アルジェリア、タッシリ・ナジェール岩絵撮影行・その4


朝、日の出前に車に乗り、昨日の夕方訪れた牛の線刻画のあるMarka Ouandiに向かう。朝日がいい具合に絵にあたるのではと期待したが、日の出の方角は全く期待外れだった。絵の彫ってある岩山は大きく、完全に日差しが遮られている。もう2ヵ月ほど早い時期に訪れたときは事情が違ったようだが。

朝食後、昨日新たに見つけたシェルターを再び訪れる。アブドゥラやハマを含む全員でシェルターに仰向けになって絵を見るが、何の絵なのか、説得力のある意見は出なかった。フタコブラクダのようにも見える絵もあるが、この近辺にはヒトコブラクダしかいない。



砂漠に生えている木はほとんどがアカシアだ。トゲが長く鋭い。草もトゲのあるものが多く、これが靴の中やテントの中に入ってくるとなかなか辛いものがある。大型のほ乳類もそれなりにいるらしいのだが、足跡ばかりで生きている姿はまだ見ていない。シェルターにバーバリー・シープの角があった。



Tadrartには城塞の廃墟のように見える岩山がたくさんある。




Oued el Beridjをさらに進み、Tadrartの南西の端あたりに着く。Iberdjen Uan Tabarakatという砂丘地帯を通る。砂丘が現れるとぐっと雰囲気が砂漠らしくなる。稜線の形が美しい。大きな砂丘を車で超え、急降下するとき、車中では目をつむって寝ているような様子であることが多いロバートが「イーハーッ!」と控えめに言うのだった。一応、アメリカ人ぽく言っておこう、という感じ。そもそもイーハーって何なんだろう。



奇岩を見ながら、戦車の描かれた小さなサイトに寄る。馬が二頭、きっちり重ねて描かれている。




Kel Essoufと呼ばれる石彫のあるシェルターに入る。これは実に奇妙な形だ。1990年代半ばに初めてまとまった形のものが発見されたという(この付近の岩絵の多くは90年代に観光が盛んになったときに初めて記録されているものが多い)。
Kel Essoufというのは、トゥアレグが「people of the spirits」(evil spiritsという説も)というような意味でつけた名らしいが、何をモチーフにしたものかわからない。(ちなみに、Kel Assoufというトゥアレグのバンドがあるが、これは「望郷」とか「永遠の子」という意味だとされている。同じ単語なのか?)。このモチーフはTadrart南部、タッシリの東のリビア領のAcacus以外にはあまりみられないものらしく、ほぼ全てが石彫、それも線刻ではなく、絵の内側を彫り込んだ形だという。魚、それもナマズのように前面が平板な魚を上から見た姿に似ているものもあるため、最初は魚と表現されていたこともあるようだが、左右に延びた線がひれであるとしたら、先端が3つに分かれているのはおかしい。尻尾か男根のようなものもついている。それと、前脚らしきものの付け根が丸い球体間接のようになっていて、そこのあたりから触覚のようなものが延びているものもある。これはとても魚には見えない。これをサハラ最古のロック・アートだという学者もいるようだが(この上にもっとも古いタイプのペインティングが上書きされている例があるという)、確たる根拠はないようだ。






「虫かな」「これは宇宙人でしょ」「デニケンに教えてやったら喜ぶぞ」などと冗談めかして言い合うが、皆、何の絵なのかさっぱりわからない、という感じだった。これを、この近辺の岩絵や石彫の最古のものではないかと主張している学者もいるようだが、特に具体的な根拠はないようだ。何にしても、きれいに内側を掘り抜いて、ある程度まとまった数描いた場所が複数あるのだから、落書き的なものでないことは確かだろう。

レナータは昨日怪我した足の痛みが強く、今日はほぼ車から降りることはなかったが、これは是非見ておいた方がいいからと、2人で肩をかしてシェルターに連れて入った。少し高い場所にある程度のシェルターなのだが、この近辺のシェルターは入り口までが砂丘になっている場所も多く、そうなると歩いて上がるのは結構しんどい。ひと足ごとに砂が流れてふんばりにくいのだ。



その後も、キャンプ地のOued Tin Udedへ向かう途中、いくつかの小さめの岩絵サイトを見る。このエリアはアンドラスも初めてだという。男女が並び立ち、手を握っている姿はいくつかのサイトで見ることになるが、部族間の婚礼などを示しているのだろうか。女性がハンドバッグを持っていて、2人ともサンダルのようなものをはいている。







キャンプ地の向かいに一面砂で覆われた高い岩山があり、そこの上のシェルター(Tin Uded II)に絵があるというので、日没前にアンドラスと上ってみた。砂の斜面を上がるのは本当にきつい。足が沈んでいくの休み休み上るのも難しい。バーバーリー・シープの絵があった。顎から胸にかけての長い毛が強調されているのでわかりやすい。昨夕と今朝見た例の新発見の天井画とどこかタッチが似ているような気もするが...。



岩山の上から見る夕景はどこかアメリカ南西部の、モニュメントバレーのようだった。今年刊行した『奇岩の世界』の中でこんな風景を紹介したのを思い出す。



夕飯の準備をする前にアンドラスが「先に謝っておくけど、これから米に似たものを調理するけど、期待しないでくれよ」と。米に似たもの? 要するに日本の米と違うけど我慢してくれよ、ということで米は米、長米なのだった。どこからか輸入しているのだろう。アルジェリアでも結構米は食べるらしい。ズッキーニの入ったあまり辛くないカレーライスで、悪くなかった。
食事の後、岩絵の年代の話になった。今、このエリアで古い絵は紀元前6000年まで遡るというのが異論の無い範囲のようで、それ以上古いものがあるかどうかとなると議論があるようだ。私は出発前に「氷河期末期の絵」とアナウンスしたりしたが、これはあまり正しいとはいえなかった。紀元前8000年以上古いという人もいるのだが、アンドラスはそうは思わないと。彼は様々なことに懐疑的で、他の世界各地の岩絵の年代測定に関しても、一つ二つのサンプルで古い年代が出たからといって、それを確定的なものと考えるのは無理があると。確かに、年代測定は何かと議論の的になるものだ。この旅に出る直前にも、ボルネオ島東部の手形がたくさん押された洞窟のサンプルで4万から5万年前という数字が出たというニュースがあった。5万年前にボルネオ島に人間がいたことは間違いないのだろうが、おそらくこれから異論があれこれ出てくるに違いない。


夜は星がきれいに出ていたので撮影した。明け方は10度以下になる。