南アフリカ岩絵撮影行 10日目

今日から北へ200キロ以上移動してCederberg Wilderness 公園に入る。Cederbergは何を読んでも真夏はともかく暑い、日中は歩けたものではないとある。40度以上と。宿の主人も「暑いよ」と。涼しいケープタウンからそんなに遠くないのにと思うが、気候は「全く違う」と。覚悟して行く必要があるようだ。
Cederbergに行く前に、私はElands Bayという所に行きたかった。手形が壁面にびっしり押された洞窟があるのだ。その近くの別の洞窟からは6万年前の、ダチョウの卵の殻に模様が描かれたものが出土している。ただし、その洞窟はここら辺にある、と書いてはあるがはっきりとはわからない。岬を一周する道を走ってみて、表示が無いか見てみるつもりだった。

 

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延々と海岸沿いの道を北上する。砂浜が続く。浜に出てみたが、海藻とムールー貝が打ち上げられているばかり。

高圧電線の鉄塔が多く、海沿いを見ると発電所の冷却塔が見える。後で調べたらKoebergという町の原発だった。

 

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Elands Bayの南側には岬があり、洞窟はどうもそこにあるらしい。岬の南に着き、周回道に入ろうとすると、「私有地につき許可を得て入れ」とある。早くも予想外のことが。仕方なく北に移動して、岬の反対側の付け根に行ってみる。この近くにあるロッジのウェブサイトに洞窟のことが書いてあったので、どうしても場所がわからない場合にはそこのドアを叩こう。
岬を回る道の端にオフロード車が数台止まっている。家族連れに岩絵のある洞窟を知らないか、岬の先端は「ヒヒ岬」という名でその近くと聞いたんだけど、と聞くと、父親が「あー、それは無いな。今通って来たばかりだし」。
すくなくとも標識は無いということか。どうしよう。できればこの新車のコンパクトカーでラフロードに入りたくない。石を跳ね上げて小さな傷でもつこうものなら完全に私の責任になってしまう。
とりあえず、少しだけ道に入ってみた。かなりラフな道だ。進むべきか迷っていたらパトカーが来た。止まってもらい尋ねると、それならこの先だからついて来なと。これは助かった。
洞窟は道から見えるのだが標識も何も無い。膝が痛いのでやみくもに上がってみるのも辛かったところだ。しかし、よく知らないなら「それは無いな」とか断言しないでほしい。あやうくUターンするところだった。

 

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岩絵は手形が数百ある。大半は手のひらにたっぷり塗料を塗って押した後、指先でこするようにして模様を入れたもので、ブラジルのセテ・シダデスのものと似た手法だ。案内板もある。年代はわからないようだ。面白いのは手形のサイズがとても小さいことだ。10歳児かもっと小さいかもしれない。ただしサン人は小さいのでその辺がよくわからない。子どもだけだとしたらどういう意味があったのだろう。Drakensbergの岩絵には手形はひとつもなかった。

洞窟からは大西洋が見える。

 

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Elands Bay からほぼ東に向かい、Cederbergの北の端の町Clanwilliamを通り、Sevilla Rock Art Trailへ向かう。途中、この日の夜の宿の前を通過する。周囲は岩山だ。鉄分の多い堆積岩が激しく侵食して崩れて角ばった岩塊がごろごろしている。

 
Sevilla Rock Art Trailは私有地の中の岩絵を巡る往復4キロほどのコースで、アップダウンがきつくなければなんとか膝をかばいながら行けるだろう。土地のオーナーとケープタウン南アフリカ博物館が共同で始めたようだ。

農場は食堂と宿もやっている。食堂の人に「岩絵の道に入りたいので、許可をもらいに来たんだけど」と言うと、あの人に、と、外のテーブルに座っているおばさんを指差す。

「岩絵の道? ああそう、じゃ、ちょっとこっち来て」。「一人? じゃあ40ランド」。

むっつりした愛想のないしわがれ声のおばさんだ。おばあさんと言ったほうがいいかもしれない。

「ヒザを怪我しちゃって...登りがきつい所とかあります?」と聞くと、「まぁ、ちょっとね...」とこれもまた素っ気ない返事。「あの川、見えるね? あの川岸を、白いペンキのマークを目印に歩いて行って。帰りも同じ道を。はい」と薄いパンフレットを渡された。

