フランス・巨石遺跡&洞窟壁画紀行 13日目

最終日。

アンドラス夫妻と朝ホテルで別れた。

トラムに乗ってボルドーの博物館、アキテーヌ博物館に。

有名な旧石器時代のビーナス像「ローセルのビーナス」を見に来たのだが、入ったところにあった。思った以上に大きく、上半身は平板で、簡単に仕上げられているのにたいして、下肢が盛り上げられ、岩から大きくせり出している。手にもっている三日月型のものは動物の角の器だという。何か象徴的なものがあるのか、飲み物が入っているのか。

旧石器時代のビーナス像は他にも展示されていた。ひとつは失われてしまったらしく、昔作られたレプリカだった。上半身だけで、乳房が極端に大きく作られたものものある。

 

 

アキテーヌ博物館は先史時代から現代まで、ボルドー市の歴史も辿りつつ展示している。順番に見ていくが、面白かったのは先史時代とロマネスクの石彫、民族美術のコーナーだった。2015年に「ボルドー展」が国立西洋美術館で開催されたが、目玉はローセルのビーナス、もうひとつはドラクロアの「ライオン狩り」だったようだ。ドラクロアルーブルにもいくつかかかっていたが、どうも何が面白いのかよくわからない。

ボルドー市街を少し歩いてタイ料理屋に入った。パッタイをたのんだが、なんだかぼんやりした味だ。薄味の焼きうどんみたいな。隣に日本風ヌードル店があった。メニューを見ると、うどんが約3000円! エビ天じゃなくて、エビフライが乗っている。乗っているというより、具が満載の感じだ。熱い麺を食べるというより、具とまぜてパスタみたいに食べるのかもしれない。

宿に戻って荷物を引き取り、駅に。TGVに乗ってパリへ向かった。二階の席だった。ナントからパリのTGVは二等で二人掛けだったが、一等は一人ずつで、随分ゆったりしていた。軽食ができるところもある。TGVは近い場所に建物などが少ないせいか、あまり速く感じないのだが、速度表示を見ると、300キロを超えるときもあった。

 


モンパルナス駅に着き、シャルル・ドゴール空港行きのシャトルバスに乗るつもりだったが、乗り場がわからない。駅の中も外もあちこち見てまわったが、どこにも空港行きシャトルの表示も無いし、人にきいてもわからない。フランスの駅は駅員というものがいない。案内所もない。
ネットで調べると、駅構内の「空港へ」の表示に従って進むとあるが、その表示が無いのだ。これは無くなったのだとしか考えられない。地下鉄は大きな荷物をもって階段を上がらないとならないので、では少し高いけどタクシーで行こうかと、値段を聞いてみると、少し高いどころではない金額を言ってきた。地下鉄で行くしかないようだ。

パリの地下鉄は便利だけれど、ほとんどエスカレーターもエレベーターもないのが難点だ。深いところにあるホームからだと地上までかなりの距離階段を上がる必要があり、重い荷物を持って上がるのは本当に大変なのだ。

空港に着き、英さんと別れた。

 

こんなに人に面倒みてもらって、自分は何もしない旅行は初めてだった。妙な感じもあるが、念願のブルターニュの遺跡と南仏の洞窟壁画を回ることができた。誘ってくれた英さんと、運転してくれたアンドラス夫妻に感謝する。

フランス・巨石遺跡&洞窟壁画紀行 12日目

今日はラスコー見学。

とは言ってもラスコーは壁画保護のためもう一般公開はされていない。ラスコーのレプリカに入るのだ。

ラスコーは1940年に発見された。モンティニャック村の18歳の青年マルセル・ラヴィダが飼い犬のロボットと散歩中、ロボットが地面の小さな穴に頭を突っ込んだことがきっかけだった。
穴の下に広い空間があることに気づいたマルセルは数日後、ロープやランプを用意して友人3人といっしょに穴を広げて中に入る。この村には財宝が隠されている秘密の地下道があるという言い伝えがあり、それを見つけたのではないかと思ったのだという。
壁画を発見した4人は、このことはしばらくの間自分たちだけの秘密にしておこうと話し合ったというが、3日後には村のみんなが知ることになったというからおかしい。

 


ラスコーは1948年に一般公開されて、多くの者が訪れるが、カビが生える、訪問者の吐く二酸化炭素によって絵の上に炭酸カルシウムの被膜が出来てしまうなど、急速に劣化。1963年に公開が中止された。

