アルジェリア、タッシリ・ナジェール岩絵撮影行・その11(最終日)

現地滞在10日以上という、私にとって最近では長めの旅行もこの日で最後。海外に自分でテントを持っていくのも、1週間以上キャンプするのも初めてで、新鮮な経験だったが、あっという間だった。
昨夜は久しぶりにシャワーも浴びて、すっきりして寝た。砂漠は乾燥していて、しかも気温も低かったので汗をほとんどかかず、さほど不快ではなかったが、やはり髪の毛など、全体がごわごわしてくるので、レナータも「うわーって、かきむしりたくなるわね」と言っていたがまさに。
私にとってこの日は最終日だが、ドイツの女性2人はあと5日ある。男性陣はその後12日間のトレッキングに出る。トレッキングは車で行ける所まで行き、一日歩いて車まで戻るということの繰り返しのようだ。要するに車で行けない場所に徒歩で行き、岩絵のサイトを見て歩くもので、これを12日間続けるのは結構な体力が必要だろう。ロバートはおそらく70歳ほどなので、かなり体力に自信があるのだろう。今の私にはちょっとしんどいかもしれないが、試してみたくはある。

今日はジャーネットの北に向かう。
厚い砂岩の層が連なるエリアはこの近辺で最古の地層だという。カンブリア紀後期だという。Tadrartの岩とちょっと印象が違って重厚。



先ず、Aït Talawatenというサイトに行く。岩場の中にシェルターというよりも大きな岩の隙間のような空間があり、素晴らしい絵があった。Round Headと呼ばれるタッシリでは最も古い部類の絵とされる、名前の通り頭の丸い人物のシルエットと動物の絵だ。シンプルだがフォルムが実に洗練されている。
丸まげをゆっているような形の人物もいる。頭に長い房飾りのようなものを付けている人もいる。そして、牛の絵がない。牛がこのエリアに持ち込まれる前なのだ。オリックスやガゼル、バーバリーシープのように見える動物ばかりだ。キリン、ゾウ、ライオンなども見当たらない。







頭に角のついた人物像も多く見られる。仮面を付けた祭りなどの場面だろうか、それともシャーマンだろうか。もしかすると動物霊に憑依された状態を示してるのか。角のついた人物はどれも子どものような体形にも見える。





撮影時にはわからなかったが、獣の頭をした人物像も。ヘルメット型仮面だろうか。どこかコートジボワールに住んでいるセヌフォ族の仮面に似ている。見どころのとても多いサイトだった。



この後、ゲルタ(水場)に寄る。ゲルタの周囲にはジャスミンのような良い香りの白い花がたくさん咲いていて、ハチ、チョウ、そして赤いトンボがいた。サハラでトンボを見るとは思わなかった。生き物を見るとちょっとほっとする(ハエは別!)。




私にとって最後のガサガサの昼食をとるが、アブドゥラがみんなに野菜のたっぷりはいったピラフをふるまってくれた。圧力鍋で作ったものだ。ずっと旨そうなものを食べてるなと思いつつ見ていたが、かなり薄味だった。コーラや砂糖のたっぷり入ったお茶を飲むので、料理も濃い味付けかと思いきや、ちょっと意外だった。
再び道路に戻ってジャネットの空港に近いサイトへ。ゴミが大量に捨てられている場所を通る。
この旅で、結局野生動物はほとんど見られなかったが、岩の隙間を走るハイラックスの親子を見た。これでも象の親戚なのだ。



旅の最後に見たのは岩山に彫られたあまりにも見事な牛の彫り物だった。Terarartの「泣く牛」と呼ばれているものだが、これまでに見た岩の彫り物とは洗練の度合いもテクニックもレベルが違う。牛の目の下にある窪みが涙のように見えるというので、この名がついている。これはいつごろのものなのだろう。上手い。あまりに上手すぎる。右端の牛の体には模様が彫り込まれているが、この模様がとてもナチュラルというか、岩肌に馴染む感じで無理なく彫られているという印象だ。他の牛にここまで深い模様が刻まれていないことを考えると、もしかすると、これは元々岩肌についていた窪みで、これが彫る者に「牛の姿」を見せたのかもしれない、と考えてみた。







