タッシリ・ナジェール壁画撮影行2025-12/28 その5

午前中はIn Intinenの西側のエリアを回る。

この日はTin Abotekaを通り、Tin Tazariftへ向かう予定だったが、前日ガイドのブーバカーがそれは無理だと言い出したという。とても時間がないのでどこか飛ばすか、Tin Abotekaでキャンプして、後半のスケジュールを圧縮した方がいいと。

スケジュールを大きく変えるのはあまり賛成できなかったが、昨日もあまり余裕がなく、すばらしいTan Zumaitakでもあまりゆっくり時間がとれなかった。何度も来ている英さんと私はいいが、初めて見る人たちはもう少しゆっくり壁画を見たいにちがいない(これは私がアンドラスのツアーに参加したときに最初に感じたこと)。実際そういう声も出ていたので、ある程度見る場所を厳選した方がいいのではと伝える。

 

 

宿泊地を変えないためにも、午前中のIn Intinenのサイトは重要な所に絞って、早めに移動することになった。In Intinenは以前アンドラスのツアーでも訪れていたが、エリアが広いので全て見ていたわけではない。

以前にも訪れた、狩猟採集民時代の後期の絵のある深いシェルターに入る。「エジプト人のシェルター」と呼ばれている。アンリ・ロートが壁画にエジプト文化との関連を見ようとしていた影響のもとについた名だ。

ここはTan Zumaitakよりさらに陽のあたらない、 壁画の保護に適した環境のようにも見えるが、かなり風化している。使われた塗料の問題、風や湿度の問題などもあるのだろう。頭に独特なかぶりものをしている人たちの行列の絵なのだが、9人いるうちの最後の2人しかはっきり見えない。画像補正をしてもほとんど見えない。狩猟採集民時代の後期のものと見られる一群の絵は保存状態のよくないものが多い。使われていた塗料の問題なのだろうか。ラウンド・ヘッドが手や足の曲げ具合が角張っているのに対して、後期のものは手足が丸く湾曲したような形で描かれたものも多いのが特徴だ。この絵も一番右の人の手は内側に丸く曲がっている。アンリ・ロートの複製画をみると、他の人の絵はサイズが1.5倍くらいあるので、この行列の絵は後ろの2人は別の時に描かれたものかもしれない。面白いのは一番右端の、現在も見える2人の右側の人物が、複製画をみると顔が完全に魚のようなものになっていることだ。たしかに実際の絵を見てもそんな風に見えなくもないが、ちょうど人の頭があるべき場所が擦れていてよくわからない。顔に何かつけた人の絵が風化の具合で魚の顔のように見えているのか、本当にそんな不思議なキャラクターなのか。ラブクラフトが好きな人が見たら喜ぶにちがいない。

 

 

In Intinenで牛に乗った女性像を再び見る。赤い色がかなり鮮やかに残っている。これを見ると、描かれた当時は色鮮やかだった絵がたくさんあったのだろうなと。

空を見上げる2人の女性像も面白い。一人が何かを指さし、隣の女性もその指の先を見ているようだ。上の方に何か描かれているかと思ったが、何も見えない。どういう場面だったのだろう。

 

 

In IntinenからTin Abotekaに向かうが、英さんがウエストポーチをつけていないことに気づいて、途中で置き忘れてきたような気がすると言う。トイレに行ったときに外して起きっぱなしにしたのではないかと。そして、なんと中にパスポートが入っていると!! パスポートとなると、ま、いいか、とはいかない。ブーバカーと山口さんが戻って探すことになった。

彼らが探しに出たすぐ後、宮澤さんがよく人の写真や動画を撮っていたことを思い出し、この日の朝撮ったものがないか尋ねると、朝撮った英さんの写真にポーチはついてなかった。つまり、朝から着けていなかったのだ。ではどこに?

