タジェラヒン壁画撮影行 その0

本日夜から、アルジェリア南部、タッシリのタジェラヒン台地に壁画の撮影に行く。今回は何度か参加したアンドラシュ・ズボレイのツアーではなく、デコート豊崎アリサさんが主催する、「エリキ・ツアー」で、日本人のみのグループだ。何度か壁画撮影行でご一緒した英隆行さんがツアー・コンダクターになって、タジェラヒンに残るイヘーレン様式の有名なパネルを見る。期間も現地で約一週間という短いものだ。

イヘーレン様式の絵はかなり不鮮明になっているので、肉眼ではほとんど見えない部分も多いようだが、サハラの壁画を代表する絵のひとつだし、ここに行くツアーはほとんど無いのでこの機会に参加することにした。

カザフスタン・キルギス壁画撮影行 その12

キルギスから再びカザフスタンに戻る日が来た。

両国を行き来することになったのは、アルマトイ着発の方がキルギスから帰国するよりずっと航空券が安かったからだ。移動で一日潰れるがしかたない。

一日5便は往路と同じ(あたりまえ)。今度はバスの冷房もきいているかと思いきや、やはりダメだった。どうもこれは壊れているというより、節約のために動かしていない感じがする。

ビシュケクБишкек、アルマトイАлматыと、なんとなくキリル文字わからなくてもこれだなと同定できる文字列なので、バスの切符売り場や乗り場は間違えにくい。帰りのバスも満車だった。

 

 

カザフスタン再入国に際してはイミグレーションでパスポートのスタンプと別に書類に判を押してもらって、入国した後別の場所でもうひとつ押してもらわないといけないというようなブログを複数見たが、今はそういうことも無いようで、行きも帰りもごく普通の入国手続きだった。

アルマトイに比較的早めの時間に着いたが、外に出る気力はなく、宿で寝る。なかなか風邪が治らない。翌日は夜10時のフライトなので日中フルに使える。市内で音楽博物館や市場を見て歩こうかとも思ったが、もういちどタンバリに行くことにした。足場が不安定なのでここは入らないと言われたエリアにかなり重要な絵があることを後で知ったのだ。前回はガイドがいたので勝手に入るわけにもいかなかったが、一人で行けば問題無いだろう。それと、もう少し良い写真が撮れるか試みたかったのだ。

初日にガイドをしてくれたラクマンに連絡して、誰か空いているドライバーにタンバリに行ってもらって夜空港まで送ってもらいたいと相談。結局初日に運転してくれた人が来ることに。

タンバリに行く前にショッピングモールの薬局に寄ってもらい、Google翻訳で解熱剤と抗菌剤を買う。ひとつはロシア製、もうひとつはイギリスの会社の薬だった。薬はそれほど高くない。買った後、どっちがどっちだったかわからなくなってしまい、Google翻訳にかけてみたが、どうもよくわからず、「怪物」って出る方が抗菌剤に違いないと判断。間違ってはいなかったようだ。

それにしても風邪が治らず。咳が結構でるので、運転手に悪いなとは思ったが仕方ない。こちらはカザフスタンの風邪に慣れてないが、本国の人にとってはおなじみだろう。

 

 

この日はずっと私以外誰もいなかった。静かでいい場所だ。やはり前回見られなかった所にかなりいい絵があったので、無理してきてよかった。キルギスの絵も見て戻ってきてあらためて感じたが、タンバリの絵は上手い。

2時間くらい滞在して入口の事務所に戻ると、随分人がいる。

憶えてる?俺だよ、いっしょに写真を撮った、と、おじさんが。博物館の人だった。彼の男の子も来ている。彼らを博物館まで送っていくことになった。男の子にレモン味の咽飴をあげると、すごく嬉しそうにしていたが、口に入れてこっそりとすぐに出した。ちょっとした苦味が馴染めなかったんだろう。

空港に行き、仁川トランジットで帰国。

これほど海外で調子悪くなるのは初めてだ。だが、昨年末のタッシリでも風邪をうつされて3、4日調子悪くなったので、全体に体力が落ちているのかもしれない。

帰国後もこの風邪がなかなか抜けずに苦労した。妻にもうつしてしまって、彼女はそれが引き金になって帯状疱疹まで発症してしまった。医者にも行ったが、普通の風邪のウィルスであったと思われ、どうしてそこまで治りにくかったのか不思議だったが、東京病院の医者に、外国の風邪ウィルスは日本のとちょっと違うものがあるから、そういうのにかかると治りにくいんですよと。なるほど。