これで今回の旅は終わり。ジャネットの宿泊所に戻り、フランス人の団体と一緒に夕食をとって、部屋で仮眠し、空港に深夜に向かう。
怪我した足もだんだんと良くなっていたレナータとお別れすると、「クゥローシしないように気をつけてね」と。過労死のことなのだった。エレーナは毎年エジプト南部の砂漠に深く入っていくツアーを主催しているので、こんど計画するときは教えてと言うと、「来る気あるの? いいわよ。」と言ったあと、「食事はこのツアーよりずっと美味しいから」と小声で。レナータも笑っていた。

ジャーネットの空港を出るときもカードに「旅の目的」やら「滞在先」やら書き込まねばならなかった。ここまで手続きが多い国は初めてだ。
私と入れ替わりでアンドラスの奥さんがジャーネットに着いたのだが、挨拶はできずに入れ違いで飛行機に。
アルジェの空港で半日時間をつぶして帰路についた。
次回は是非、タッシリ・ナジェールの中心、台地に行ってみたいと思う。

アルジェリア、タッシリ・ナジェール岩絵撮影行・その10

キャンプを出て、舗装道路に戻る。1週間滞在したTadrartから離れることになった。
道路に戻ったが、初日にキャンプしたTin Aressouの15キロほど東で再びオフロードに入り、南へ向かう。Tadrartは奇岩地帯だったが、この付近には限りなく平坦な風景がある。



先ず、Tin Akahamaというサイトに向かう。ここは当初の日程には含まれていなかったため、行くことは現地の代理店と少し議論になったようだ。役所に提出してある予定表から外れて行動することは禁じられているからだ。ただ、今回はこの後向かう場所とさほど離れていないため、問題無いだろうということになった。
Tin Akahamaはやはり古い記録からアンドラスがサイトを探している場所だ。非常にざっくりした報告しかなかったようだが、Google Earthで地形を見て、ここに違いないというあたりをつけて来ていた。それがドンピシャで当たったのだからすごいなと思ったが、絵のあるシェルターは雨風をしのぐに適した場所が多く、長い間、ここを通過する様々な人々が使ってきた。目印の意味もあるのか、シェルターの周囲に岩を円形などに配置した場所も多い。解像度が高いGoogle Earthで、この円形に配置した岩が見えたのだという。すごい時代だ。サイトは枯川をはさんで二つあった。最初に入った大きなシェルターは周囲に大きく円形に配した岩がある。絵は多くなく、比較的素朴なものだが、キリン、牛、弓をもった狩人たち、そして頭に触覚のようなものが付いている、不思議な人物像など。この触覚のようなアンテナのようなものがついた人物は他でも見かけたが、何だろう。「古代の宇宙人」好きが大きく反応しそうなモチーフだが。





もうひとつのサイトはすぐ近くで、あまり状態の良いものがない様子だったが、アブドゥラが丸い穴の窪みの奥の方に人物像が描かれているのを発見した。彼は客たちがサイトで写真を撮ったりしている間に付近をあちこち探索しているのだ。この穴の中の絵はおそらく新発見だろうとアンドラスが。




この後、Tin Hanakatenというサイトへ向かう。ここは1974年に発掘調査が行われた場所だ。それ以来、誰も訪れていない可能性が高いということだった。タッシリできちんとした発掘調査が行われたのは、この場所を含む二ヶ所しかないという。
ラクダが描かれているので、それほど古いものではないようだが、家を示す丸いマーク、戦車と見えるものなど、状態の良い絵が残っている。





この発掘が行われたシェルターのすぐ近くにもう一つ、絵のあるシェルターがあった。ここにあった絵がちょっと驚きだった。アフロヘアの人物が複数、牛の周囲に描かれている。髪形もさることながら、人物のポーズのちょっと大げさな表現の仕方がなんともモダンというかポップというか、60年代末-70年代初頭のソウルのレコードに使われるイラストのようで、とても数千年経過した絵には見えないのだ。髪形は明らかにチリチリであることが強調されている。これは本当に千年、二千年というような時間が経過した古い絵なのかとアンドラスに尋ねると、もちろんだと。
この絵の左にはシルエットで描かれた全く違うタイプの人物像がたくさん描かれている。長い行列をつくっているようにも見える。そして、その行列の先頭の方に、アフロヘアの人物が入り込んでいる。シルエットの人物像はよく見るタイプの描き方なので、アフロヘアの人物たちと違う時代に描かれたものかと思いきや、この行列に入り込んでいるアフロの人は明らかにシルエットの人物たちと同時に描かれている。重ねて描かれたものではない。これは面白い。この二種の人たちの異質さを絵のタッチの明確な違いが表現しているように見えるのだ。
ヨナスがアフロの人物像を「アンジェラ・デイビス」と呼んだが、いや、これはむしろジャクソン・ファミリーでしょ、と私。
ジャクソン・ファミリーはどこから来たどんな人たちだったのだろう。また、この人たちと黒いシルエットで描かれ、行列をなしているように見える人たちは何をしているところなんだろうか。






