痛々しい。彼女はおそらく70歳前後だ。元々ひざが悪く、よくこのようなしんどい旅に参加しているなと思っていたが、実は長年エジプトの砂漠の奥に訪れ、通常の旅行客が行かない場所に連れていける現地ガイドとともにキャンプツアーを主催しているつわものだった。私など問題にならない経験がある。

今回、アンドラスからテントは中国製のぺらぺらの安物でいいと言われていたが、せっかく買うのだからと、モンベルで2人用を買った。2kgほどのテントだ。羽毛の寝袋も購入したので、思いの他コストがかかってしまった。
皆でウォッカのファンタ割りを飲んで、夜9時前に寝る。晩ご飯は鶏肉の焼いたものと大量のマッシュポテト。
肌寒いくらいの気温だ。アンドラスとロバートは地べたにマットを敷いて、その上に寝袋で寝ている。白人てのは本当に丈夫にできている。
これは岩絵のあるシェルターからキャンプ地を見下ろした写真。