今回の失敗はやはりメインの山登りの前にカザフスタンで無理に長時間のツアーを入れて、後ろに座っていた人に風邪をうつされたことだ。大事をとってサイマル・タシュ行きの前はいろいろ予定を入れ過ぎない方がいいかなとも思ったのだが。

カザフスタン・キルギス壁画撮影行 その11

あいかわらず全く食欲がなかったが、食べないと回復しないだろうから、なんとか朝食をとり、薬局に連れていってもらった。ノドにスプレーする薬を購入。あまり効きそうになかったが。

 

 

延々と車を走らせ、夕方6時過ぎにビシュケクの宿に着き、エリカとイスラムと別れた。この二人はとても温厚で人がよかった。特にエリカはいつもニコニコしていて、こちらがしんどいときに随分助けられた。彼女は大学の建築科を出たばかりで、設計の仕事だけではやっていけないので時々英語ガイドもするのだと。食堂でめん類を食べたときに、「日本人はこういうのを食べるときいろいろと作法があるんでしょ?」というから、なんでそんなこと言うのかと思ったら、伊丹十三の『タンポポ』のファンだと。例の「先ずスープを一口...」みたいなやつが本当だと思ってるんだろうか。あれはさ、ラーメン屋の話をアメリカの西部劇みたいにした話だからと言うと、一応わかってると。

彼女はどこか70年代の日本の若い女の子のような印象だった。かぶってた帽子もちょっとチューリップハットみたいだったし。全体の印象がそんな感じだったのだ。カザフスタンの都会の若い子はちょっと化粧や着ているものも違った。どこか韓国女優のような感じ。

イスラムも日本でみかけるような顔だ。漠然とだが、関西に多そうな顔、という印象があった。

 

 

そういえば、今回頼んだ旅行会社はfacebookで見たドイツ人研究者から紹介してもらった。エリカの話では基本、ロシア人の旅行客の案内は断っていると。キルギスでロシア人を断っていたら客が少ないような気がするが、彼女の話では、代表がロシア人はどこかソ連時代の気分が抜けず、キルギスを属国のような感じで思っている人が多く、接し方もキルギス人を下に見るような態度があっていやなのだと。実際どうなのかわからないが、きっとかなりいやな経験をしたのだろう。

 

ビシュケクに着いた最初の日は、少し歩いたところにある食堂でビーフ・ストロガノフを食べたが、そんな元気はなかった。隣にパン屋があったから、そこで何かひとつ買って食べようと。

パン屋で「どっからきたの?」と聞かれたので、「日本だよ」というと、おー、エンドウ、ナカタ...と20年くらい前の日本代表のサッカー選手の名を連呼した。「俺はウズベキスタン人なんだ」というから、「そういえば、ウズベキスタンのチームは強かったね」と適当に言ったらとても喜んでいた。カザフスタンキルギスというと、サッカーよりも柔道とかレスリングというイメージだ。

 

カザフスタン・キルギス壁画撮影行 その10

かなりの時間寝たが、やっぱり具合がよくならない。高山病の症状が出ると、一度は高度を下げなくては治らないというのは本当のようだ。それにしても3100メートルでこんなになるとは。風邪も思った以上にやっかいだった。

馬が来る昼頃まで、再び撮影に出る。昨日光線のかげんでうまく見えなかったものも時間が異なるとくっきり見えるものがある。

馬が来た。前髪にネギ坊主やアザミなど、ひっつき系の植物の実がついていて、なんだか飾りのようになっているのが面白い。このへんは細いネギの仲間がたくさん生えているが、まさかネギ坊主がひっつき系の木の実だとは思わなかった。

 

 

馬での下りは衝撃が腰に響いてけっこう疲れる。また、馬使いの彼がサービスだと思うが、少し早くしてみようかと、小走りになるくらいのスピードを要求するので、調子悪い私にはそれなりにしんどかった。が、登山口まで降りてしまうと、足に力が入らない症状は確実におさまってきた。もう少し体調の良いときにきて、この環境を満喫したかったが、仕方ない。これもまた3000メートル級の山の上の壁画群という特殊な環境ならではだ。