小一時間でブーバカーと山口さんが戻ってきた。「いやー、ありませんでした」と。なんとキャンプ地まで行って探したという。この短い時間にキャンプ地まで? 山口さんは若いからわかるが、70過ぎのブーバカーが...。やはり脚力が違う。再発行するにはアルジェの大使館に行って...というような具体的な話も出る。きっと帰りの便を変更したりもしなくてはならないだろう。いったいウエストポーチはどこに? どんよりした空気になるが、荷物はロバが運搬中で夕方まで確認できない。無意識に荷物に入れていることを願うばかりだ。

いったんウエストポーチのことは考えないことにして、先に進む。Tin Abotekaも二度目の訪問だ。写真ではわかりにくいが、等身大の人物像はやはりすばらしい。この男は大食漢で、食い散らかしたものを投げ捨てていた跡が反対側の壁の染みとして残っている、という話が伝わっているらしい。人物像は横向きで、動感はあるが静かな絵だ。どうしてそんな話になったのか不思議だ。タッシリで10日間ほどのツアーだとここに寄らないものも少なくないようだが、それはあまりにもったいない。

 

 

Tin Abotekaを出たのが午後2時代、目的地Tin Tazariftに着いたのが午後3時半くらいだったので、時間的には全く余裕だった。どうしてブーバカーがそんなに無理だと主張したのかよくわからないが、彼だけでなく、In Intinenに行く人はかなり壁画に強い興味がある人に限られているので、この場所に詳しいガイドというのがほとんどいない。自信が無かったのだろうと。陽が落ちるのも早いので、暗くなってから歩くようなことになるとガイドの責任になる。

キャンプ地に着くまでの道沿いにある壁画を見て歩く。双頭の蛇を射る人たちも再見。これをアンリ・ロートは舟であると考えたが、今回Sonyのカメラで撮影したものを細かく見ると、双頭の蛇の両方の首に矢が何本も刺さっていることが見てとれた。

 

 

今回初めて気づいたのは、前回も写真を撮っていたのにスルーしていた牛の絵だ。黒い双頭の牛と白い牛が並び、白い牛の背中のあたりに大きな「蛇」が描かれている。これは他の場所にも見られる「牛と蛇」の儀礼の絵ではないか。前回もロート隊の複製画と照合していたら気づいたのだろうが、完全にスルーしていた。今回撮影すると、蛇の頭もくっきりと見える。

これがフルベ(フラニ)族に伝わるロトリの儀式だと主張したのは、マリの作家ハンパテ・バーだ。牛を守るティヤナバ蛇、双頭の牛はロトリに欠かせないもので生きた牛がいなければダミー、木の枝で作ったU字型の門に牛を通して疫病などを防ぐとしている。ロートは以下のように書いている。

「ロトリの儀式的要素が明確に示されている。上部には、二つの頭を持つ牛の像の上に、ティアナバの蛇の絵が描かれ、下部には、頭が欠けている人物が「葉の回転する扉」を横切り、3人の参加者が彼に続く。」

これが描かれた時とフルベの儀礼のとの間には4000年以上の時間が空いている。そんなに長く口承文化が続くものかと反論する専門家も少なくないが、面白い符合ではある。そしてなにより絵として面白い。下の人物はなにかモヤモヤしたものに囲まれているが、これが「葉の回転する扉」なんだろうか。

細長く浮遊する人の絵も面白い。これが霊魂のようなものではないかとアンリ・ロートは考えた。9日目に訪れるアウアンレートにその謎解きになるような絵があるのだが。

 

 

キャンプ地に着く前、「泳ぐ人」も再訪する。これもまたタッシリの壁画を代表するものなのだが、前回訪れたときは夕暮れ時でかなり暗かった。もう少し明るい時間帯に撮影したかったのだが、いかんせん陽が短いので今回も夕暮れ時になってしまった。あらためて、これは本当に魅力的な絵だ。白い岩の脈を水面に見立てて泳いでいる人を描いているように見えるが、その左上には泳いでいるというより、浮遊している人の姿がある。出発の少し前、ジャバレンの「火星人」という壁画のことを調べていて、そういえばフランソワーズ・アルディに「火星人」という曲があったのを思い出し、Youtubeで昔のPVを見たら、なんとこの絵が挿入されていた。当時タッシリのラウンドヘッドの壁画は宇宙人みたい、という感覚がフランスで広く共有されていたのかもしれない。それにしても唐突な感じだったが。

 

 

キャンプ地に着いて、いやでもウエストポーチ問題に向き合わざるをえなくなった。英さんがロバが運んでくれたバッグを開けると......ウエストポーチが入っていた! 無意識に入れていたのだろうと。なんにしても大事に至らずよかった。