人物の様子を細く見ると、前かがみで、両手を顔の近くにもってきている、泣いているかのように見える人たちがいる。このアフロの人物は胸の膨らみがあり、女性のようにも見えるが、腰みののようなものだけつけているようだ。黒い人物たちも腰に紐のようなものが描かれていて、腰回り以外ほぼ裸のようにも見える。やはり女性とみられる人物像も多い。これは葬列だろうか。それにしてはジャクソン・ファミリーがリラックスしているように見える。もしかして、ジャクソン・ファミリーにシルエットの人たちが何か恐ろしいことでもされたのだろうか。男たちが殺されたとか.....。興味がつきない。







これで砂漠でのキャンプは終わり。予定ではこの日もジャクソン・ファミリーの絵の近くでキャンプする予定だったが、全体に予定よりも数時間ほど先に進んでいたため、ジャーネットに戻ることになったのだ。
宿に戻ってシャワーを浴び、さっぱりした。


ところで、ヨナスはキャンプ中いくつか動物のサンプルをとっていた。サソリ、小さなネズミなど。サソリを見せてもらったが、ブラックライトで蛍光するということを初めて知った。ヨナスは日没後ブラックライトで地面を照らしながらサソリを探していたがなかなか見つからず、ジャーネットに戻る少し前にたまたまロバートが夕食後に座っていた岩のすぐ近くにサソリがいて捕まえたという顛末だった。



アルジェリア、タッシリ・ナジェール岩絵撮影行・その9

夜明け前に星空の撮影をした。着いたときはとても細い月だったが、今はちょうど半月くらいで夜遅くまで月が出ているため、月が沈んだ後でないと小さな星は見えない。



Oued In Djeraneへ戻る途中、いくつかのサイトを見る。有名なアーチ状の岩も見た。ここは観光ルートになっているので複数の観光客とすれ違う。タッシリ観光が盛んだった90年代にはもっとたくさん人がいたんだろうね、と言うと、ヨナスが「だから僕はここに来なかったんだ」と。アーチ状の岩のすぐ近くに激しく風化した岩があり、根元にダチョウの群れが描かれていた。





Oued In Djeraneの入り口前で、シェルターの床面の平板な岩の表面に様々な動物の足型がリアルサイズで彫られたサイトに寄る。ライオン、ガゼル、牛、サル、そしてサンダルをはいた人の足型もある。さながら足型図鑑といったところだ。ヨナスにどれが何の足型か解説してもらう。こうしたものはサハラではここだけだということだ。ハンターにとって足型は重要だが、これは何のためのものだろうか。若い男の子に教えるための教材のようなものだろうか。だが、それならば実際に狩りに同行させることで実物を見せながら説明した方が有効だろう。この岩に刻まれた足型はひとつずつで、歩幅も何もわからない。








足型の岩の横にはライオンを刻んだ岩もある。とても面白いサイトだった。



細長い人が描かれたシェルターがあったが、しゃがんだ大人(母親?)と子どもと見られる絵があった。





次第に砂丘エリアを離れ、砂というよりも泥っぽいエリアに入る。

魚を彫った岩があった。魚だけ複数彫られている。石彫に魚が登場するのはとても珍しいという。ナマズだろうか、顔の描かれたかわいいものも。




さらに大きな牛の彫り物がある岩を見る。線刻ではなく、内側を丁寧に彫り込み、体の模様も浮き彫りのような形で表現されている。右向きの牛が三頭。左向きの牛が一頭で、この左向きの牛は制作途中で止めてしまった印象がある。





大きなキリンと人物が彫られた岩壁があった。これはアンドラスによれば、新しいものである可能性があると。なぜなら、このエリアを調査した古い記録に記載がなく、これだけ目立つものを見落とすとは考えられないと。トゥアレグの文字が彫られているが、同時期に彫られたものかもしれないと。完全に新しく彫られたものでなければ、古く不鮮明なものを削り直した可能性もあるというのが彼の見立てだ。