 

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Sevilla Rock Art Trailは川沿いを歩くコースで全部で9つのサイトがある。岩の感じ、地形がオーストラリアのキンバリーに似ている。
このエリアの岩絵はサン人だけでなく、コイコイ人(かつてホッテントットと呼ばれた人たち)など、牧畜を行う部族によるものと融合した者によるものとみられるものがある。Drakensbergのものと比べて描かれるモチーフも多岐にわたっているようだ。羊や牛あるいは白人の到来を示す馬に乗る人物なども描かれる。絵のモチーフでおおよその時代を推定する方法はサハラの岩絵などと同じだ。
手形や指先て擦る描画方法は筆などを使った細い線で描かれる人物画の上につけられていることが多いようで、この指先を使った技法で描かれた牛の絵があることから、牛がこの地域に入って来た約1600年前以降ではないかと推測されている。細い筆で描かれた羊の絵があることから、サン人が細い筆で多くの絵を残したのはコイコイ人が羊などを導入した2000年前頃を最後とする数千年間と考えられている。

最初のサイトは細長い人物画と、その上に黒い、人が集まっている場面が描かれた絵がある。最初は黒いカビが絵のように見えるのかと思ったが、絵の塗料の上に地衣類が繁殖したものらしい。何か四角い卓の周りに人が座っているかのように見える。同様のモチーフが近隣にいくつか見られるようだが、面白いことに皆菌で黒くなっていると。おそらく同一人物によって描かれたもので、彼が使った塗料が地衣類が繁殖しやすいものだったのだろうと。塗料には動物の脂や血、ダチョウの卵などもまぜられた。

 

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第二のサイトは面白い。頭を上げて歩く恐竜のような怪物の絵や人が変形したような奇妙な姿がある。トリップ中のシャーマンが見たイメージだろうか。並んで手を叩いているような人物像もある。白で描かれていた顔の部分が消えていて、頭がフックのような形に見える。
四つ足のシマウマのような動物画があるが、これは絶滅したクアッガではないかと解説書にある。前の半分だけ縞模様がある小さな馬で、このエリアにはたくさんいたようだ。

 

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第三のサイトは低いシェルターに仰向けに寝転がらないと見えないものが多い。胴体と後足だけが消えずに残ったような動物画がある。

 

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後ろからフランス語を話す黒人と白人の若い女性の二人連れが来た。先の方には太った男性の姿も。全く人家の無いCederbergの北の外れにあるが、名所のひとつで、訪れる人は少なくないのだろう。それと、さらに道を東に進み、オフロードに入るとBushmans Kloof Wilderness Reserveという、ちょっと値段高目のしゃれた宿泊施設がある。

 

第4のサイトはごく小さなシェルターだ。シマウマかクァッガの絵がある。

 

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5番目のサイトは弓矢を持った人物像が印象的だ。とても繊細な線で描かれている。

 

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サイト6は下半身がどっしりと豊かな人物が並ぶ。お尻がどんと出ているのが特徴だ。この感じはコイコイ人の特徴を思わせる。

 

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サイト7は黄色ゾウの絵が複数ある。ゾウは黄色で描かれているものが多い。実物は色があまり無いのに。どういうわけだろう。

 

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サイト8は手形がたくさん押されている。やはりElands Bayと同じでとても小さい。やはり子どもなのだろうか。後ろからきていた女性二人連れが「これは学校だと思う」と。両手で押している手形もあるし、卒業記念か? 学校かどうかは別として、イニシエーションと関係する可能性はあるかもしれない。サイト1の絵のように、塗料の上に黒い地衣類が生えて黒い手形になっているものがある。

 

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サイト9は馬(シマウマかクァッガか)と人物像が特徴的だ。

 

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サイト9はシェルターの上部が大きく崩落している部分があり、一部壁画が隠れるような形になっている。

思った以上に見どころの多いコースだった。アップダウンも少なく、さほど足に負担もかけずに歩けたし、いい風が吹いていてさほど暑さを感じない。これが暑くて大変というのなら東京の夏は地獄に等しい。
 

全て見終わって、農場の建物に戻ってきたときはもう6時を回っていた。約3時間経っていた。

「何か食べるものあります?」ときくと、おばさんがむすっと「もうキッチンは閉じちゃったよ」と、これまた素っ気なく。コーヒーを頼むと、小さなクッキーのついた濃いコーヒーが出てきた。これがなかなか美味しいコーヒーだった。