歩行距離約13km

タッシリ・ナジェール壁画撮影行2025-12/27 その4

タムリットからタン・ズマイタクへ向かう。2022年に今回と同じようなコースを通ったときは時間が無いのでタン・ズマイタクに行かないことになり、本当にがっかりした。翌年ティスーカイを訪れたときに最後に組み入れてくれたのでよかったが。

朝はかなり寒い。ダウンを着たまま歩きはじめるが、だんだんと暑くなってくる。明け方は5度とか、寒い日は外に出していた水が凍る気温だが、日中は20度台まで上がる。

 


途中Tamritのイヘーレン様式の「ライオン狩り」の絵を見る。ここに寄るのは三回目でたくさん写真を撮ってきたが、Sonyでフラッシュを最大光量にして撮り直してみた。やはり部分的にディテールがよく出ているところがあり、DStretchにかけると違いが際立つ。「ライオン狩り」は宿営地に入り込んで家畜を襲うライオンを大勢で退治している絵で、イヘーレン様式の壁画の定番のテーマなのだが、Tamritの絵は肝心のライオンの姿が見えない。アンリ・ロート隊の複製画にもライオンの姿が無い。帰国後にあらためてDStretchで補正して、たぶんこれだろう、という輪郭をみつけ、英さんも同意してくれた。おそらく輪郭線は濃く描かずに、淡い色で塗りつぶす形で描いてあったのだろう。DStretchにかけるとわずかな周囲と色の違いが表示される。(ライオン狩りの写真は全て補正画像)

 

 

奇岩地帯に入る。タッシリの良さは壁画だけでなく奇妙でダイナミックな岩の景観だ。こんな巨大なお尻のような岩もあって楽しい。

 


タン・ズマイタク Tan Zumaitakに入る。大きな壁面は本当に見ごたえある。ほれぼれする。一般にタッシリの壁画というと、白い巨人の次に多く紹介されるのがこの壁画だ。ここの壁面は深いシェルターで全体を丸く覆うように周囲の壁面がせり出しているので、絵の保存状態がとても良い。環境が良いだけでなく、瘢痕文身とみられる体の模様や装飾など、かなり厚く塗料が盛り上げられていることも大きいのだろう。時代もタッチも異なる絵が重なってユーモラスな効果が生まれているのも楽しい。クラゲのようなものに小さな人間像が重なっていて、まるで浮き輪をつけた人のようになっていて面白い。ここの壁画はいつまでも眺めていて飽きないが、今回は少し時間的余裕がなく、先へ進む。

 


次にTiteras NʼEliasに着く。ここも以前訪れたことがある。前回も見た、テントの中の女性、大勢で踊る絵、戦車などを見る。Tamritにも戦車の絵が多いが、いずれも馬二頭立てなのだが、馬体は一頭、足だけ二頭分描く手法で描かれている。戦車の壁面には奇怪な頭の形の狩猟採集民時代の絵も描かれている。(以下3枚は画像補正処理をしたもの)

 


この日はIn Intinenに泊まる。現在この地名が使われている場所でなく、もう少し北のアンリ・ロート隊がかつて壁画の複写を数多く行った場所だ。この場所は現在ガイドに「ロートの場所」などと呼ばれているらしい。ここも以前訪れたことがあるが、今回持って行ったSonyのカメラで画像補正すると細かいディテールが見え、発見も大きかった。In Intinenでキャンプ。壁際にテントをはろうとしたら、大きな足が描かれていることに気付き、あわてて移動。巨人が2体描かれていた。上半身はほぼ消えていたが。(以下3枚は画像補正処理をしたもの)

 

 

前回のティスーカイの旅で実感したが、タッシリの旅は夜焚き火を囲む時間が楽しい。それまでの一、二回目の旅はこれが無く、トゥアレグの人たちと別々にヘッドライトの光でインスタント食品を食べる夕食だった。トゥアレグのお茶も飲めなかった。寂しすぎる。

 


