カザフスタン・キルギス壁画撮影行 その11

あいかわらず全く食欲がなかったが、食べないと回復しないだろうから、なんとか朝食をとり、薬局に連れていってもらった。ノドにスプレーする薬を購入。あまり効きそうになかったが。

 

 

延々と車を走らせ、夕方6時過ぎにビシュケクの宿に着き、エリカとイスラムと別れた。この二人はとても温厚で人がよかった。特にエリカはいつもニコニコしていて、こちらがしんどいときに随分助けられた。彼女は大学の建築科を出たばかりで、設計の仕事だけではやっていけないので時々英語ガイドもするのだと。食堂でめん類を食べたときに、「日本人はこういうのを食べるときいろいろと作法があるんでしょ?」というから、なんでそんなこと言うのかと思ったら、伊丹十三の『タンポポ』のファンだと。例の「先ずスープを一口...」みたいなやつが本当だと思ってるんだろうか。あれはさ、ラーメン屋の話をアメリカの西部劇みたいにした話だからと言うと、一応わかってると。

彼女はどこか70年代の日本の若い女の子のような印象だった。かぶってた帽子もちょっとチューリップハットみたいだったし。全体の印象がそんな感じだったのだ。カザフスタンの都会の若い子はちょっと化粧や着ているものも違った。どこか韓国女優のような感じ。

イスラムも日本でみかけるような顔だ。漠然とだが、関西に多そうな顔、という印象があった。

 

 

そういえば、今回頼んだ旅行会社はfacebookで見たドイツ人研究者から紹介してもらった。エリカの話では基本、ロシア人の旅行客の案内は断っていると。キルギスでロシア人を断っていたら客が少ないような気がするが、彼女の話では、代表がロシア人はどこかソ連時代の気分が抜けず、キルギスを属国のような感じで思っている人が多く、接し方もキルギス人を下に見るような態度があっていやなのだと。実際どうなのかわからないが、きっとかなりいやな経験をしたのだろう。

 

ビシュケクに着いた最初の日は、少し歩いたところにある食堂でビーフ・ストロガノフを食べたが、そんな元気はなかった。隣にパン屋があったから、そこで何かひとつ買って食べようと。

パン屋で「どっからきたの?」と聞かれたので、「日本だよ」というと、おー、エンドウ、ナカタ...と20年くらい前の日本代表のサッカー選手の名を連呼した。「俺はウズベキスタン人なんだ」というから、「そういえば、ウズベキスタンのチームは強かったね」と適当に言ったらとても喜んでいた。カザフスタンキルギスというと、サッカーよりも柔道とかレスリングというイメージだ。