見学を希望する声にこたえて、精巧なレプリカを作る計画がたてられ、1983年にラスコーII、2012年に組み立て式で世界のいろんな場所で展示が行われているラスコーIII、2016年により精巧なレプリカであるラスコーIVが公開された。

この日はまず、8年前に公開されたばかりのラスコーIVに。
3Dスキャンしたデータをもとに3Dプリンターで(グラスファイバー)作られた洞窟の複製で、絵の復元も極めて精巧だという。数日前に訪れたショーヴェ2と違って、観光客の数がすごい。10分おきに20人くらいのグループが入っていく。
東京でラスコーIIIは見たが、やはり空間を丸ごと再現したものは臨場感が違う。「牡牛の間」のスケールはやはり尋常でない。彩色の仕方も、描かれている壁面における配置なども、同エリアの他の洞窟壁画と共通性はあるけれど、ちょっと質的に突き抜けたものがある。「ちょっとどうかしている」というのが率直な印象だった。
誰か一人の異能者による作品としか思えない。共同作業で行ったとはどうしても思えない。全てを一人で作業したというのが無理だとしても、主な部分は誰か一人の計画に沿って作ったのではないかと。
とても見ごたえあったのだが、いかんせん人が多く、ショーヴェ2に入ったときのような、本物の洞窟にいるのではないかというような雰囲気はなかった。
併設のギャラリーにも大きな壁画のパネルがあり、細かいところはこちらで見ることができて、これはなかなか良かった。どうしても小一時間くらいのツアーだとディテールまではよく見られないので。

 



さらに、ラスコーIIに向かう。

ラスコーIIはラスコーIVの完成にともなって閉鎖する計画だったというが、惜しむ声も多く、継続して公開することになったようだ。IVよりもIIの方が雰囲気があるという英さんの意見もあり、両方見ようということになった。

敷地内に小さな犬が地面に頭を突っ込んでいる像が。マルセルの飼い犬ロボットだ。尻尾がとれていた。この犬が穴に頭を突っ込まなければ、発見はもっと遅くなっただろう。一番の功労者といえるかもしれない。

ラスコーIIは、本物のラスコー洞窟のすぐ近くにあり、古い採石場を利用して作られたという。内部の壁画の複製は一人の女性がオリジナルと同じ素材だけを使って作成したが、完成に11年かかったとのこと。再現しているエリアはIVよりもずっと狭いが、英さんが言うようにこちらの方が洞窟に入っているという雰囲気がある。
ガイドの女性はフランスの方には珍しく抑制的に話す人で、内容が濃い印象があった。これも同じ場所について説明しているのに随分違うもんだなと。

 

 

本物のラスコーの入り口をフェンス越しに見て、今回の洞窟壁画見学は終了。ボルドーまで一気に200キロ近く移動した。アンドラス夫妻は必ずしもボルドーまで行く必要はなかったので、ラスコー近くで別れて、英さんと私はレンタカーを借りてボルドーに行けばいいのではないかと提案したが、運転は大した負担ではないから予定どおりボルドーまで行こうとアンドラスが。彼は本当にタフだ。

ボルドーに着き、宿を手配し、運転してくれたアンドラス夫妻へのねぎらいとしてレストランに。ずっとひたすら日本から持ってきたアルファ米を食べていたこともあり、とてもおいしく感じた。

 

 

フランス・巨石遺跡&洞窟壁画紀行 11日目

この日はレ・ゼイジーの町近辺の洞窟をいくつか回る。

先ず、コンバレル洞窟へ。ここはマドレーヌ文化の刻画が集中している。600を超える刻画は動物がほとんどで、前日見た家形のシンボル、テクトフォルムもある。最も印象的なのは入り口の看板にも使われていたライオンの絵で、これはちょうど目のあたりに小石が埋まっていて、これを目にみたてて絵を描いたのかどうかが気になるところだ。

 

英語ガイドのツアーだったが、ガイドの女性がなかなかひょうきんな人だった。「私の英語、あまり上手じゃないですよね。わかってます。何言ってるかわかんなかったらお願いだから黙ってないで言って!」

驚いたのは受付の机の上に置いてあった本の図版頁だ。このエリアにこんなに人間の顔の刻画があるんだろうか。なんかちょっと漫画っぽい。顔だけというのもちょっと不可解ではある。