登山口まで降り、荷台に馬を乗せて馬使いの彼は帰っていった。

 

 

カザルマンの町まで降りると、エリカが医者に寄っていこうと。え?医者? いくらかかるんだろう...。でもまぁ、風邪もよくなってないし、薬でも出してもらおうか。

症状を説明してもらって、点滴をうった。体力が落ちていたのでおそらく栄養剤だろう。がっちり太ったおばちゃんの看護婦に「ほら、動くと点滴の液が落ちていかなくなるから。動かない!」と叱られる。

結局医者は点滴を処方しただけで、風邪の薬は出してくれなかった。

当初の予定ではこの日の夜もキャンプして翌日山から降りてそのままビシュケクまで戻るというかなりハードなスケジュールだったが、イスラムの宿に戻ってゆっくり休んだ。

カザフスタン・キルギス壁画撮影行 その9

やはり明け方はかなり冷え込んだ。防寒ズボンを履いて寝袋に入ったが、それでも少し寒い。一晩寝て少しは調子も良くなるかと思ったが、そうはいかず。足に力が入らないので、テントから出るのも簡単じゃない。それと、風邪のせいもあってか、食欲が全くないし、のどを通らないような感じがある。エリカには悪いが用意してくれたものをほとんど食べられなかった。

 

 

ただ、せっかく来てただ寝ていても仕方ないので、なんとか撮影に出る。トレッキング用のポールを持ってきててよかった。ほとんど倒れないための杖として。

イスラムがどこに面白い絵があるか熟知しているので、効率よく案内してくれた。それにしても、山の上は岩塊でいっぱいだ。多くが表面が黒く焼けているので、絵がはっきり見える。

ここの絵はイシク・クル湖近くのものと似ているものもあるが、あきらかにスキタイ的な様式というのは見当たらなかった。山羊の絵が多い。角が極端に強調されて、高く延びているもの、後ろに大きくカーブしているものなど。最もこの場所に特徴的なのは長く延びた波線だ。何を意味しているのかわからないが、カザフスタンでも、イシク・クル湖周辺でも見た憶えがない。

 

 

山の上は場所によってはほんの少し雪も残っていた。ここは夏の1ヵ月半くらいしか滞在できない場所だ。それは昔もかわらない。放牧や交通のルート上にあった場所ではない。どういう意識でここに来て絵を残していったのだろう。牛に写真のついた道具(乗り物ではないと思う)を牽かせている絵もある。

カザフスタンで見た太陽神と同じキャラクターとみえるものもある。様式はもう少し簡素だが、ほぼ間違い無いだろう。

頭の上に大きなかさ状の形があるものがあり、エリカがこれはキノコ戦士の絵だと。マジックマッシュルームをきめて戦っていた戦士たちの絵なのだと。

 

 

岩はまだ延々と上まで続いているし、少し離れた場所には小さな湖も見える。元気だったらそこにも行ってみたかったが、いかんせん少し歩いて写真をとっては休み、また少し移動しては休み、きつくなったらその場にひっくりかえって横になる、という調子だったので、遠くまで行く気力がわかなかった。

テントに戻って休んでいると、エリカが隣の考古学チームに相談して、血圧計を持っている人を呼んできた。

血圧は問題無いな....と。風邪と高山病のダブルパンチなのだということは自分でもわかっていた。ただ、とにかく疲労感がはんぱないのだ。

エリカが明日の夜はここに泊まらずにもう下山した方がいいと言う。たしかに馬に乗れなくなったり、馬から落ちたりするような具合になっては大変ではあるし、たいへんな迷惑をかける可能性もある。ペトログリフもかなり撮影して、出発前にこれは見てみたいと思ったものもおそらくだいたいカバーしている。彼女の意見に従って下山しよう。

それにしても、夜用を足しに少し離れた草むらまで行って、尻を拭いた後、立てないのだから情けない。あやうく後ろに倒れるところを必死でこらえて前に倒れ、最悪の事態は避けられた。酸素が薄いというのはたいへんなことなのだ。

 

 

カザフスタン・キルギス壁画撮影行 その8

荷物から三日間のキャンプに必要なものだけバッグから出し、少し小さなバッグに移す。テントはこちらで用意してくれるというので寝袋だけ持ってきた。山の上は夏でも零度近くなるようなので、ちょっと私の寝袋だと心もとなく、防寒用のズボンも持参している。