この日の歩行距離約15キロ。

タッシリ・ナジェール壁画撮影行2025-12/26 その3

夜明け前に起床。日の出は7時頃だ。ロバ隊と合流する。

今回の旅のガイドは2年前のティスーカイのツアーと同じブーバカーだ。70過ぎのベテランだ。料理人と全体のまとめ役がモハメッド、ロバ隊はロバ11頭、世話人が4人だ。ロバ隊は皆若い。一番若いアリーは16だという。後で知ったが、ロバ隊の皆さんは全てマシャール一族、アンリ・ロート隊でガイドを務めた人の家系なのだった。この中からベテランのガイドになっていく人が出てくるのだろう。

 

 

タフィラレット峠の上り道は心配したほどきつくなかった。今回出発前に仕事が多くトレーニングしている時間がほとんど無かった。まずいまずいと思いながら、ようやく慌てて20日前くらいから近所の寺院の急な石段を往復することだけした。超弱が弱の弱くらいにしかならなかったので心配だったのだが。これで登り降りする筋肉だけは少しましになっていたということか。

台地の上は標高1700mほどだが、麓のキャンプ地が1200mほどあるので、実質500m程度の登りだ。山登りとしては高尾山くらいと思うが、高尾山だってケーブルカーを使わずに麓から上がると結構大変なのだ。しかも、登山道が整備されている高尾山とちがって大きな岩がごろごろしている場所があり、歩きにくい。岩をよじ登る場所もある。ロバは段差の大きな道は上がれないので、途中分かれて別ルートをとる。

 

 

 昼過ぎになんとか台地の上に着き、Tamritのアンテロープの群の壁画を見る。アンテロープは肉眼では7-8頭くらいしか見えないのだが、アンリ・ロート隊の模写を見ると、実際は10頭描かれている。アンテロープの目がどこか手塚治虫の漫画のようでかわいらしい。
 

 
Tamritの渓谷に降り、樹齢数千年ともいわれる固有種のイトスギを見る。2年前に何本もすっかり枯れているのを見て衝撃を受けたが、見るかぎり、新たに枯れたものは無いようだった。Tamritでキャンプ。今回の料理人モハメッドが作る料理は英さんが一番うまいと太鼓判を押すだけあってとてもおいしい。とくに日が暮れて冷えてきてからのスープはとても嬉しい。甘いトゥアレグのお茶も砂漠で飲むとおいしい。
この日の歩行は約17-18キロ。
 

タッシリ・ナジェール壁画撮影行2025-12/25 その2

エッセンディレーヌで朝食を食べ、荷物を整理してロバに積めるようにバッグに詰め替える。エッセンディレーヌは少しずつリフォームしていて、食事する場所に屋根がついていた。雨が増えてるんだろうか。温水シャワーの新しい機器もついていた。海外からの観光客は少し減っているらしいが、国内の都市部から来る客が多くなっているようだ。かつて立派な角がついたムフロンの頭骨があったのだが、これが壊れていて残念。屋上に上がって洗った靴下を干す。11日後まで飛ばないで残っていればいいのだが。

この日は夕方台地に上がるためのキャンプ地に行き、宿には戻らない。

山口さんはキャスターがついたバッグで来ていたが、危惧したとおりこれはロバに積めないと。キャスターでロバが怪我する可能性があるということ。以前英さんが同じようなバッグを持ってきていたときもドライバーで車輪を外されていた。私の予備のバッグをお貸しする。

 

 

前回も訪れた象の岩がある場所に行く。月風さんが砂漠に円形を描くというパフォーマンスをするのに広い砂地を探すが、この場所は観光客が多いので車の轍が多く、適当な場所がみつかるまでそれなりに時間がかかった。

 

 

月風さんは着物に着替えて杭に繋がったロープを使ってコンパス状に円を描く。砂漠に着物というのが妙にマッチ(?)して、何か幻想的な映画の一シーンでも観ているような。とても印象的な光景だった。植田正治の写真にも似た、何かシュールリアリスティックな効果を砂漠の風景は生む。私はコンデジで動画を撮る役目を仰せつかったが、よく撮れたという自信がない。

この後定番の「泣き牛」を見る。見事な刻画だが、この技法で彫られた大きな刻画が他に見当たらないことが不思議でならない。似たものは近くにあるのだが、技術の洗練度や彫りの深さなどが違う。絵についてもいえることだが、「習作」のようなものが見当たらないというのは本当に不思議だ。

 

 