 

 

続いて、すぐ近くにあるフォン・ド・ゴームFont de Gaumeの洞窟に。ここは現在唯一公開されている多色画のある洞窟だ。見学者は一日78人までと、他のサイトよりもずっと少人数に抑えられている。

絵はマドレーヌ期の壁画で、17000年前頃のものだ。230ほど確認されている絵のうち、バイソンが80、馬が約40、マンモスが20以上が描かれているという。テクティフォルムも数点確認されている。

 

 

照明も退色を防ぐためにかなり抑えられていて、ガイドが説明しながらライトで照らすのだが、ライトが暖色系だと多色画といっても色彩の微妙な調子というのはなかなかわからない。絵が描かれた時代も獣脂のランプだけで描いていたわけなので、ラスコーなど、多色画の絵の色彩の使い方というのは驚きに値する。

絵の写真はサイトからの引用。

 

 

続いてキャプ・ブランCap Blanc のシェルターに。ここにあるのは壁画ではなく、馬などの大きなレリーフだ。紀元前15000年前頃、マドレーヌ期のものだが、浅いシェルターの壁面に多くの動物が彫られている。10頭の馬(1頭は体長2.20mもある)、少なくとも3頭のバイソン、アイベックス、いくつかの未完成の人物像。大きな馬のレリーフは深く、立体感のある彫られ方で、迫力がある。

シェルターの下からは若い女性の遺骨が出土している。埋葬されたものとみられている。旧石器時代の人骨としては最も保存状態の良いもののひとつとされている。併設された博物館に細かい象牙のビーズの装飾をつけた人形が置かれていた。こうしたビーズが副葬品として大量に出土したということでなく、いくつか出てきたものからの想像ということらしい。イギリスの狩猟採集民は褐色の肌で碧眼だったのではないかと言われているが、マドレーヌ期の人間はどうだったんだろう。こんなに肌が白かったとは思いにくい。

 

 

この日はもう一ヶ所、夕方に訪れる洞窟があるが、少し時間があるので、昨日行かなかったクロマニオンのシェルターに行ってみようかと。が、調べると、なんと土日は休館。観光地で土日休みなんてあるか? もしかして個人運営なのかしら。

「ほーら、だから言ったじゃない、本当に昨日行かなくていいの?って」と繰り返すアンドラス。マグディはクロマニオンはいつか行きたい場所トップ3のひとつだったようで、茫然としている。仕方ない、そんなに面白くないから入場料払う価値ないという英さんの言葉を慰めにしよう。

それでも、せめて看板の前で写真くらい撮っておこうかということで、マグディと私と歩いていくことにした。
クロマニオンという名は、マニオン(土地の所有者)のクロ(オック語で穴の意)という意味だと知った。穴といっても洞窟ではなくシェルターで、そこから出た骨がヨーロッパ最古の人間たちということになった。

 


ここにも「人類の進化」みたいな看板が。だから、人類が進化してクロマニオンが誕生したんじゃないってば。アフリカから出てきた人たちの子孫なんだって。

 

この日最後の洞窟ベルニファルBernifalに向かう。個人所有の洞窟で発見は1902年とかなり古い。その時にはまだ先史時代の壁画のある洞窟というのは7つしか見つかっていなかった。マドレーヌ期の壁画がある。
苔むした林を歩いて洞窟の入り口で待ったが、予約時間を過ぎても誰も来ない。もしかして忘れてるんじゃないかと、看板にあった番号に電話すると、「今向かってる。あと15-30分で着くから」と。フランス人が言うんだから30分じゃ着かないな、45分くらいか、などと言いつつ待ったが、現れない。
マグディとか「もう頭にきた。来たら××してやる」とか言っている。
ようやく爺さんが現れたのは1時間以上経ってからだった。よく「あと15分」とか言えたもんだ。
しかも、「いやーどうもどうも。こういうことがあるのが人生だね(セラヴィ?)」とか言いながら現れたので、あんたが言うなよ.....と、みんなさらにイラっとするのだった。

ここは入り口に「写真撮影禁止」と書いてあるが、いろんな旅行者が撮影した写真がネットに上がっている。撮らしてくれるんじゃないかと期待していたが、「ああ、ぜんぜんOKよ」と。なんで「禁止」って書いてるんだろう。