無料の簡単なパンフレットはもらっていたが、売店ではこの場所の岩絵についてのもう少し充実した冊子を売っている。それを買いたいと言うとおばさん、「これを買うって? そう....買うんだこれを...」と言いつつ、奥の方へ行き、包みをベリベリと裂いて一冊出してきた。あまり買う人はいないようだ。

そうこうしているうち私のはるか先を行っていて、最後に私が追い越した太った男性がふうふう言いながら戻ってきた。

「いやー、よかったけど、迷っちゃったよ。何か食べるものない?」

「もうキッチン閉じてるよ」

「なんでもいいんだけど...、何か、肉とか...ちょっとした肉とか....」

「だから無いの。何も」

...というやりとりを見ながら、「コーヒー美味しかった。ありがとう」と言って店を出ようとすると、急におばさんの当りがやわらかくなって、

「あんた、ヒザは大丈夫だった? どこに泊まってんの?」と。

「ここは真夏は猛烈に暑いって聞いてきたけど、涼しいね」と言うと、

それまでおばさんの隣に座っていて寝てるのか起きてるのかわからないような感じだった姉妹と口をそろえて、

「こんな陽気は普通じゃないんだよ。こんな夏なんてないよ」と。

そうなのか。ケープタウンも海辺は霧がかかっていて、こんなのが夏に出るのは滅多にないと言っていた。どこも異常気象なんだな。

別れ際、「あんたね、気をつけて歩くんだよ。じゃあね」と。

なかなか味わい深いおばさんだった。彼らは何世代そこに住んできたのだろう。周りに全く人が住んでいない、ものすごく寂しい場所だ。

 

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道路を西に少し戻り、宿へ。今度は満面の笑みの愛想のいい主人が出てきた。行ってみて初めてわかったが、ここは完全に自炊の宿で、朝食も出ないのだ。夕飯に食べるものも買ってなかった。

一番近いレストランは?ときくと、例のおばちゃんの所だと。それはもう閉じちゃったと言うと、じゃあ、30キロ離れた町Clanwilliamまで戻るしかないね、と。まじか。これは注意書きとしてかいておいてほしかった。また町に戻るのか。30キロといってもこちらは一般道も80-100キロくらいで走るので、30分はかからないのだが。

Clanwilliamでレストランに入ると音楽がガンガン鳴っている、いわゆる観光地のレストラインという感じ。そういうのは苦手なのだ。特に一人で入るのは。

ピザを食べる。どうせ道路に誰もいないし、ビールも飲んでいいな。

帰り道が本当に真っ暗だった。月も出てないし、曇っていて星も見えない。もちろん街灯なんてないし、人家もほとんどないので、ヘッドライトがあたるごく狭い部分以外、全く何も見えない。すれ違う車もない。宿の場所をカーナビに入れておくべきだった。

そろそろかな?と思い始めたとき、いきなり道がじゃり道になり、ザザッーっと滑る。砂利道? そんなの無かったぞ。遠くまで来過ぎたのか?

少し注意しながら戻ると、なんと例のおばちゃんの農場の入口が。かなり進んでしまったのだ。

今度は宿の入り口を見落とすまいと注意しながら道を戻る。かなり戻ってもそれらしいものが見えない。これはまた見落として戻りすぎたのか? もう一度逆方向へ。すると、またしばらくしておばちゃんの農場の入り口が──。

どうなってるのか。なんだか恐ろしくなってきた。もう時速40キロくらいでハンドルにあごを乗せるようにして道の片側を凝視しながら走る。悪いことにしとしと降りだった雨が激しく降ってきた。行ったり来たりを繰り返しで、ようやく入口をみつけたときは町を出てから一時間半以上経っていた。結局思った以上におばちゃんの農場から離れていて、そこまで戻る前に、絶対に行き過ぎてると思って引き返してしまっていたのだ。真っ暗だと距離感も時間の感覚もおかしくなる。ビールを飲んだのもよくなかったんだが。

二度と同じことにならないよう、今度はカーナビに地点を登録。

くたびれ果てて部屋に入ると、ベッドの上には木の枝をしばった大きな十字架が(最初からあったのだが)。なんだかもう怖い。

 

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