二年前に訪れた「鍵穴型古墳」を見る。イヘーレン様式の絵を残した白人系の遊牧民の墓と考えられている、約5000年前のものだ。象の岩のある砂丘からも鍵穴式古墳が見えるのだが、斜面に作られている。やはりここの方が規模も大きく見ごたえがある。周囲に砂と岩しかない開けた場所にあるので、なんだか他の惑星を舞台にしたSF映画のシーンのようだ。

タッシリの台地に上がるアドメル峠の麓でキャンプ。明日はハードだ。

 

 

タッシリ・ナジェール壁画撮影行2025-12/24 その1

池袋で待ち合わせして、23日夜のカタール航空で山口さんといっしょに向かう。今回はいつものエミレーツがモタモタしているうちに安いチケットが無くなり、かわりにエティハド航空アブダビ乗り換えで行くことになっていた。ところがこれが11月になって急にアブダビ-アルジェ間の路線を廃止の連絡。アブダビからアルジェへのフライトは他に無いので全て取り直しということになる。こんなに直前になって新たにチケットを買うとなるととんでもなく高くなるのではと危惧したが、幸いHISに安いドーハ乗り継ぎのカタール航空便が数枚出ていたため慌てて予約。アルジェリアの国内便も最初は売り切れていたりして、こんなに航空チケットでドタバタするのは初めてだった。

また、出発直前に、エミレーツがモバイルバッテリーの機内持ち込みを1個に限定していることが判明。最近機内で火事が発生する事故が続いていたので仕方ないとも言えるが、それにしても一個とは。それでは電源の無い場所では2日くらいしかもたない。カタール航空はそれほど規制が厳しくないので、英さんのモバイルバッテリーを私が持って行くことにしたが、カタール航空のサイトをみると「あらゆるタイプのバッテリーを最大20個まで」とある。「あらゆるタイプのバッテリー」? 乾電池とかカメラの電池とかも? もしそうだとしたらこれはなかなか厳しい。今回ソニーのカメラのバッテリー消耗が激しいので12個持って行く。さらにストロボを最大光量にする予定なので、乾電池もたくさん必要だ。はたしてどうなるのか。

チェックインカウンターで質問すると、乾電池とかは対象外だと。ひと安心。ただ、バッテリーの容量には上限があるので、荷物検査で細かくバッテリーのスペックを調べられる。

ドーハ空港はドバイ同様、欧米系のブランドショップだらけのギラギラな場所で、しかも巨大だった。ドバイも同じだが、もう少し自国の文化の特徴を出そうとか思わないんだろうか。

ドバイ空港のカフェで自分が腕時計をしていないことに気づく。手荷物検査で外してトレーに入れて...トレーから消えたのだ。トレーを一度X線に通し直したり、途中服がひかかったりしたのを入れ直したりしていたのは見ていたが、腕時計だけ落ちるなんてことあるだろうか。撮り出したバッテリーなどを仕舞うのに手間取って腕時計を外したことをすっかり忘れていたが、トレーには何も残っていなかったことは確かだ。モヤモヤする。だが検査場はもう遠いし、今回壊れてもいいようにとても安い時計をしてきたのでもう戻らないことにした。出だしからこんなんで大丈夫かしら。

 


アルジェに着くと、先に着いていた英さんたちの荷物が出てくるのが遅れていたようで、我々が先に国内便のターミナルに着く。近づいてきた両替屋で少量両替して国内便ターミナルのカフェで柳谷さん、月風さんとも合流、さらに前日からアルジェに来ていた宮澤さんも合流して夜10時半発の国内便まで延々と時間つぶし。ジャーネットに行くときに一番しんどいのはこの待ち時間と深夜のフライトだ。

ジャーネットに着くとエッセンディレーヌのサラーが迎えに来ていた。いつもの宿泊所のいつもの部屋で就寝。

タッシリ・ナジェール壁画撮影行2025-12/23 その0

再びアルジェリア南東部、タッシリ・ナジェールの台地に壁画の撮影に行くことになった。今年の冬は行く予定は無かったのだが、できれば行きたいと思っていたチャド・エネディの旅に全く人が集まらなかったのと、長年サハラの壁画を撮影してこられた英隆行さんが9月のアルジェリア大使館での講演の後、「タッシリ熱」に火がついて、本当の最後の旅になると誘ってこられたので、これは同行しないわけにはいかない。英さんとはこの4年、毎年タッシリへの旅で一緒だった。さらに一昨年は一緒にフランスへの壁画観賞の旅もした。家族以外でこんなにいっしょに海外旅行している人は他にいない。