 

動物(マンモスもある)をふくむ線画とドットなどのシンボルなどがあるが、最も有名なのは人間の顔だ。これが眉まで書いてあってなんだか現代人が書きそうなタッチなのだ。もしかして、客寄せのために誰か書いたんじゃないかなどと邪推したくなる。でも、あれこれ見ても、「真贋が疑われる」などと書いているものはなく、旧石器時代の絵として扱われているようだ。

 

 

高い場所にテクティフォルムの絵があった。これを英さんが天体写真撮影用に改造したカメラで撮影して、帰国してからDStretchで処理したところ、細かい点描で描かれたものだということがわかった。私のカメラで撮ったものはDStretchをかけても点々は見えず、黒っぽく潰れてべったりしている。

上が私の写真、下が英さんが撮影して、DStretchにかけたもの。点描で、屋根と地面のようなところにフリルのようなものがついていることがわかる。私の写真を加工したり補正したりしても、こういうディテールは全く見えない。

この絵が当時の狩猟採集民が使用していたテントのようなものだったとすると、このフリルのようなものは何だろうか。植物の繊維を粗く編んだようなものを骨組みにかけていたのか、動物の皮をつなぎ合わせたものの端がこうした丸みのある形状だったのか。

 


天体写真用のカメラの改造は、デジタルカメラに内蔵されているカラーバランスを整えるための色調製フィルターを外して、より広いスペクトルをとらえられるようにするもので、数万円でやってもらえるのだという。最近、フランスのジャン=ロイク・ケレックらの研究者が広範囲なスペクトルの光を選択的に取り込んで撮影できる高価な装置でサハラの壁画を撮影し、とても大きな成果をあげて発表していた。英さんはそれほどコストのかからない天体写真用の改造でも効果があるだろうと考えて改造したのだ。
特に赤外撮影に効果があるので、赤い染料を使った壁画を撮るには有効なのではと、今回試されたのだが、はっきりと通常のカメラで撮ったものと違った結果が出た。
英さんは今年末このカメラでサハラの壁画を撮り直すのだが、結果が楽しみだ。

 

ガイドの爺さんはともかく客をおだてる。スマホで撮った写真を見て、「な〜んて素晴らしい写真なんだ!」とか、全く心のこもっていないお世辞を言うのだった。昔、日本でも観光地に行くとこういう感じの人がいたような気がする。絵の説明も、もうよく憶えていないがいろんなことを言ってた。この場所に入った仏教徒が「ここは瞑想に最適なすばらしい場所だ」と言ってたとか。余計な話が多いので、どうもすんなり頭に入ってこない。アンドラスは話をはやく終わらせようとして、「イエス、イエス」を連発していた。

洞窟を出ると、楽器を持った人たちが入口で待っている。一人はチベットで使われる金属製のお椀で、倍音が持続して鳴る「シンギング・ボウル」を持っていた。アコースティック楽器は洞窟内で反響して独特な響きになるのだろう。ガイドの爺さんが言ってた「仏教徒」というのは、彼らの中の誰かかもしれない。

なんにしても、代々親族で経営してきた洞窟で、「このコンクリートのスロープはおじさんが何日もかけて作った」「こっちの設備は別のおじさんが...」といった感じで、一族の苦労がしみ込んだ場所なのだ。きっとこの爺さんの跡とりも親族の中から出るんだろう。いつまでも良い環境で残ることを祈る。

 

これで本物の洞窟に入るのは最後。あとは明日、ラスコーのレプリカに入る。アンドラスのおかげでかなりの距離を圧縮して、効率良く見ることができた。

 

フランス・巨石遺跡&洞窟壁画紀行 10日目

この日は盛りだくさんの予定だ。

先ず、ペッシュ・メルルPech Merleの洞窟へ。ここは今回の旅でもっとも楽しみにしていた場所だ。ほとんどの絵は約29000年から28000年前、グラヴェット文化の時代のものとされている。約10000年前に入り口が崩れて埋まってしまったことで、状態が良いまま残っているらしい。

 

 

