朝、キャンプ地にも近いので、「泳ぐ人」にもう一度行ってもらう。壁面に陽があたっているのではと危惧したが、そういうことはなく、壁画の前の砂地に朝日があたってその反射光が壁画を明るくしていた。見え方もけっこう違う。
写真家の野町和嘉さんがタッシリを訪れたとき(1972年)、サイトに着いても3日くらい何も撮らなかったと、当時ラクダ引きとして同行したブーバカーが言っていた。どうして撮らないんだろう?と思っていたら、ある日急に撮りはじめたのだと。もう50年以上も前のことだが、かなり印象的なことだったようだ。おそらく時間帯によって光線の具合がどう変わるか、何時頃がベストなのか、どの角度で何カット撮るかなど見極めていたのだろう。何千枚も撮って帰る今と違って、フィルムカメラは枚数がシビアなのだ。私も巨石写真を撮り歩いていたとき、残り枚数が気になって仕方なかった(と言いつつ、昔のスライド写真を見返してみると、野良猫とか羊の行列とかの写真をむやみに撮っていたりするのだが)。イギリスでは買い足すこともできるが、ジャーネットでは、ポジフィルムは買えなかっただろう。
Tin TazariftからIn Etouamiへ。ここも前回訪れていたが、未見のものも多かったので、ロート隊の複製画が作られたサイトを目当てに巡る。一見何を描いているのかよくわからない、縞模様の複製画がある。何か動物の骨を並べたような絵だ。サイトを見つけ、撮影したが、やはり何の絵なのかピンと来なかった。が、帰国後にその近くのかなり薄くなっている絵を画像補正してみたところ、牛の体に縞模様が入ったものだとわかる。薄くなっていた方は輪郭もようやく見えるかどうかという程度だが、一見してなかなかの画力の人の手によるものとわかる。それに対して、前者は技法は近いとはいえ、あまりうまくいっているとは云いがたい。途中で描くのをやめている可能性もある。これは想像だが、後者の見事な筆致を見た者が同じように描こうとして上手くいかなかったのが前者ではないか、
やはり上手な絵、斬新な手法を見ると、それに影響されて同じように描こうとする人がいるのだろうと。イヘーレン様式なども同じようなスタイルで描きては複数いる。5000年前の美術界においても模倣は重要な要素だったのだろう。もちろん、絵描きの中に突然全く独自の手法や捕らえ方をする天才が現れるのだが。
それにしても、この縦じまの牛、私は完全に絵画的手法だと思ったのだが、イヘーレン様式の絵の中には部分的に縦縞が入った牛の絵がいくつかある。本当に縦縞模様の牛がいたんだろうか。Chat GPTにそういう牛がいるか質問すると、「いません」と。




イン・エトゥアミを出てタッシリで最も壁画が集中している場所セファールに着く前、なんと英さんが今度は折り畳み椅子をイン・エトゥアミの最後の壁画の場所に置き忘れてきたことが判明。もう諦めると。ただ、しゃがめない状態なので、椅子が無いというのはちょっと心配だ。なんだか、民話のようになってきたぞ。もう一回何かあるかもしれない。
セファールに着き、ここは連泊なのでテントを張り、食事。モハメッドが昼は手作りのレモネードを出してくれるのだが、これが甘すぎずさわやかでおいしい。特に暑くなってきた中を歩いた後はリフレッシュさせてくれる。鳥の唐揚げみたいなのが出てきたと思ったら、カリフラワーの唐揚げだった。タジェラヒンで料理をしてくれたモハメッドのお兄さんも揚げ物(春巻きとか)をよく出してくれたが、キャンプで油で揚げたものを出すのは面倒だろうにと思う。

午後はセファールの「黒セファール」と呼ばれる、牧畜民の絵が多いエリアを巡る。英さんは休息のためキャンプに留まることに。有名な壁画を巡るが、先ずアンリ・ロートが「アマゾンのシェルター」と呼んだ大きな壁面に。いろんな時代の絵が渾然一体となっていて面白いのだが、帰国した後に画像処理していて、全く場違いな感じの2人を発見。イヘーレン様式だが、なんだか「タイムスリップしてサハラに来た2人のヒッピー」という感じ。「へそ出しルック」だし、腰回りの曲線もなんだか現代人ぽく見える。それにこの2人、なにもしていないように見える。イヘーレンの絵は移動やキャンプの中の絵にしても、それぞれの人が何かしている様子が描かれているのだが、この2人はただ所在ない感じで、それもまた可笑しい。今回Sonyで撮ったものは人物の目もきちんと写っていた。ロート隊の複製画にも左の人物の顔のディテールは描かれていない。


また、目を覆った、狩猟採集民時代の後期の絵も再見。この絵もフォルムがとても美しい。女性だが、腰をかなりきつく搾っているように見える。布の無い時代だから、これらの装身具は動物の皮なのだろう。

牧畜民の移動の場面の絵を帰国後に画像処理すると、牛に乗った2人の女性の絵が細かく再現できた。牛の角の上に乗っているのはテントの支柱のようなものだろうか。紐が巻きつけてある。後ろに乗った女性が椰子の葉のようなものを振っている。
三つの仮面の絵も再見。





キャンプに戻ると英さんから相談をうける。かなり調子が悪く、この先ちゃんと歩けない可能性があると。もし台地で歩けない状態になったらどうなるのか? 出発前にはいよいよとなったら軍のヘリで下に下ろしてもらえるのでは? などと話していたが、モハメッドにきくと、それはないと。下から担架を持って来てもらって人力で下ろすのだと。それは大変な話だが、これまでに何度かそういうことがあったそうな。そうだろう、これだけ岩がごろごろしている場所で、ちょっと転んだだけでも運が悪かったら歩けなくなるくらい強めに捻挫したり骨折することもあるだろう。アンドラスのツアーでも彼は応急手当て用のものも何も用意していないことがいつも気になっていた。
具合によっては予定を短縮することも考えざるをえないかもと言うので、なんにしても明日の具合で決めましょうということになる。
お茶を飲んでいるとロバ隊のアイードが歩いてきた。なんと英さんの椅子を持っている。ブーバカーがアイードに取りに行ってくれと頼んだらしい。アイードは今日は同行していなかった。よく場所がわかったと思う。それと、彼は靴の修理もできるのだ。月風さんのモンベルの靴のソールがはがれてきたというので、出発前に買った接着剤を渡したのだが、先端の湾曲した部分もあり、完全にくっつかないと。それをアイードが持ってきた太い針と糸で縫ってくれたのだ。ロバ隊でもっとも陽気でどこか可愛い顔をしているアイードの株が一気に上がる。
ちなみにブーバカーの靴も底がぱっくり割れていた。これは接着剤ではなんともならないし、縫う感じでもない。後に英さんと靴のサイズがちょうど合う(29cm!)ことが判明し、予備の靴を持っていたのをブーバカーにプレゼントしていた。英さんがそんなに足が大きかったとは。
歩行距離10.2km