ゾウの群れの線刻画が彫られた岩、キリンが彫られた岩も見る。どうも今回はゾウの線刻画サイトで光線の加減に恵まれていない。



二色に色分けされた牛の群れを描いたものを見る。昨日見たものと同じ様式だ。模様が交じり合ってどこか錯視効果をねらったような感じにも見える。この牛の描き方を見て、どこかアフリカ南部で見られるサン族(ブッシュマン)の絵に似ているなと思っていたが、サン族の岩絵との共通性については専門家でも指摘する人はいるようだ。


下の絵の白い丸は小屋、家を示している。牛の描き方も人の描き方もさまざまだ。






大きな岩に二酸化マンガンの見事なデンドライトが入っている所があった。立体感のある、立派な樹状結晶だ。
化石もたくさんある。一件ウミユリかなと見えるが、アンドラスによれば、ワームの一種だと。




例の三つ葉のような形の頭の人物像が色も鮮やかに残っている絵があった。これを見ても三つ葉型が何なのかよくわからない。帽子だろうか。



この日の最後は座るキリンの絵。子どもを産んでいるところだと言われる。漫画のような顔だ。イヘーレン様式だろうか。

アルジェリア、タッシリ・ナジェール岩絵撮影行・その8



砂漠で1週間も過ぎると一日がはやく感じられる。あまりに淡々としているからか。さっきテントを畳んだと思ったら、もう設営、また解体、また設営....そんな印象だ。
アンドラスとロバートはテントは面倒だからと気温の高い日は地面にマットを敷いてその上に寝袋に入って寝ていたが、明け方5度、6度となるとさすがに寒いのでテントに入っている。それにしても白人は丈夫だなとあらためて思うのだった。冷えに強い(日本人が弱いのかも)。

この日はQued Sirikという名のOued In Djeraneの北にある大きな枯川に入り、90年代にFalestiniというイタリアの研究者が記録して以来、おそらく誰も入っていないいくつかのサイトを巡る。これほど岩絵で有名な場所で、こんなにほとんど人が見ていない場所があるということが驚きだ。アンドラスもほとんど初見の場所なので、皆で見落としの無いように注意深く絵を探す。さほど大きなシェルターでなくとも、意外に絵を見落とすものだ。



赤と白の2色で描いた、よく肥えた牛がたくさん描かれている、規模の大きな放牧が行われていたことが伺われる。「後期放牧期」と呼ばれる時代のもののようだ。頭が三つ葉のクローバーのような形で描かれている人物があちこちで見られる。髪形なのか、こうした形の帽子なのか。こうした特徴的な様式からもいつ頃描かれたものか特定できるのかもしれない。





牛の群れは高い写実性で描かれ、躍動感がある。家畜化された動物だけではない。白地に赤い斑点をつけたキリンの絵やサイ、ダチョウの石彫もある。







大きな丸く深い穴の空いた岩があり、すり鉢など、道具として使われてきた形跡がある。ヨナスは人が作ったものだと言うが、私はポットホールではないかと思う。ポットホールの空いた岩を割り出してシェルターまで運んだか、この形のまま落ちていたかどちらかだろう。これだけ深く岩を彫り込むのは並大抵の労力ではないし、すり鉢などに使うにしてもここまで深くする必要はない。



アブドゥラが「シャルトル」と呼ぶ洞窟に入る。深く広く、しかも天井がものすごく高い。確かにまるで聖堂の中のようだ。しかも入り口が三角で本当に聖堂の入り口のように見える。外からはこれだけ大きな空間が内部にあるとはなかなかわからない。中にはコウモリがたくさんいるようだったが、天井が高くよく見えない。こうした暗い場所には絵はない。




弓をひく複数の人物がアクロバティックな構成で描かれている場所があった。この絵は傑作だ。上が自然光で撮った写真で、下が自然光を遮ってフラッシュで撮影したもの。フラッシュで撮るとフラットな絵が得られるが、これだけ凹凸のある面にこれだけ繊細な絵を書き、光を平均化すると完璧な形で見えるということがすごい。岩絵に関して、絵が上手いと(現代的な鑑賞眼で感じられる)ことをあまり重視したくはないが、ときどき、本当に「上手い!」と感心するものがある。




もう少し素朴な絵もあるが、下の絵の左下の動物の頭をした人のようなものが面白い。頭つきの毛皮をまとった人のようにも見える。これをtweetしたところ、これは単に動物を後ろから見た姿でしょ、というコメントがあったが、それはまず考えにくい。動物を後ろ、上、前から描いた絵や石彫はこのエリアの岩絵の写真で見たことがないし(他の場所でも無いように思うが)、もしあったとしても、右上の牛の形を見ても、後ろから見た牛の体をこんなに四角い、抽象化した形で描くとは考えられない。