洞窟は細長い鍾乳石が無数に垂れていてとても美しい。
壁画の多くは黒い線画によるマンモス、バイソン、馬などの絵だが、奥にある二頭の斑点のある馬の絵が特にすばらしい。体の曲線が美しく、背中や腹の部分は線を太くし、ぼかしを入れることで丸みを強調している。馬の体の斑点はおそらくストロー状のもので吹きつけていてるのだろう。エッジがぼけている。
面白いのは右側の馬の頭が岩の形を使って表現されているらしきことだ。この絵は以前から写真で見ていたのだが、このことに全く気づかなかった。妙に頭の小さな馬だなと思っていたのだが...。右側が岩の形で馬の頭の輪郭としているのであれば、左の馬は?という疑問もあるが。DStretchにでもかけてみたら、顔の輪郭が出てくるかもしれないが、撮影はできないのでしかたない。
おそらく同じ人が描いたとみられる馬やアンテロープの絵が非公開のエリアに複数あるようだが、画像を見るといずれもお腹がかなり大きく膨れた状態に誇張されている。多産祈願のような意味を持っているのかもしれない。
二頭の馬は本当にほれぼれするような絵で、長く見ていたかったが、フランスのガイドは話が長いので、この場所が最後で時間が押してしまっていたようだ。ちょっと名残惜しかった。

天井に指先で柔らかい岩面を削ってつけた線刻画もある。一見抽象的なものに見えるが、女性が前かがみになっている形が入っていたりする。

写真撮影はできないので、洞窟内の写真は全て公式のものからの引用。

 


ペッシュ・メルルを出た後は、北西に約100キロ移動して、ルフィニャック洞窟Rouffignacへ。ここは民間が経営している。かなりの深さがあるので、ある程度奥まで電動のトロッコに乗っていく。別名「100のマンモスの洞窟」と呼ばれていて、刻画と絵画を合わせて269の動物画があるが、そのうちの168がマンモスの絵なのだという。旧石器時代のマンモスの壁画の3割がこの洞窟にあるというから、たいへんな割合だ。毛の長いサイ、ケサイの絵もある。絵はマドレーヌ文化中期、約13000年前頃のものとされている。マンモスやサイはこの頃は数がかなり減っていたはずだと思うのだが、どうなんだろうか。そうした大型動物が少なくなっていたからこそ、何か絵を描く動機に繋がったんだろうか。マンモスの絵は顔がちょっと漫画風でかわいい。

ここにもペッシュ・メルルの天井にあったような、指先で描いた刻画がある。波形のようなものが多いが、家のような形のテクティフォルムtectiformと呼ばれる形があり、これは他の洞窟でも見られるシンボルだ。狩猟採集民の移動型の家を示しているのか、意味はよくわかっていない。

撮影禁止なので、内部の写真は全て引用。

 


ルフィニャックを出て、再び南下、レ・ゼイジーLes Eyziesの町に。ここにはクロマニオン人という名前の元になったシェルターもあり、フランスの先史時代文化の中心地のような場所だ。国立先史時代博物館もある。崖沿いに立てられた古い屋敷を改造した建物だ。
先史時代博物館の入り口へと続く細い小路に「人間通り」のプレートがあり、笑ってしまった。ここはヨーロッパにおける現生人類の軌跡という意味では重要な場所だけれど、べつに人間が誕生した場所ではないでしょ...と、そう思ってから気づいたが、昔は世界のいろんな人種はそれぞれの場所で個別に誕生したのだと考えられていた。進化論が定着した後も、それぞれの場所の原人から進化したのだと。アフリカ単一起源説は存在してなかったのだ。つまり、我々ホモ・サピエンスであるヨーロッパ人が誕生した場所、という意味なのだ。他の人種は違う同じ種ではないと。感じわるいぞ。

先史時代博物館の所蔵品で最も重要なものの一つがふり返って自分を舐めるバイソンの彫刻だ。投槍器の端につけていたものと考えられている。こういう持ち歩く道具などに付随する芸術品を「動産美術」と呼ぶということを最近知った。

ルフィニャックの洞窟の壁面にモコモコした石の固まりがたくさんあったが、それはフリント塊だった。この博物館にもいくつかフリントのサンプルが展示されていた。

 

 

館内には博物館が開設された当初の展示室とキャビネットも置かれていた。

 

 

展示室の最上階に上がると、若い男女がなにやら言い合いをしている。結構大きな声で。何もあんたらこんな場所でやらんでも...。なんだろう、「あなたがここに来たいって言ったんじゃない。私はとくに来たいわけじゃなかった」「そんなこと今言う? 来たくないならそう言えばよかったじゃないか」みたいなのか?と思っていたら、他の客が苦笑いしながら、「演劇の練習らしいよ」と。ここで?