 

 

もう一度行きましょうと連絡を受けたのが10月の頭、当初1月か2月という案だったが、私が仕事の都合で難しく、行くとしたら年末年始しかない。1ヶ月半前に誘って人が集まるかが問題だったが、チャドと違ってタッシリ・ナジェールに一度行きたいと思っていた人は少なくないようで、画家の山口洋佑さんが参加してくれることになった。山口さんには装画をお願いしたことがあるし、パエジナストーンも買っていただいた。壁画の話も興味をもって聞いていただいた憶えがあるので、きっと関心があるのではとお誘いしたのだが、嬉しかった。他、私が創形美術学校で講義していたときにアシストしてくれていた若い日本画家や、長いつきあいの山歩きとサン・テグジュペリが好きな仕事仲間が「すごく行きたいけど残念です」という返事をくれた。そうだよね、急に言われても無理だよね...すんません。

英さんのサイドでは、アルジェリア大使の秘書などをしてらした仏語通訳・翻訳家の柳谷美和さん、毛筆アーティストの月風かおりさんが参加することになった。柳谷さんはサハラの旅の経験も豊富だがタッシリはまだ上がったことが無いと。月風さんはサハラをバイクで縦断、アメリカをバイクで横断、南極に一ヶ月滞在(!)という強烈な体験をされている。これで5人になってツアーの条件としては充分になった。

また、大阪の民族学博物館の壁画研究会でごいっしょしているアジアの海洋民などのドキュメンタリー映像を制作している会社・海工房の宮澤京子さんも、12月の研究会でお会いしたら、実は本当に行きたかったんだけど...とおっしゃるので、「まだ間に合います!」と、なかば強引に誘ってぎりぎりで飛び入りしていただいた。海工房の代表は門田修さんで、タッシリの壁画の写真集『サハラの岩面画』を出している。文章は壁画研究の重鎮・故木村重信だ。日本人でサハラの壁画を集中して撮った写真家は野町和嘉さんが有名だが、壁画に特化した大判の写真集は門田さんの本が初めてだ。

とういうことでこれで総勢6人になった。5-6人は最適な数だと思う。今回は女性陣がハードな海外旅経験が豊富な強者揃いで、一日中ずっと座りっぱなしでビールを飲んで寝るという日々を重ねて体力激下がりの私は、まごつかないようにがんばらねばならない。

今回はタッシリで10日間歩く、最も有名な壁画を見て回る、タッシリ壁画ハイライト・コースと言っていいものだ。2022年にハンガリーの壁画研究者アンドラス・ズボレイのツアーで行ったコースと近い。英さんが計画をたてて現地の旅行会社エッセンディレーヌと交渉してくれた。西遊旅行社などもほぼ同じようなツアーを催行しているが、これはかなり高額だ。今回は呼びかけたのは私たちだが、個人の集まりということなっていて、催行の主体はアルジェリアの旅行会社だ。マージンを乗せることはしていないので、ユーロが180円半ばという円安状況なのだが、それでも破格の安さではある。

英さんはコース上にあるタッシリの壁画は初めて組織的に探査したフランスの研究者アンリ・ロートの調査隊が複写画を残している壁画で、これまで見落としてきたものをできるだけ見ていこうと考えている。また、赤色光を広くとらえることができるように改造したカメラでこれまで撮影してきた壁画も再び撮影を試みる。大阪の民族学博物館の壁画研究会でも発表されたが、肉眼ではとらえにくいが、壁画の鉄分を多く含んだ塗料の痕跡を幅広くとらえることができれば、画像補正で見えないものが見えてくる。

私はSonyのカメラをレンタルして、ずっと使ってきたNikonは持っていかないことにした。英さんのリサーチでCanonNikonは画像補正に向いておらず、アンドラスが使っているPentaxと比較するとDStretchという壁画に特化した画像補正ソフトで処理した画像で見えるものが全く異なるため、今回Sonyを使ってみることにした。Nikonよりも解像度が高いが、本当に軽い。レンズも軽い。歩く旅には都合がいい。フラッシュも最大まで光量を上げて撮るつもりだ。ただ、今回初めてSonyを使うし、ミラーレスも初めてなのでへまをしなければいいが。