カップルの絵がまたあった。女性らしき人が赤い腰巻きをしている。



キャンプ地は大きな尖った岩の横だった。
夕食の後、アブドゥラに「砂漠の幽霊話とかあるの?」ときくと、「many, many....」とニヤニヤしながら言うので、ひとつ話してと頼む。サハラでは魔物や精霊のようなものはジンと呼ぶのだ。話してくれたのは、こんな話。

ある谷にジンが住んでいた。ジンは谷に来る人間を次々に襲い、99人殺した。ある夕暮れ、一人の老人が谷に降りて来た。老人が寝る場所を決めるとジンが近づいていき、「お前がここに来た100人目」だと言う。ジンは老人がする全てのしぐさを真似してみせた。老人が荷物をほどけば、自分も同じようなものを取り出して同じようにしてみせる。老人が火をおこせば同じように火をおこす。老人が鍋を出して食事の用意をすると、ジンも自分の鍋を出し、同じようなことをしてみせる。こうしたことを繰り返した後、老人が火のついた燃えさしをもって長く延びた顎ヒゲの先を焼き始めた。これを見たジンも同じようにたき火の中から燃えさしを取り出して顎にあてたが、全身毛に覆われていたジンはまたたく間に火だるまになってしまい、逃げていった、という話。サトリの話に良く似ている。

もうひとつ、現代版の話もしてくれた。
ある外国の旅人がリビアから車で旅してきて、砂漠の中の小さな村に着いた。滅多に外国人を見ない村人は彼を大いに歓迎し、今日はちょうど結婚式があるので、是非参列していってくれと言う。宴たけなわで、すっかり気分良くなっていた旅人だが、花嫁のドレスの下から毛むくじゃらの動物の足がのぞいていることに気づく。よく見ると、村人みな、動物の足だった。驚いてその場を飛び出し、車に乗って逃げた...。──という話を、たまたま乗せたヒッチハイカーにすると、ハイカーが「それはこんな足だったかい?」と見せる、という話。これもまたよくある構造の話だ。日本でも似た話あるよ、と、「こんな顔でしたかぁ?」の、むじなの話をして、大いに笑って皆寝た。



アルジェリア、タッシリ・ナジェール岩絵撮影行・その7



昨夜とうってかわってすっきりと晴れた。朝、変化をつけるためガチガチのパンにはちみつとチーズを塗ってみた。悪くない。


ところで昨日からやたらとハエがたくさんつきまとっている。これは自分、相当ハエが好むような臭いを放っているのでは、なんせ5日もTシャツもズボンも替えていないし(とロバートに話したら、5日!と)。夜、テントの中で全身を入念に除菌シートで拭いたが、朝外に出ると、それでもハエが。どうもこのあたりはハエが多いことで知られているようだ。ハエが集まっているのは自分だけではなかったようだ。よかった。でもやっぱり鬱陶しい。




アンドラスが昨日の夕方見つけてきた新しいサイトを見に行く。状態はあまり良くないが、ダチョウが複数描かれている。ダチョウは黒い部分を赤で、首、足、羽根の白い部分を白で描いていることが多く、白が退色すると何の絵かわかりにくくなる。今回も後からダチョウの絵だったのかとわかるものがあり、写真で首が切れてしまっていたものがあった。
このシェルターの奥は下部がクシ状というか、足が並んだような形で風化しているが、これが長く延びていくと、有名な「ハリネズミ岩」(この日後半に見た岩)のようになるのだなと納得。ちょっとギーガーが作る造形にも似ている。




さらに北へ向かい、Oued Bouhedianeのいくつかのサイトを見る。赤い壁に白い塗料で、様式化された人物像を描いたサイトがあった。1920年代のイラストだと言われても信じるかもしれない、モダンな意匠。四角いバッグのようなものを持っているのが面白い。




タッシリにはアーチ岩、窓の開いた岩がたくさんある。世界にはアーチ岩をこよなく愛するアーチ・エンシュージアストと呼ばれる人たちがいて、タッシリは最もアツい場所として知られるが、彼らがしびれるような二連の窓岩があった。





ゲルタ(水場)で一休みし、近くにあるキリンの石彫画を見る。内側がとても丁寧に彫り込まれている。



大小さまざまな人物が重なるように描かれたシェルターがあり、見事だった。赤い絵の上に白い絵も重ね書きされている。ほとんどが長身で槍を持った戦士のような人物像だが、小柄で髪を結ったような、女性とも見える人物像も描かれている。もしかすると頭の部分に他の絵の一部が重なっているだけかもしれないが。