屋上からは町が見渡せるいい眺めが。「先史時代の人間」と題したPaul Dardéの彫刻がある。なんかちょっと猿人ぽい。

 

 

すぐ近くにクロマニオン人の遺骨がみつかった「クロマニオン」のシェルターがあり、それを見学しようかどうしようかという話に。英さんは一度行っていて、何も残ってないシェルターに人形が置いてあるだけでつまらないよと。私とマグディは行ってみたかったが、それなりに時間が遅くなってたので、じゃあ、明日でも寄りますかと。アンドラスが「いいのね、今日じゃなくて」と言って、宿に。

スーパーに買い出しに行った。洋梨があったので、一度フランスで洋梨を食べてもいいかなと一つ買ってみたが、硬くて甘味もあまり無いことに驚いた。熟れてないだけか?

 

 

フランス・巨石遺跡&洞窟壁画紀行 9日目

この日は東へ移動し、ピレネー山脈のふもとにあるニオー洞窟の壁画を見ることになっていたが、午後3時からなので時間がある。それまでどうしようとなって、アンドラ公国に入ってみようかとアンドラスが。
アンドラ? 
名前は聞いたことあったような気もするが、ピレネー山脈の上、フランスとスペインに挟まれて、小さな独立国があるのを知らなかった。入国手続きも一切不要ということで、行ってみることに。
アンドラはロマネスク教会がいくつもあり、そのうち2つは太い通りに近く、容易に見られそうだったので、行ってみようとなった。山の上に向かってどんどん上がっていく。アンドラは消費税が無いので、買い物に行く人も多いのだそうだ。

領内に入ると大きなホテルやショップがたくさん並んでいる。スキー・リゾートなのだ。が、今はシーズンではないので、みんな閉まっている。空いている店が本当に少なく静まり返っていて、妙な雰囲気だった。

目当てのロマネスク教会のひとつSant Joan de Casellesk教会に。ごくごく小さな教会だった。外壁にロマネスクらしい彫刻などあるかなと思ったのだが、そんな感じではなく、土壁と石積みの本当に素朴な建築だった。

中に入ると壁画の修復作業中だった。足場に隠れてよくわからなかったが、古い漆喰のキリスト像フレスコ画があったようで、これはタイミング悪かった。

 


 

アンドラは距離的には近いのだが、上がっていく道がカーブが多く、二つ目の教会を見にさらに奥まで行くのは止めた方がいいなということに。開いているビストロがあったのでそこでカタルーニャのビールを飲んで山を下ることに。

 

 

ビール三人前とコーヒーで10ユーロもしなかったぞ、安い!とアンドラス。壁には小さな黒板があり、「ビールの聖人さま、私の口をとおして道をお示しください」というような一節が。後で調べたが、これはウィスキーに呼びかける詩をもじったもののようだ

 

 

慌ただしかったが、小国に入るという珍しい体験ができてよかった。雪山を望む風景もよかった。

 

ニオー洞窟に着くと、小学生の一行が。洞窟の入り口もかなり大きい。ここはそれぞれに電灯が渡されて、足下を照らしながら歩くようになっている。床がツルツルしているところもあるので。

ニオー洞窟の壁画は黒い線画が多く、マドレーヌ文化(17000年〜11000年前)の時代のものだ。ニオーを含むアリエージュ県はマドレーヌ文化の時代の壁画のある洞窟が17もある。壁画はバイソン、アイベックス、馬、牡鹿などで、マンモスやサイは描かれていない。このエリアにはもういなかったのかもしれない。

ニオーの洞窟はかなり深く、途中枝分かれしている。ツアーは1時間40分に設定されていて、かなりじっくり見ることができるが、床に線刻画がある場所などは立ち入りできない。床がソフトで、足跡がたくさん残っているエリアもあるが、そこも見ることはできなかった。足型の中には8-10歳くらいの三人の子どものものもあるという。一番新しいものは7000年前くらいのものだというから、かなり後になっても中に入ってくる人はいたのだろう。子どものものは一種の探検のようなものだったかもしれない。

