アルジェリア、タッシリ・ナジェール岩絵撮影行・その5

朝食をとった後、昨日岩山の上のサイトに行かなかったロバートとヨナスは岩山の上へ、私とアンドラスは彼らが昨日見つけられなかった近くの岩山にあるはずのサイトを探索に。
なかなかわからなかったが、岩の表面に彫られた絵をみつける。彫り物は光線の具合で本当に目立たなくなる。素朴な象の線刻画と例の不可解なモチーフ、Kel Essoufだ。Kel Essoufはまたしてもすごい数彫られている。これを彫る手間はかなりのものだ。
このエリアもアンドラスは初の訪問だという。彼は他者の探索記録を読み、事前にGoogle Earthであたりをつけ、その座標をGPS端末に記録して来ている。Google Earthは今はこのように誰も住んでいないエリアでもすごく高解像度になっているし、GPSも画像を見ながらアクセスできるのでピンポイントで目的地に行けるのだ。探査記録が詳細であれば、ほぼ間違うことなく行き着ける。バハ・カリフォルニアなど、深い谷に入って岩絵サイトに行くと、後でGoogleEarthなど見てもどこに行ったのかわからないことがあるので、私もGPS買ってみようか。




さらにキャンプ地の西のOuan Elberedのサイトを少し探索する。独特な頭飾りをつけ、マントのようなものを羽織った人物が投石用のスリングを持っている絵がある。戦士のような雰囲気だが、このスリングは狩猟用なんだろうか。どこかおとぎ話の場面のような趣がある。



四角い石碑のような岩にトゥアレグの文字がたくさん彫られたものがある。トゥアレグの文字はティナリウェンなどのバンドのジャケットで初めて見たが、タッシリにはたくさん彫られている。石彫はこの地域で最も新しい部類だ。トゥアレグ族は現在アルジェリア南部、リビア西部、マリ東部、ニジェール西部を中心に広く分布している。4-5世紀にモロッコの山岳地帯から伝説的な女王ティン・ハナンとともに移動してきたと言われている。ティン・ハナンはずっと伝説上の人物と考えられていたが、1925年にアルジェリアのホガール山地(タッシリのさらに南方)で彼女の墓が発見されている。金銀のアクセサリーなどの豪華な副葬品とともに。



やはり方形の岩で表面が滑らかなものがあり、またしてもKel Essoufかと思ったが、これは瓶のようだ。面白いのはおそらく同時期に彫られたとみられる人物像が岩の左上にあることで、これは人が座っているような絵が逆さになっている(回転した写真が以下のもの)。いろいろと不可解なことが多い。




同じエリアで様々な線刻画を見る。ゾウ、ダチョウ、牛、羊、いろんな動物が彫られている。牛が彫られている場合、首に縄が描かれているかどうかで、完全に家畜化されたものかどうか判断でき、おおよその年代も推測できるようだ。





昼食はゲルタ(水溜)のある場所で。アブドゥラとハマは枯れ木を集めて車に乗せる。ガスコンロも持ってきていて、圧力鍋はコンロにかけるが、必ずたき火をする。そしてお茶を沸かして入れる。砂漠に転がっている枯れ木はからからに乾いているので良く燃えるのだ。



ゲルタのすぐ近くのシェルターにある絵を見て、さらに隣の谷に歩いて行くことに。隣の谷は知られている限りまだ誰も岩絵の調査をしていない。行けば何かしらあるだろうということで、アンドラスとロバートと出かける。




アンドラスは本当に岩絵の発見と記録に並々ならぬ情熱をもっている。どこかに発表し、自らの業績にしたいというわけではないようだ。個人的な非常に強い興味なのだ。ひとつひとつシェルターを覗いて、ここは無いな、次、ここも無い、次、という感じで急いで回っていく。探し始めてすぐになかなか面白い絵の残るシェルターをみつける。細い人物像で、弓を持っている姿が多い。ユニークなのはドットがたくさんかかれていることで、何か動物の斑紋のようなものなのかと思ったがわからなかった。幸先がいいぞ、とさらに進んでいくが、その後は不発、アンドラスは行ける所まで谷の奥へ進んでいくが、私はゆっくり戻ることに。後からやってきたヨナスが複数種の動物の足跡が残る場所を見せてくれた。肉食獣の足跡もある。彼は動物に詳しく、時間があれば、足跡や糞を見に出て行く。サソリなどのサンプルを採取して研究所に送付するための小さなカプセル状のキットを持参している。






未探査の谷から戻り、車で再び出発し、Ouan Elberedの岩絵を見る。キリンといっしょに描かれた人物像は午前中に見たマントを来て頭飾りをつけた人たちだ。



この日はMoul Nagaの砂丘のふもとでキャンプすることに。夕日に照らされた砂丘は美しい。
この日の夜は冷えて明け方は5度まで気温が下がった。