これから見るものはこの辺で最も不可解な絵の一つ、とアンドラスが紹介したのは、よだれかけがつながったような形。ラクダや馬の鞍につける装飾のようなものがかかれている絵もあるので、そうしたもののひとつかもしれない。



さらにOued Bouhedianeのサイトをいくつか見る。

二頭の白いキリンに丁寧に斑点が描かれた絵が印象的だった。シェルターの床にすり鉢状の穴がたくさんあいた場所があった。岩絵のある場所にはオーカーなどの石を細く挽いて絵の具を作るすり鉢が作ってあることも多いが、この数の多さはちょっと違う用途かもしれない。




雄牛の角の繊細な形。家(半円形)の中にいる女性と牛。1メートル以上ある大きな人物像もある。
立派な二頭のサイの線刻画が刻まれた大きな岩も見た。完全に日陰になっていたのでライトをあてて撮影。






この日のルートは幹線道からもかなり近くなっていることもあり、昔はかなり観光客の多いエリアだった。見ごたえのある奇岩が多い。今年出した『奇岩の世界』で写真選定中に見た岩も複数ある。極め付きは有名な「ハリネズミ岩」だ。初めてこの岩の写真を見たとき、観光目的で少し人為的に整えられたものだろうと思っていたが、ここは砂漠のど真ん中。近くに住んでいる人もいなければ、これによって得をする人もいない。トゥアレグの人がそういうことをするとも思えない。多くの人が岩に上って触ったり落書きしたりした跡あり、表面が滑らかになっている感はあるが、このように足が生えたように風化した岩は他にも複数あるのだった。





最後にキノコ岩が見えてきたので、「あ、これは写真撮りたいから停まって、お願い」と言うと、「最初から停まる予定だから」と。壁面にサイの彫り物があるのだった。この岩、広い枯川の真ん中にあってとても目立つ。数千年前も放牧する者たちの道しるべになっていたかもしれない。ロバートがとても時間をかけてこの岩を撮っていた。彼はあらゆる動物の中でサイが一番好きなのだ。絵の一部が影になっていたので、翌日もう一度寄ってもらえないかと頼んでいたが、却下されていた。




この日はTin Merzougaの奇岩の近くにある砂丘でキャンプする予定だったが、先客あり、少し離れた別の砂丘の横でキャンプ。砂丘の上に上がってしばし景色を楽しむ。砂丘の流紋は本当に美しい。海の底のリップルマークも好きだが。夕日があたると砂丘が真っ赤に染まるというのでしばし見ていたが、残念ながら夕日は雲に隠れてしまった。





砂丘の中腹で私がドバイのDuty Freeで買ったちょっと高いスコッチを飲む。


アルジェリア、タッシリ・ナジェール岩絵撮影行・その6

夜、砂丘と満点の星空という情景を期待したが、珍しく初めての全面曇天。日中の天候も心配されたが、すっきり晴れた。
明け方は5度(エレーナが温度計を持っていて教えてくれる)。かなり冷える朝だった。

さらに北へ進み、Tadrartを横断する二番目に大きな谷であるOued In Djeraneの東側のエリアに向かう。奇岩が多い。砂丘から突き出る奇岩はなんとも絵画的で良いのだが、その度に停まってもらうわけにもいかず。窓から大きく乗り出して撮影することになる。
「下手な鉄砲も..」方式でやたらとシャッターをきる私に対して、隣に座っているロバートはごく慎重に場所を選び、厳選したカットを撮る。車中から写真を撮るようなことはしない。彼のリュック型カメラバッグを見て驚愕した。ボディは私と同じD850だが、ツァイスの単焦点レンズがぎっしり入っている。全部合わせたらとんでもない金額になるはずだ。そして笑ってしまうくらい重い。レンズだけで12キロくらいあるようだ。10代前半でニコンFを父親から買ってもらって以来、ずっとニコンユーザーだという。私が生まれた頃のカメラなので、今70歳くらいということになる。そして、話の端々から彼はたいへんなインテリであることが伺えるが、どんな仕事をしてきたのかなど、あまり個人的なことはきかなった。彼は分厚いD850の機能紹介の本までも持参していた。予備のバッテリーも全て箱に入った状態で持ってきていて、私のようにガシャガシャつっこんできていない。彼を見ていると自分の雑さがちょっと恥ずかしくなるのだった。最近は朝起きてトランプのTwitterを見て奥さんと「またこんなバカなこと言ってる」と笑うのが日課であると。全然笑えないよ。