入り口を入ってすぐ、指先でこすってつけたような模様のある石のも印象的だった。奥には珍しいイタチの線画もあるのだが、これも見られなかった。

ツアーは全員のランプを消させて、ガイドが昔のランプを模した光で見せる場面もある。

写真撮影はできないので、洞窟内の写真は全てウェブサイトからの引用。

 


 

ニオーを出て、ずっと250キロ以上北上してカオールの町に泊まる。アンドラにも入ったし、さぞ運転は疲れただろうと思ったが、全然、と。

フランス・巨石遺跡&洞窟壁画紀行 8日目

朝食は割高だろうということで、宿は朝食なしで予約していた。部屋で持参したもの(Soy Joyとか...)や買ったパンなどを食べるのだが、アンドラス夫妻は朝食は普段もほとんどとらないと。そして、二人は昼ご飯も食べない。どうなってるんだろうか。ずっと移動しているので、私と英さんは車内で何かしら食べるのだが、英さんは飲んでいる薬のせいで食欲が抑えられているため、あまり空腹感がないと。お腹が空くのは私一人なのだった。

いつも飲んでいるフレンチ・ローストの豆をひいたものを持ってきていたが、部屋に湯沸かし器がついてない。英さんが小型の電気湯沸かし器を持ってきていた。お湯を拝借してコーヒーを飲む。これは便利だ。自分で湯沸かし器を持参するという発想がなかった。私も買おうかしら。

 

宿を出て、城塞都市カルカッソンヌを見に。アンドラスは以前見たことがあるようで止めておくと。

ローマ時代の壁も一部残っているようだが、現存する城壁、城、聖堂などの主な建造物は11-14世紀のものらしい。南仏で最も有名な観光地だが、小雨が降っていたことも影響してか、それほど混んではいなかった。城へ向かう細い小路に信号がついていたので、混むときは一方通行にしないとどうにもならないのだろう。

聖堂へ。ロマネスクとゴシックが融合した形とのことだ。講壇に上がる階段の側面に大理石のパネルが埋められていると思いきや、絵だった。

 

 

南仏に行って洞窟の中しか見てないの? と言われそうだったが、これで一応有名な観光地も訪れたことになる。

 

西へ移動してガルガス洞窟へ。

この洞窟は数多くの手形、ネガティブ・ハンドがあることで知られている。全部で231、男女両方、子どもの手形も含まれている。特徴的なのは半数の手形に指の欠損らしきものが見られることだ。これは儀礼的な切断か何かによるものではないかとも言われていたが、短い指が全て折り曲げられる第二間接のところから先がないことから、実際に指の先が無いのではなく、折り曲げて手形をつけたのだろうという見方が主流だ。欠損だとしたら、第一関節から先が無いものがもっとあってもいいはずだが、そうではないので。ル=ロワ=グーランはこれを狩猟の際に使う指のサインと考えた。帰属する氏族のサインではないかという見方もある。このように指を曲げて手形を付けるというのは、オーストラリアなどでも多く見られる。インドネシアスラウェシ島では指を浮かして少し動かして、指を細く見せた手形が多い。いずれも何らかの意味をもっているか、遊びの要素もあったのではないかと思う。第二関節を曲げて手形を付けると、少し壁面から浮く形になるので、輪郭がぼけるのではないかと思うが、手の甲を壁面につけるという方法もあるだろう。
鮮やかなオーカーの赤い色とマンガンの粉の黒い色の手形が混じり合っている。シンプルな黒い線画の動物画もある。

手形のある壁面の亀裂などに貝殻などが埋め込まれていて、これを測定したところ、2700年前頃という測定値が出たという。オーリニャック文化末期からグラヴェット文化初期のものではないかと。

鍾乳洞としても造形の美しさのある洞窟だった。

洞窟内部は写真撮影禁止なので、内部の写真は全てオフィシャルなものから引用している。

 

 

この日はさらに西に移動して、宿はサン・ゴーダンスの町だったが、宿のすぐ隣にマクドナルドがある。英さんがGoogle Mapで見ると、評価が極端に低く「フランスで一番ひどい」「店員の態度が最悪」などのレビューが満載だった。そんなにひどいマクドナルドってのはどんなもんなのか、二人で行ってみることにした。

フランスのマクドナルドはビールが飲めると英さんが言うのでメニューを見てみると、たしかにある。ビッグMacのセットにハイネケンをつけたものを注文。店員も妙に愛想がいいし、出てきたものもそんなにひどいとも思えない。パリのルーブルの横で食べたものと特に変わらないように思う。ただ、パリで食べたものもそうだったが、ソースが日本のものより多くてちょっとべちゃべちゃしているとは言える。