 

 

登山口で車を降りて、馬を待った。以前は登山口付近に遊牧民がキャンプしていたようだが、彼らのルートが遠くなってしまったので馬を借りるのが大変になってきているという。私は是非馬に乗りたいとリクエストしていた。

トラックがやってきて荷台から四頭の馬を下ろした。やっぱり馬は大きい。コロンビアのサン・アグスティンで馬に乗ったが、あのときはそれほど起伏はなかった。その後、バハ・カリフォルニアでラバに乗って斜面を上がったが、ラバと比べたら高さが違う。

 

 

先頭を馬使いの男性が歩き、私はその後で彼にもロープを持ってもらって進んだ。たいした深さではないが、川も渡った。きわめてゆっくりなので馬に乗ること自体は問題なかったが、途中かなり急な斜面を上り下りするときは結構スリリングだった。バランスを崩したら谷底に落ちてしまうような所もある。

何度か馬が斜面を登るのを拒み、馬使いの彼は枝で鞭打ったり石を尻にぶつけたり、結構手荒に扱いながら行くのだが、一ヶ所どうにも難しいところがあり、そこは降りて歩くことに。ここで体調が普通でないことに気づいた。足に力が入らず、ほんの少し上がるだけで息が上がるのだ。3000メートルちょっとだからそんなに心配してなかったし、念のために高山病予防の薬も飲んだのだが。

1時間半くらいかけてペトログリフのある場所に着いた。テントを立て、少し休んだが、やはり調子が悪い。ちょっと歩いただけで息がきれる。この日は少しだけ写真を撮って翌日から本格的に撮影することにした。

山の上には先客がたくさんいる。考古学調査の大きなチームが来ていた。そのうち、年かさの女性が「許可はとったの?」と。宿泊して撮影するには許可が必要だというのだが、エリカもイスラムも「そんな話きいたことない」と。それ以上何か言ってくる感じでもなかったのでそのまま予定通り滞在することにした。

 

 

カザフスタン・キルギス壁画撮影行 その7

すっきりと晴れた。だが、風邪の調子が思わしくない。

この日は翌日からのサイマル・タシュ行きのため、麓の町カザルマンに向かう。かなりの距離だ。

イシク・クル湖畔に遊牧民のユルトや彼らの道具を展示した私設の博物館があるから見ていこうと寄るが、閉まっていて呼んでも誰も出てこなかった。

 

 

馬の乳クムスを売る店があったので寄る。遊牧民が皮の入れ物に入れて飲んでいたやつだ。軽く一杯飲んだ。牛乳と比べたら本当に薄く、酸味のある乳だ。エリカが旅行者はお腹をこわす人もいると、飲んだあとで言う。エリカは大きなペットボトルに入れてもらっていた。これはまだ若いから、しばらくこうして持ち歩いて揺れると味がよくなるのだと。

 

 

キルギスの墓地をいくつも通り過ぎる。大きなものは石造りの家といった感じの立派なもので、簡素なものは土を軽く盛っただけのものだ。定期的にお墓参りをするような文化はないとのことだった。移動しながら暮らしていた人たちだ。特定の土地に強く結びつく感覚は薄いのだろう。

ユルトもあるが、トレーラーのようなものに住んでいる人も多い。

 

 

イシク・クル湖南岸は道路の拡張だか補修だかの工事のために対面交通できなくなっている場所、う回しないといけない場所が結構あった。もう何年も工事しているけれど全然進まないのだと。最初に大規模に舗装を剝がしてしまっていて、そのまま放置されているところが多い。どうしてちょっとずるやろうとしないんだろう、とエリカ。

途中警察が多く出ていて車を停め、道路から出よと指示される。「要人」の車列が通るからと。

イシク・クル湖の南岸は工事中のエリアが多く、なかなか進まなかったが、山に上がっていく道は整備されていて、見たところ数年くらいしか経っていないような感じだった。

 

 

カザルマンの宿はイスラムの実家だった。彼の名前のついたゲストハウスになっているのだ。客室の大きな、立派な建物だった。

明日はいよいよサイマル・タシュに上がる。なんとか風邪が治ってくれるといいのだが。