天井に牛の群れが描かれたシェルターを見る。ラクダも描かれているのでそれほど古いものではないのだろうが、牛、羊、犬、ラクダ、そして大小さまざまな人物象がとても繊細なタッチで描かれていて見ごたえがある。




砂丘を越えたところに大きな水たまりが出来ていた。ここで水を見るのは初めてだとアンドラス。出発の半月前くらいだったと思うが、雨が降ったという話をきいていた。水はどれくらい残るのだろうか。



礼拝所がある。メッカがどの方向かわかるように手作りされた簡単な礼拝スペースがあちこちに見られる。




北上しながらいくつかのサイトを巡る。非常に細い繊細な線で描かれた人物像が印象的なシェルターがあった。ごく細い草の茎などで描いているのだろうか。牛の尻尾の描き方など、粗く凹凸の多い岩面にさらっと描かれているが見事だ。






昼食は線刻画のある岩陰でとる。ダチョウに犬が噛みついている絵がある。朝と昼はバゲットを食べていたが、パンは乾燥で硬くなっていくため、このあたりからパンのかわりに、ふすまクラッカーというのか、カサカサの全粒粉のクラッカーになり、これが結構さびしい。砂漠の砂と同じ色をしている。インスタントスープでもあれば全然違うのだが。もう一度参加する可能性があったらフリーズドライのスープを持っていこう。この日は気温が低く、日陰に入ると寒いくらいだった。




錐形の黒い岩に線刻画が彫られた場所がある。一面はキリン、隣の面はゾウ、裏に人間の絵があった。キリンは光線の具合が悪くあまり鮮明に見られなかったが、ゾウは複数頭が重ねて描いてあり、これがまるで未来派的な動感を醸し出していた。






さらに北へ進むと観光客の多いコースに入る。砂漠に入って複数の観光客に会うのは初めてだ。フランス人の団体がいる。岩陰にきれいなクロスをかけ、グラスとカトラリーを置いたテーブルがあった。イタリアのツアー客用だという。90年代にタッシリの観光が盛んだったときはパリからジャネットまで直行便も出ていて、たくさんの観光客が来たようだが、誘拐事件とリビアカダフィ政権崩壊と日揮のプラントのテロ事件などで観光客は激減。ジャネットの観光業も崩壊してしまったという。

Uan Zawatanという岩に牛が彫られているが、これがアウトラインを二重にして中面が盛り上がっているように見せる技法で、Messak様式と呼ばれるようだ。11月10日の夕方と11日の早朝に訪れたMarka Ouandiもこの様式とされている。サイの彫り物もある。








さらに北に向かってIn Tehaqへ。今日は久しぶりに自分たち以外の人間を見たので、なんだか妙な気分だった。キャンプ地を決めてから、アンドラスは砂丘を越えて隣の谷に岩絵を探しに。私も途中まで行ったが、先に戻る。

食事の跡はアブドゥラとハマがお茶をいれる。トゥアレグのお茶は中国の緑茶の茶葉にハーブを混ぜ、たっぷり砂糖を入れた器にポットから勢い良く注ぐ、ポットに戻す、また勢い良く注ぐという繰り返しで泡立てながら作る。これをショットグラスくらいの大きさのガラスの器で飲む。濃く入れたお茶は苦く、砂糖がたくさん入っているので甘い。この苦甘い味が一日の疲れを癒してくれて、癖になる。


アルジェリア、タッシリ・ナジェール岩絵撮影行・その5

朝食をとった後、昨日岩山の上のサイトに行かなかったロバートとヨナスは岩山の上へ、私とアンドラスは彼らが昨日見つけられなかった近くの岩山にあるはずのサイトを探索に。
なかなかわからなかったが、岩の表面に彫られた絵をみつける。彫り物は光線の具合で本当に目立たなくなる。素朴な象の線刻画と例の不可解なモチーフ、Kel Essoufだ。Kel Essoufはまたしてもすごい数彫られている。これを彫る手間はかなりのものだ。
このエリアもアンドラスは初の訪問だという。彼は他者の探索記録を読み、事前にGoogle Earthであたりをつけ、その座標をGPS端末に記録して来ている。Google Earthは今はこのように誰も住んでいないエリアでもすごく高解像度になっているし、GPSも画像を見ながらアクセスできるのでピンポイントで目的地に行けるのだ。探査記録が詳細であれば、ほぼ間違うことなく行き着ける。バハ・カリフォルニアなど、深い谷に入って岩絵サイトに行くと、後でGoogleEarthなど見てもどこに行ったのかわからないことがあるので、私もGPS買ってみようか。




