「先史時代の岩絵の世界」その1

しんぶん赤旗』に4月27日から5月22日まで、全5回で「先史時代の岩絵の世界」という連載を執筆しました。ここ数年続けてきた岩絵の取材をもとに書いたものです。許可を得てここに再録します。

 

「先史時代の岩絵の世界」第1回 

「オーストラリアの先住民居住区 数万年の時の流れ語る」

 私がオーストラリアに残る先住民の壁画の写真を撮り始めたのは、約7年前のことだ。カカドゥ国立公園の岩壁に残る、1万年以上前の手形を見て以来、壁画の世界に引き込まれてしまった。

 オーストラリアには、おびただしい数の岩壁に描かれた絵がある。古いものは3万年以上前までさかのぼるが、壁画の歴史はつい最近まで連綿と続いてきた。1万年前の絵のすぐ隣に100年前の絵があることは珍しくない。

 同じ壁面に絵が何層にも厚く重ね描きされていることも多く、最も下の層にいつごろの絵が隠されているかは誰にもわからない。4万年前の絵があるかもしれないのだ。人間の歴史の中で、同じ場所でこれほど長い時間続けられてきた文化的営為は他にないだろう。

 約3年にわたって各地を巡り写真を撮ったが、最後に訪れたのは、アーネムランドのボラデール山麓だった。

 アーネムランドはオーストラリア北東部に広がる先住民の居住区で、面積は北海道の約1・2倍と広大だが、人口は1万6千人ほどだ。

 植民地化以前の文化的伝統と自然環境が濃く残る場所だが、かつてのように移動しながら暮らす集団はおらず、私の目的地一帯は数十年間無人状態になっていた。地権継承者の数人のうち、この地に生まれたのは、チャーリー・マンガルダという老人ただ一人だ。彼も前世紀半ば、少年時代にこの地を離れている。

 浅い洞窟の壁面いっぱいに手形が押されている場所があった。手形は壁画の重要なモチーフ、そこに生きた人たちの生の証しだ。

 さらに、人間、カンガルーや亀などの動物がすき間なく描かれている。人とも動物ともつかない不思議な姿も見える。彼らの世界観にとって重要な精霊たちかもしれない。さまざまなモチーフが重ね描きされ、混然一体となっている。

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アーネムランド、ボラデール山麓の壁画。無数の手形が押されている。

 先住民のガイドに「重ね描きして、古い絵が消えてしまうことは気にならなかったのかな」と聞いたことがある。彼の答えは「消えてはいない。新しい絵の下に残っている」というものだった。

 壁画は完成された「作品」ではない。描き続けるという営為こそが重要であり、絵はそこでの暮らしが続くかぎり変化しつづける、生きたものだったのだ。

 壁画にはこの地にやって来た白人、彼らの船やライフル銃の絵も見られる。壁画は数万年の時の流れを語る絵巻ともいえるが、絵の意味を全て知る者はもういない。

 ある壁画の前に、ひとつの手形がつけられた、ひと抱えほどの岩が置いてあった。あのチャーリー・マンガルダのものだという。テレビ番組の取材陣から、手形をつける場面を撮影したいと強く求められ、しぶしぶ応じたのだという。その佇まいは、長い歴史に終止符が打たれたことを示すひとつの石碑のようだった。

(『しんぶん赤旗』4月27日掲載)

 

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洞窟の天井いっぱいに描かれた精霊ニジヘビの絵。ニジヘビは世界をつくった造物主的精霊。

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征服者たちが乗ってきた船の絵

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魚の絵。骨格や内蔵などの体内も描く、「X線技法」という独特な手法で描かれている。