朝、ホテルにガイドのエリカが迎えに来た。22歳の女の子。もう一人若い男性がいたが、彼は兄にバトンタッチするまでのドライバーとのこと。これから7日間の個人ツアーが始まる。
Saimallu Tashに上がるツアーは昨年連絡したツアー会社があったのだが、今年は連絡しても返事がなかった。facebookで複数回訪れているドイツの学者をみつけて、良いガイドはいますかと相談。彼が教えてくれたのが、今回頼むことになったビシュケク・ウォークスという会社だった。ただ、金額が想定以上に高く(円安の影響もあるが)、他に選択肢はないか探したのだが、Saimallu Tashのふもとの町カザルマンに行けば選択肢はありそうだったが、ビシュケクから企画してくれるところが見当たらなかった。自分でカザルマンまで行けばいいのだが、その前にイシク・クル湖畔にあるペトログリフサイト、できればマイナーな場所も含めて巡りたいと思っていたので、効率を考えて丸ごと任せることにした。こういうことをしているからコストがかかる。
3人で車に乗り、市内の別の場所へ。そこでイスラムという名の20歳の男の子に運転を代わる。彼はカザルマンに実家があり、十代からSaimallu Tashに上がっているので、どこにどういう絵があるか詳しいのだという。
三人でビシュケクから東へ、イシク・クル湖に向かう、途中街道沿いに二ヶ所もカザフスタンとの出入国路がある。距離からするとアルマトイとイシク・クル湖はとても近いのだが、いかんせん高い山々が文字通り壁のようにそびえている。
街道沿いの店に昼食に入る。途中、延々とトウモロコシ畑が続いている場所があったが、丸茹でして売っていた。トウモロコシのパンとかそういうものに加工して食べることはないそうだ。長い煙突のついた窯のようなものがずらりと並んでいて、これは蒸し器か何かかと思ったが、湯を沸かすものだった。外側だけでなく、内側からも熱が加わるようになっていて、茶を入れるとおいしいのだと。
平たく延ばしたカッタマという揚げパンを食べる。これはキルギスだけでなく、中央アジアで広く食べられているもののようだ。アツアツのカッタマをちぎって分けるのは男の仕事らしく、イスラムがとりわけてくれた。この店はドンガン族の家族が経営している。カッタマと野菜スープと牛肉の入った焼きそば的なものを食べた。焼きそばはカザフスタンで食べたものとほぼ同じだ。山一つ隔てただけの場所なのだからあたりまえかもしれないが。
スープにはキクラゲが入っている。周辺は木の生えていない乾いた土地が延々と続いているから、乾物として流通しているのだろう。
途中街道沿いにソ連時代の映画館があった。正面に眼鏡をかけた大きな男の子の壁画がある。エリカに尋ねると、この男の子は国民的人気があった映画シリーズの主人公で、大きな眼鏡をかけて背の低い、他の男の子にみそっかす扱いされている子が、好きな女の子のために一途に頑張る話なのだと。
ソ連時代の建物はデザインの面白いものが多い。バス停にも必要以上にモダンなデザインが使われているものがあり、旧ソ連圏のバス停だけを撮影した写真集がとても話題になったのだそうだ。後で知ったが日本の写真家も同じテーマで写真集を出した人がいる。
途中開けた場所に丸い井戸のようなものがある場所を通過した。エリカがあれは何だかわかる?と。コク・ボルという、遊牧民の伝統的な競技のゴールなのだと。羊の死骸を馬に乗った二つのチームが激しく奪い合い、ゴールに投げ込んだ方が得点するという、なんとも野趣あふれるものらしい。知らなかったが、中央アジアで広く行われていて、アフガニスタンではBuzkashと呼ばれて国技になっているらしい。カザフスタンやタジキスタン、ウズベキスタンなどでも行われているという。ルーツは北東アジアで遊牧民とともに中央アジアに広がってきたのだと。
イシク・クル湖は琵琶湖の9倍の大きさだ。ソ連時代に退役軍人用の保養施設があった場所が現在、Coworking Resortという名の有料のリゾート地になっていて、そこに入ることにした。建物はかなり老朽化しているが、補修しながら使っているように見える。湖岸に出ると、多くの人が泳いで遊んでいるが、大きな水温計があり、20度と。エリカとイスラムは泳ぐというが、私は風邪気味なのでやめておくことにした。
海岸のカフェバーには「パルプ・フィクション」のキャラクターのスプレー画が。なぜか店の前には小さなモアイ像もある。ソ連時代には考えられなかったアメリカナイズなのだが、有料のリゾートなので、結局近隣の一般住民が入れないビーチなのだ。
エリカとイスラムが泳ぎ終わって帰ってきたら、湖の北岸の町チョルポン=アタにある「ペトログリフ博物館」に向かう。が、運悪くパラパラ雨が降ってきた。天気が変わりやすい。キルギスはこんな感じだから予報はほとんどあてにならないのよとエリカ。車の中で止むのを待って博物館に入る。
博物館といっても、ペトログリフのある岩が集まっているエリアに門をつけて料金をとっているだけだ。多少は岩を移動したところもあるかもしれないが、集めてきたわけではない。最も有名でサイズも大きな、スキタイ様式の山羊とハンターが描かれた岩の前にいくと、ちょうど正面に虹が出ている! なんという幸運!と思ったが、残念ながら雨で岩の表面がテカってしまって日の光が反射してしまっている。
ペトログリフを見て歩いていると、小猫が鳴きながら駆け寄ってきた。私がしゃがんで写真を撮っていると膝の上に乗ろうとする。腹が減っているんだろうか。延々と付いてきたが、あげるものもない。
スキタイ系のペトログリフは紀元前7-3世紀頃のものだ。他に紀元7-10世紀頃のおそらくテュルク(トルコ系)人(突厥など)による素朴な壁画もあるが、いずれも動物か狩猟の場面だ。
ここには壁画以外に、岩を丸く配置した埋葬地の跡が複数ある。これも紀元1000年頃のものとされている。このエリア全体が長い時代を通して埋葬地のような形で使われていたのかもしれない。カザフスタンのタンバリもそうだが、墓のある場所と壁画はどこかセットになっていることが多いのだろうか。
人の石彫もある。これはテュルク人のもので、紀元6−10世紀頃のものだ。これはテュルクが滅ぼした諸部族の長の姿だという言い伝えがあるようだが、テュルクの戦士の墓に置かれたものだという説もあり、数の多さからいうと後者なのかなと。
土砂降りになってきたので退散したが、夕暮れ時にきれいに晴れたので、もう少しねばっていればよかった。
この日はイシク・クルの町のロシア人がやっているゲストハウスに泊まる。日当たりの良いバルコニーのある感じのいい宿だった。