また、12月末ともなるとかなり気温が低い。麓の町ジャーネットでも明け方は0度くらいまで下がるため、台地の上は零下になるかもしれない。私のシュラフはせいぜい8度くらいの気温しか対応していない。慌ててヒートテックの極暖、防寒ズボン、防寒シューズを買った。このため荷物の膨れ具合が半端ない。持病の神経痛で眠れなくなったり最悪腰痛になったりすることを考えると仕方ないのだが。

 

アメリカ中南部壁画撮影行その7

パンギッチの寒いモーテルを出て西へ向かう。寒い寒いと思っていたら、標高が1000メートル以上あった。

早起きできたらちらっとブライス・キャニオンを眺めて行こうかとも思ったが、そうはいかず。かなり疲れがたまってきた。


15号線の途中で、路肩の駐車スペースに止め、バージン川を望む場所にある壁画サイト二つをみる。ひとつは大きな岩塊に彫られた、ニュースペーパー・ロックのタイプ。さらに近くのダ・ヴィンチ・パネルと呼ばれる絵を見る。どちらもとてもいい絵だった。ダ・ヴィンチ・パネルはどうしてこのあだ名がついたか一目瞭然だが、剥落した板状の岩に彫られていて、背後の岩に立て掛ける形で配置されていた。

 


車の方に戻っていくと遠くから双眼鏡などでこちらを見て手を振る二人が。初老の女性たちだった。ハイウェイのこんな場所に車を停めるのは急に休憩したくなった人かロックアートを見たい人かしかいないし、そもそも牧場のバラ線のフェンスをくぐってこないと入れないはずだ(牧場主も壁画を見るために入ることは許可している)。


ペトログリフを見て来たんですよ」というと「どのへんにあるの?」というので、丁寧に道順を説明したが、「そっか、でも行かない。無理。写真を見せてもらったから満足」と。「大丈夫、63の私が行ったんだから」というと、「私はもう66なのよ!」と。日本にも旅行に行きたいと思っているというので、来るなら有名な観光地は避けた方がいいですよ、すごい人ごみなので、と伝える。

この日は可能ならヴァレー・オブ・ファイアーのサイトにも寄ろうかとも思っていたが、とても無理だった。
今回の旅最後のロックアートサイトはラスベガスの南のモハーベ湖の西側のグレープヴァイン・キャニオンの刻画群だ。もう暗くなっていたが、トレールの両側の岩山にかなりの数の絵が彫られている名所で、日が沈む前に急いで写真を撮る。カリフォルニアのCosoにあるタイプの細長い四角い体の人物画がある。Cosoは軍の敷地で、9.11以降アメリカ国籍をもっている人以外には原則見学させなくなっていたが、コロナ以降は全面的に立ち入り禁止になっている。

 


撮影を終え、予定では近くのラフリンに泊まるつもりだったが、キャンセルしてさらに運転して西のバーストウまで行くことにした。ラフリンは三ツ星のホテルが他の町の星一つのモーテルよりも安いという不思議なことになっている。日本円にすると6000円代だ。何か間違ってるんじゃないかと思ったが、宿泊代を安くしてホテルにあるカジノで収益を上げるということらしい。その中でも大きな三ツ星ホテルに泊まろうかと思っていたが、ずっと安モーテルに泊まってきたので、なんだか面倒くさくなり、やはり部屋の前に車を停められるのが便利だなと最後も安モーテルにする。どうせ寝るだけなのだ。それに翌日の運転距離を縮めたかった。でも、部屋が本当に寒く、やっぱホテルが良かったかなと少し後悔。
これで今回の壁画見学の旅は終わり、3日間娘の部屋に泊まり、ヨシュア・ツリー国立公園に行き、ドライブイン・シアターに行き、ハリウッド大通りに行き、最後はハリウッド・ボウルでやっていたB52'sのコンサートに行くという、初めての市街地観光。コンサートのオープニングがリーナ・ラヴィッチだった。彼女の1stアルバムを出てすぐに買ったのは高校二年くらいだったろうか。