さらにキャンプ地の西のOuan Elberedのサイトを少し探索する。独特な頭飾りをつけ、マントのようなものを羽織った人物が投石用のスリングを持っている絵がある。戦士のような雰囲気だが、このスリングは狩猟用なんだろうか。どこかおとぎ話の場面のような趣がある。



四角い石碑のような岩にトゥアレグの文字がたくさん彫られたものがある。トゥアレグの文字はティナリウェンなどのバンドのジャケットで初めて見たが、タッシリにはたくさん彫られている。石彫はこの地域で最も新しい部類だ。トゥアレグ族は現在アルジェリア南部、リビア西部、マリ東部、ニジェール西部を中心に広く分布している。4-5世紀にモロッコの山岳地帯から伝説的な女王ティン・ハナンとともに移動してきたと言われている。ティン・ハナンはずっと伝説上の人物と考えられていたが、1925年にアルジェリアのホガール山地(タッシリのさらに南方)で彼女の墓が発見されている。金銀のアクセサリーなどの豪華な副葬品とともに。



やはり方形の岩で表面が滑らかなものがあり、ここには例の「宇宙人」Kel Essoufが線刻画で彫られていた。深く彫り込んだものに比べると実に簡単だが、形は同じだ。やはりぱっと見、虫という印象だ。これだけ見たら、迷わずゴキブリと言っていたかもしれない。面白いのはおそらく同時期に彫られたとみられる人物像が岩の左上にあることで、これは人が座っているような絵が逆さになっている(回転した写真が以下のもの)。いろいろと不可解なことが多い。また、Kel Essoufは他の石彫画と違って、シェルターの内部に彫られているのが通常だと書いている学者がいたが、前2ヶ所を見るかぎりそうとも言えない。このエリアにはまだまだ未発見、未報告のものが多く、現在調査されているものだけではなんとも言えないということなのだろう。




同じエリアで様々な線刻画を見る。ゾウ、ダチョウ、牛、羊、いろんな動物が彫られている。牛が彫られている場合、首に縄が描かれているかどうかで、完全に家畜化されたものかどうか判断でき、おおよその年代も推測できるようだ。





昼食はゲルタ(水溜)のある場所で。アブドゥラとハマは枯れ木を集めて車に乗せる。ガスコンロも持ってきていて、圧力鍋はコンロにかけるが、必ずたき火をする。そしてお茶を沸かして入れる。砂漠に転がっている枯れ木はからからに乾いているので良く燃えるのだ。



ゲルタのすぐ近くのシェルターにある絵を見て、さらに隣の谷に歩いて行くことに。隣の谷は知られている限りまだ誰も岩絵の調査をしていない。行けば何かしらあるだろうということで、アンドラスとロバートと出かける。




アンドラスは本当に岩絵の発見と記録に並々ならぬ情熱をもっている。どこかに発表し、自らの業績にしたいというわけではないようだ。個人的な非常に強い興味なのだ。ひとつひとつシェルターを覗いて、ここは無いな、次、ここも無い、次、という感じで急いで回っていく。探し始めてすぐになかなか面白い絵の残るシェルターをみつける。細い人物像で、弓を持っている姿が多い。ユニークなのはドットがたくさんかかれていることで、何か動物の斑紋のようなものなのかと思ったがわからなかった。幸先がいいぞ、とさらに進んでいくが、その後は不発、アンドラスは行ける所まで谷の奥へ進んでいくが、私はゆっくり戻ることに。後からやってきたヨナスが複数種の動物の足跡が残る場所を見せてくれた。肉食獣の足跡もある。彼は動物に詳しく、時間があれば、足跡や糞を見に出て行く。サソリなどのサンプルを採取して研究所に送付するための小さなカプセル状のキットを持参している。






未探査の谷から戻り、車で再び出発し、Ouan Elberedの岩絵を見る。キリンといっしょに描かれた人物像は午前中に見たマントを来て頭飾りをつけた人たちだ。



この日はMoul Nagaの砂丘のふもとでキャンプすることに。夕日に照らされた砂丘は美しい。
この日の夜は冷えて明け方は5度まで気温が下がった。