 

 

フランス・巨石遺跡&洞窟壁画紀行 7日目

朝早く発って南西のVallon-Pont-d'Arc近くにあるショーヴェ洞窟のレプリカ、ショーヴェ2に。

ショーヴェ洞窟の壁画は1994年、洞窟学者のショーヴェら3人が発見した。犬が穴に落ち込むことで偶然みつけたラスコーなどと違って、石灰岩の山の上で洞窟探査をしていて、下から風が出ている場所をみつけ、内部に降りていく形で壁画を見つけたのだという。ちょうどこの岩山の中に洞窟がある。

 

 

洞窟のなかにはライオンやサイ、馬、牛、マンモスなど、14種の動物を卓越した描写力で描いた壁画があり、発見は世界を驚かせた。絵の多くは黒を基調にしたものだが、独特なぼかしで濃淡をつけていてる。ライオンのグループ、数頭の馬など、動物の上半身だけが重ねて描かれているものも多いが、配置・構図の妙によって、動きが生き生きと表現されている。しかも年代測定の結果、大部分が32000年前前まで遡る、オーリニャック文化の時期に属することがわかったのだ。その後、初期のものは36000年前まで遡るとする分析結果が出ていて、ショーヴェ2の入り口にもこの年代が記載されていた。

見学者を大勢入れたことで劣化が進んだラスコーの轍を踏まないようにと、ショーヴェは最初から一般公開されることはなかった。代わりにリアルに洞窟内を再現したショーヴェ2が作られて、2015年に公開された。

 

 

ショーヴェ2は元の洞窟を3Dスキャンしたデータを元に再現されていて、コースは250m強、見学は小グループごとに、音声ガイドのヘッドホンを付けて約1時間回る。
中に一歩入ると、とてもレプリカとは思えない、本当に洞窟に入っていると感じられる臨場感がある。壁面に細かくついた方解石の結晶、床を覆う細かい砂粒など、全てがリアルで、複製画も本当に良くできている。照明も最小限に抑えられていて、しかも絵が描かれた時代に使われていただろうランプの光を模した、ゆれる光で見るとどうなるかなどの演出もある。ちょっと残念だったのはフランス語のガイドと音声ガイドの説明の順番が微妙にズレていて、フランス語のガイドが光を当てながら説明しているとき、音声ガイドは同じ場所の別の絵の説明などしていて、そこにはきちんと光があたらなかったりしたことだが、他は期待以上の体験だった。他の皆もとても良かったと。

内部は撮影禁止なので、以下の写真はオフィシャルサイトからの引用。一番上のサイの角のダブり具合など、まるで未来派のような表現だ。こんな、とんでもなく斬新で上手な絵を描く人が突然現れて、しかもこの洞窟だけにしか絵を描いていないというのが本当に不思議だ。

 

 

ショーヴェ2併設のギャラリーには当時このエリアに棲んでいて絵のモチーフになったマンモス、サイ、バイソン、メガロケロスなどの動物の精巧なレプリカが置いてある。みな毛がふさふさで大きい。これらを見ると、大きな動物に対する怖れと畏敬の念というものが納得できる。

 

 

ショーヴェ洞窟(本物の)はアルデーシュ川に面した岩山の中にあるが、すぐ近くにポン・ダルク(アーチ状の橋)と呼ばれる自然の岩の橋がある。この岩は壁画の時代からあったのではないかと考えられているようだ。アーチの穴はもう少し小さかったかもしれないが。

 

 

さらに南下してアヴィニョンの町の西、ガルドン川にかかるローマ時代の巨大な水道橋ポン・デュ・ガールに寄る。現存するローマの水道橋の中で最も高さのあるものだという。保存状態もいい。それにしても、ローマの土木工事力よ。

橋とその周りの石組みは修復が繰り返されたのだと思うが、18世紀の石工たちによる刻印が多く残っていた。名前、年号といっしょにハンマーなどの絵が彫られているのが面白い。

 

 

この日はさらに西に移動してカルカソンヌに泊まる。宿泊は全てアンドラスが予約してくれたibisというチェーン展開の格安ホテルだが、部屋も広めで悪くない。